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私のこと

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2019年9月の記事一覧

大阪ぶらり旅 後編

大阪ぶらり旅 後編

 翌日爽やかに目を覚ました私はチェックアウトをすませ、通天閣のある浪速区の新世界を目指した。以前読んだ大槻ケンジさんのエッセイにこの通天閣が紹介されており、私も一度ビリケンさんと対面してみたいと思っていたのだ。ビリケンさんとは何か。アメリカの女性芸術家フローレンス・プリッツが、「夢の中で見た神様」をモデルに制作した作品がビリケンさんの起源とされている。その後「幸福の神様」として全世界に知れ渡ったそ

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大阪ぶらり旅 前編

大阪ぶらり旅 前編

 カウンセリングの日々に飽きた私は、どこかに旅に行きたいと思うようになっていった。しかし季節が初秋を迎えても思いつきを実行に移すことはなく、どんどんと先延ばしになっていく。そんなある日の朝、東京で地震が起きた。私はこれを何かの合図と思い、押し入れからデイパックを取り出した。1泊2日分の着替えや歯ブラシを詰め込む。しかし私が実際に家を出たのは夕方に差し掛かってからだった。何をもたもたしているのかとい

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チャーリィは私

チャーリィは私

 高校2年生の頃の話である。『アルジャーノンに花束を』を読み終えた母は私にこう言った。主人公のチャーリィ・ゴードンは私だ、と。私はこの物語を読んだことはなかったが、大方のあらすじは知っていたので母のこの発言に違和感をもった。チャーリィ・ゴードンは生まれつき脳に障害のある男性で、彼は知能を高める実験の被験者となる。実験は成功したようにみえたが、同じく実験をうけたアルジャーノンというねずみは急激な変化

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忠義の男 後編

忠義の男 後編

 早朝私は電車とバスを乗り継いで新城市の作手村を目指した。何しろ交通の便が悪いところなので乗り遅れなどがあってはならない。バスの中では通学途中の高校生に揉まれながら甘泉寺の最寄りの駅に到着する。なんと住職自ら迎えに来て下さった。ありがたいことである。寺は山の中にあり、国の天然記念物とされているコウヤマキが私を出迎えてくれた。墓はその巨樹の近くにひっそりと佇んでいた。私は持参してきた線香をあげ手をあ

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忠義の男 前編

忠義の男 前編

 母方の御先祖様に鳥居強右衛門という人がいる。(名を「すねえもん」とよむ)家系図に名前が残っているのでこれは確かなことである。強右衛門は一介の足軽である。足軽だがきちんと歴史に名を残しているのだ。彼は三河長篠城主奥平信昌の家臣であった。時は天正3年(1575年)、武田軍は長篠城を攻略せんと大軍をもって奥三河に侵攻した。長篠城は武田の大軍に囲まれ籠城することになったのである。そこで岡崎城にいる徳川家

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そっとレモンをおいてくる

そっとレモンをおいてくる

 高校生の頃、現国の時間に梶井基次郎という小説家が書いた『檸檬』という作品を習った。この作品を初めて読んだ時、こんなに面白い物語を書ける人がいるのかと感動したものである。主人公である「私」は、「得体の知れない不安」に終始押さえつけられていた。元気だった頃の「私」は、丸善で色々な商品をみることが好きだったのだが、この頃はどうにも足が遠のいている。好きなことといえば、みすぼらしい裏通りを眺めたり、おは

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賞状あらし

賞状あらし

 一枚の写真がある。その写真の中には一組の親子がうつっていて、彼らは何やら机に向かって作業している。机に向かっている子どもは小学1年生の私。その私に覆いかぶさるようにして写っているのが私の母である。彼らは夏休みの宿題の読書感想文に取り組んでいるのだ。『スーホの白い馬』を題材として。小学1年生が読むには残酷な場面が多く、私は少し怯えながらその美しい文章と絵をぼうっと眺めていた。そう。実際ただ眺めてい

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おばあちゃんと私

おばあちゃんと私

 私のもう一人の祖母、つまり父の母を紹介しようと思う。父方は祖父の代から農業を営んでいる家である。とても貧しい家で父は保育園にもいけなかったらしい。おやつもなく、畑から野菜を引っこ抜いては食べていたそうである。祖母という人は大地のようにゆったりとした人で、彼女はいつも「何とかなる」を口癖にしていた。私は祖母がいつもお土産にもたせてくれる「芋切干」が好きだった。本当にたまにしかあうことはなかったが、

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憧れのお嬢様

憧れのお嬢様

 私は学生時代、クラリネットとヴァイオリンを弾いていた。私はピアノを習っていたこともなく、別段音楽に慣れ親しんで成長した訳でもない。入学した中学の文化部が「音楽部」と「パソコン部」しかなかったのでほとんど無理やりに入ったという感じであった。しかもその中学は人数が極端に少ない学校で「音楽部」にはクラリネットとギターしか楽器が存在しなかった。またまた無理やりにクラリネットを選ぶことになった私は、結局最

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彼女の夢

彼女の夢

 中学2年の転校する時に言われた言葉が忘れられない。お餞別を渡しながら彼女はこう言った。いいな。コナちゃんは転校できて。私は転校でいい目にあったことが一度もなかったのでこの言葉を聞き捨てならないと感じたが、彼女の立場を思いやると何も言えなかった。彼女はかなりの「きにしい」で友人との関係にいつも悩んでいるような人だったからである。一度でいいから全く違う土地に行って、人生をやり直してみたいと思う気持ち

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会津の魂

会津の魂

 最近お友達になった女性は、好きなものがオペラだという。彼女は歴史に造詣が深く、好きな歴史上の人物に大久保利通をあげた。歴史が全く分からない私からしたら、うら若い女性の口から大久保利通という単語がでてくるだけで何だか素晴らしく思えて感動してしまった。そして彼女は以前に読んだ本として保科正之という人の伝記をあげた。保科正之。私はこの名前をどこかできいたことがある。いや待て。歴史に疎い私がどうして名前

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東京幻影狂騒曲

東京幻影狂騒曲

 私は東京に両手で数えるぐらいしか行ったことがない。もともと人混みが苦手なのと出不精がたたって、東京に積極的に足が向くことはなかった。初めて東京の街におり立ったのは中学の時の修学旅行である。私たちの班は渋谷のセンター街で思いっきり道に迷っていた。NHKホールを目指していた私たちは皆一様に大都会東京の凄まじさに圧倒されていたのである。東京の街にでてみてまず驚いたことは、人の多さと彼らの歩くスピードだ

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野球に夢中になった夏

野球に夢中になった夏

 野球をみることが長年好きではなかった。みたくもなかった。原因は子供の頃の思い出にある。私は小学校低学年の頃まで社宅に住んでいた。社宅。そこは社交の技術が問われる集合住宅の最たるものだが、それは大人にとってだけではなく、子どもにとってもなかなかに過酷な環境であった。とくに私などは仲間内でも一番背が小さく、かけっこも遅かったため鬼ごっこで鬼役になろうものなら、ずっとそこから抜け出せなかった。仕方ない

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友情とレプリカ

 高校3年生のある時に級友が「はいっ」と渡してくれた絵葉書に私の目は釘付けになった。青と黄色が主に使われたその絵は、青でおそらく夜空が描かれているのだろう。星がきらめいている。その青と対比するように黄色の絵の具で光が描かれ、光の下で人々が楽しそうにお茶している。後から調べてゴッホの描いた『夜のカフェテラス』という絵だということが分かった。彼女から届いた年賀状に、「コナちゃんと私ってどこか似ていると

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