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考えること。

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#画家

新しい誕生日

新しい誕生日

今日は良い日だったと思う。
夢のお告げ、これからの方向性を確認しつつ、夕方に壮大な雲と後光がさしたような陽の光をみた。
友人が国立国会図書館に出かけたので、曾曾祖父の名前を調べたら、宮崎市の伝承のサイトがリニューアルされ、より具体的に写真付きで解説されていた。
曾曾祖父は、この日記でも何度か触れているが、祈祷師だった。きっかけは孫娘の難病を治したい一心で、山奥の修行場に向かい懸命に修行をした。21

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例え、見えていたとて。

例え、見えていたとて。

緑内障で視界の1/4がみえず、たとえ残り3/4が見えていたとしても、その世界が恐ろしいものであればどうしようもない、という絵。

かえって見えるもの(感じるもの)苦しめられるくらいなら、いっそ、見えない方がよい。

残りの視野に、美しいものを見出せるかどうか。
まさに人生の変化の時。

いつか見えなくなる世界

いつか見えなくなる世界

今朝、どうも目がむず痒いなと思い眼科に行きました。
相変わらず眼圧が高めで、精密写真を撮ることになり、緑内障初期の疑いがあるということで、来週に視野検査をすることになりました。

「緑内障」。
ついに来たか、という感じ。ついに・・といっても馴染みのない人には一生ないだろうし、ある人にはある。
進行の進み具合にもよりますが、一度視界が見えなくなったら、もう2度と戻らないのは、白内障との大きな違い。

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未練はない

未練はない

6/13。眼圧を下げる目薬を初めて挿す。
この目薬は、目の周りの皮膚組織に入り込むと黒ずむ傾向があるため、顔を洗えるお風呂の前にさすことを勧められた。これからずっと、この目薬と過ごすことになる。

風呂につかり、ぼんやりと、今日のことを思い出していた。
眼科の診断後、オーダー絵画をお客様に納品する。天国に旅立った先代犬と、現在一緒に暮らす愛犬が、天国で出会うシーンを描いたものだ。
絵画を見て、飼い

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エレーナのインコ

エレーナのインコ

(福音館書店あらすじより)
エレーナのかあさんは人形作りです。市が開かれる日、かあさんが人形を売るのを手伝いにいったエレーナは、鳥売りのおじさんからインコの雛をもらいました。ペロンと名付けたインコをエレーナは大切に育てました。ところがある日、ペロンは雨に打たれて死んでしまい・・。
ーーー
息子に読み聞かせをして、感動した絵本。
絵のタッチもとてもほのぼのしてますし、世界観も異国な感じです。作者夫婦

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自己表現(自我)よりも大切なこと。

自己表現(自我)よりも大切なこと。

タイトル通り。
以上!!

と終わりたいくらいですが、少し補足を。独り言にお付き合いくださいませ。

2022年9月の展覧会以降、ぽっかりと生まれた空白が、なんなのかをずっと考えてきました。
自己表現をずっと追求してきた画家人生だったと言えます。その対極にあるのが、他者表現というものでしょうか。デザインなど社会表現よりももっとミニマムで個人的な、相手の物語を紡ぎ出す絵画。
似顔絵だったり、絵画教室

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円空のように

円空のように

円空という人がすごいと感じるのは、仏教の精神で人々のために仏を彫りながら、それが、どこをどうとっても円空にしか彫れない仏像だったということだ。

芸術の極まで突き詰める道もある。また、他者のために尽くす道もある。信仰という観点からして、円空にとっては仏彫は手段であり、その先に願う平穏な世界があった。
その仏は、自分だけが見える仏であっていい。奈良の大仏なんて模倣しなくてもいいのだ。

自分だけに見

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愛着のある服。

愛着のある服。

息子を送りにいきながら、「愛着のある服」について考えてきました。

「愛着のある服を手放したときに、自分に合ったぴったりの服を着れるようになる・・」と、ある尊敬するコーチが言われてました。
これは、価値観にまつわるお話です。

この場合の服とは、僕にとっては絵画という自己表現にあたります。

物心つく前からずっと心の支えになっていた服。それは心の内なる表現でした。まさに叫ぶような絵画、祈るような絵

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