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野球に夢中になった夏

 野球をみることが長年好きではなかった。みたくもなかった。原因は子供の頃の思い出にある。私は小学校低学年の頃まで社宅に住んでいた。社宅。そこは社交の技術が問われる集合住宅の最たるものだが、それは大人にとってだけではなく、子どもにとってもなかなかに過酷な環境であった。とくに私などは仲間内でも一番背が小さく、かけっこも遅かったため鬼ごっこで鬼役になろうものなら、ずっとそこから抜け出せなかった。仕方ないので何度かバックレて帰ったことがあった。絶対に追いつけないものを追いかけなければならない状況に理不尽さを感じたからだ。そう。実際に皆笑いながら逃げていた。漠然といじめのにおいをかぎとった私は追いかけるふりをしながら、フェードアウトし家に帰った。それでもそのことについて後から攻め立てられるようなことは一度もなかった。明らかにおかしいと思える状況下では「逃げる」という選択肢もありだなとその時に学んだ。

 話を野球に戻そう。その社宅には絵にかいたようなガキ大将がいた。名前を忘れてしまったので、ここではジャイ男としよう。ジャイ男にはよく野球に誘われた。野球なんて、言葉をきいたことがあるだけでみたこともやったこともないので本当はやりたくないのだけど、自宅まで押しかけてきて連れ出そうとするから避けようがない。社宅っこの悲劇ここにありだ。中庭をつかっていざプレイボール。私はジャイ男と同じチームになった。私は訳の分からぬままバットを振り、分からぬまま外野を守り、試合(と呼んでいいのだろうか)の成り行きを見守った。ジャイ男がバッターボックスにはいる。カキーン。ジャイ男打ちました。ボールは運悪くよそ様のベランダに入ってしまった。「ファール。ファールっすよ」と今なら言えるのだが、ファールという概念すらも知らないので、一塁に向かって猛然と走り出すジャイ男を私はぼけっとしながら眺めていた。ジャイ男はそのまま気持ちよさそうに二塁三塁とまわりホームに戻ってきた。本当ならここで「はーい。お疲れっした」となるところなのだが、ジャイ男はそのまま走り続けている。また一塁を目指して。結局ボールがホームに戻るまでジャイ男は走り続け、我がチームは圧勝した。だが私はちっともうれしくなかった。それどころか、野球ってつまらない。もう二度とやるもんかと思った。実際私はその後野球に誘われても頑として行かなかった。あまりに行きたくなくて居留守までつかった。そのうち誘われることすらなくなった。私はその後長らく野球のルールを間違えて覚えたまま成長してしまった。野球のテレビ中継さえみることが嫌だった。ジャイ男の「俺様ルール」を間違っているのだろうなとうすうす感じていたが、訂正することすら億劫で野球とは距離を置いて生きてきた。 

 そんな私は今年時間だけはたっぷりとあるので、甲子園を初めて真剣にみた。面白いのなんのって。甲子園球場にみにいきたいと思えるぐらいのミーハーぶりを発揮し、高校球児たちの夏を見守った。当たり前だが皆野球がうまい。(本当に当たり前だ)取りこぼしとかほとんどない。そして皆一様に身軽だ。プロは上手だけど、この身軽さは高校生にしかだせないだろうなと感じた。「仲間同士の信頼関係っていいね」「青春っていいね」とあまりキラキラとした青春をおくってこなかった私は、もう彼らに対して嫉妬の感情も湧かないようだった。心の中で球児たちの活躍に『いいねボタン』を押し続けたのだった。誰かとこのこみ上げてくる思いを共有したいと思っても、甲子園は皆見慣れているのか私のように熱くなっている人間は見当たらない。そう。世間の皆さまはとっくに甲子園が感動的なことぐらい知っていたのである。世の中には感動的なことや面白いことがたくさんあるのだなと感じた。私がひねくれていたせいで、うまくそれらのことを受け取れなかっただけであった。それにしてもジャイ男は今頃どうしているのだろう。意外と大物になってたりして。どうだろう。

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