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#エッセイ
ベストな暮らしって難しい、だから暮らしを考えること楽しい
何やら物入りな期間になってきた。なんでストックって一気になくなるんだろう。
買い物についてはまだまだブラッシュアップが必要ではあるが、最近はネットでの買い物が主流だ。一人暮らしであれば、ストックをシンプルにしていたらほとんど収納を圧迫しなかった。使う量も少ないし、一人分というと限られていた。ちょっと多めに買ってもそこまで問題にならなかったが、二人暮らしになって管理に悩んでいる。
まとめ買いをやめ
思いがけず暮らしが豊かになったものと、私にとって食とは
ずっと気になっていたせいろを買った。
せいろというと少し高級な中華料理屋で出てくるイメージだけど、その調理方法は意外と簡単。そして、蒸し料理は栄養素も落とさずに火を入れることができて、何よりヘルシーに調理できる。
実家に帰ったときに、母に「せいろ欲しいんだよね〜〜」と言うと「結構面倒臭いよ」と一蹴され、ややその気持ちはしぼんでしまったが、やっぱり憧れは捨てられない。
買うなら、妥協せずそれなり
ゆるくデジタルデトックスを始めてみた
気づいたら、だらだらスマホを触って時間を溶かしている。特にSNSは中毒性が高い。「少しだけ見よう〜」が気づいたら数十分経っていたことなんて日常茶飯事だったり。
ああ、あの数十分前の判断をする前に戻れたら…なんて思っても遅い。次こそは長々とコンテンツを見ないぞ!と決めても、また同じことをしてしまうことも一度や二度ではない。
如何にユーザーを画面に釘付けにさせるか、私もインスタで伸び悩んだときはそん
自分のものさしに従う暮らし、表在化しないそのものの良さや背景を知ること
Instagramでこんな発信をしているのだから、きっときっと私の暮らしを見る人たちは「丁寧な暮らし」をしていると思うだろう。
こだわりの家具に器、そこそこ自炊はして、オーガニックやヴィーガンなものにも興味がある。自覚としても丁寧に見えるだろうとは思う。だけど、私自身は「『丁寧に』暮らそう」と思ったことはない。
ただ、心地よい方向にふわふわと流れた結果、行き着いた場所なのだ。
人によって趣味嗜
自分をケアすることとお掃除、案外似ているのかも?
ようやく、休日がきた。
疲労困憊の仕事終わりには、ごはんを食べることとお風呂に入ることで精一杯の私。ごはんが入っていた食器を洗うことだって、ままならない。
同居のパートナーは私よりも忙しい仕事なので、帰ったら家の中がすっきり片付いているということは少ない。
私の休日はまとまって家中を綺麗にするのにうってつけの日なのだ。
ここ数日で秋の足音が聞こえてきたなあというところから、一気に秋が目と鼻の先
自分の機嫌は自分でとること、その強さとは
なんだか、なんだか、おひさしぶりの投稿になってしまった。
以前ほど、noteに向き合う時間は多くなくて、他のやりたいことにリソースが分散されている。
この世界に生きているものたちは1日24時間しか与えられていないのだから、何をどう時間を使うかは永遠の課題なような気がする。
先日、こんな投稿をつくった。
先週は比較的自分のペースを守れていて、機嫌よく過ごしていたこともあって、ふとストーリーにてフ
「ちょっといいな」で購入できる時代の健康的な消費を考える
ああ、こんなに躍起になって何をやっているんだろうか。
布団の中でアクセス集中により、オンラインショップのサイトになかなか繋がらず、目の間の画面が真っ白になっているのを見ながら思った。
時間は年に数回の割引期間スタートの0時。お目当てのものを買って心置きなく眠りにつこうと思ったら、やはり同じことを考えている人たちがいたみたい。
人気の商品、お買い得になっている商品は早く売り切れる。
その前に手に
お気に入りのものに囲まれることで暮らしが豊かになったし、心が穏やかになった話
暮らしを整えること。手にとるものを本当に気にいっているものにすること。それはこの数年、私が特に意識していること。
度々話に出しているけれど、なんで暮らしを整えているのは、ただ「生きている」「日々を過ごしている」というだけの目の前の景色の色彩がだんだん薄れていくような生活にもう戻りたくないからだ。
一人暮らしを始めた当初から、もの選びについてはそれなりにこだわっていたつもりだった。物を買うのは基
暮らしの変化で気づいたシンプルに暮らすということ
ふたりで暮らすようになってきてから「これが自分にとって意外と大事なんだ」と気づかされることが多い。
ようやく物があるべきところに収められ、まあまあ生活も回りだしてきた今感じているのは「もっとシンプルに暮らしたい」ということ。
生活の違うふたり分の荷物を合わせると用途が同じものが2つあったり、多めに買ってあった分と日常生活を送る上ではちょっと多いんじゃないかという量の物たちとともに生活している。