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【連続小説10】愛せども

「でもね、お父さんは、暴力を振るう人だったの」リサはうつむきながら続ける。「ここの傷、気づいてないかな」
ブラウスのボタンを外し、鎖骨の下あたりを見せる。そこには少し茶色く変色した傷跡があった。大きくはなく、暗い部屋だと分からないくらいだ。

「お母さんとお父さんが喧嘩すると、私は怖いから台所から奥の部屋へいつも逃げていたの。でもその日はなんだか雰囲気が違って、その場を離れることができなかった。二人が言い合いをしているうちに、お父さんの怒鳴り声がいつもより大きくなって、お母さんの顔をひっぱたいたの。私はやめてって言いながら、お父さんの太ももに飛びついた。そしたらお父さんが食卓にあった灰皿を手で払って、私に当たったの。灰皿で殴ろうとかではなかったんだろうけど、そのときのかすり傷が、これ」
家庭環境が大変だったとは聞いていたが、そんな暴力がふるわれていたとは思いもしなかった。今まで聞けなかった話を聞けて、少し嬉しい気持ちもある。

「こんな話を人にするの、私はじめてだよ」
「話してくれてよかった」
僕とリサとの絆が深まったように感じた。

「誕生日にファミリーレストランに行くのも好きだったな」
安価帯のチェーンではなく、少しリッチなファミリーレストランに行っていたそうだ。家族全員、お金に余裕がないなりに持っているいつもよりフォーマルな洋服を着て、近所のファミリーレストランで食事をしたのだと。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんの誕生日もそのファミレスの行けるからね、兄姉の誕生日も、自分の誕生日と同じくらい楽しかった。いま考えると恥ずかしいけれど、いつもファミレスでハッピバースデートゥーユーを歌ってたんだけど、ほんとにおめでとうって思ってた」

数年後、いやもしかしたら数カ月後には終わってしまうとは思えない幸せそうな家族の風景だ。その間にいったいなにが起きてしまったのか、とても気になるが、そんな踏み込んだところまでは聞けなかった。

「あ、そのときの写真があるんだ」
スマホを取り出し、リサが見せてくれた写真は、5歳くらいの女の子と、「りさちゃん おたんじょうび おめでとう」と書いてあるチョコレートプレート、そしてストライプ柄のポロシャツを着た、顔が見切れている男性。リサは今でも時折その表情を見せる、右目のほうが少し大きい独特な表情。普段と少し違うのは、普段とりつくろっているからなのだろうか。子どものころのリサも、とてもかわいかった。
「この写真が唯一お父さんと写っている写真だから、今でも持っているんだよね」

二人で家に帰り、僕が風呂から出ると、冷蔵庫にその写真が貼ってあった。プリントアウトした写真も持っていたのか。リサにとってただ一つの父親との写真に、彼の顔は写っていない。

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