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Casa:日本の現代美術100人:現代美術は美術ではない。/美を超越するもの。/物質と言葉と時間と空間の自由のためにあるいは、人間の自由のために

No.1:現代美術とは何か?現代美術、それは美術ではない。

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物質と言葉と時間と空間の自由について、あるいは、人間の自由について。
そのことに思いを巡らせれば、それが現代美術となる。現代美術とは現代の美術のことではない。それは美を超越した自由についての術/思考のことだ。

現代美術とは古代から中世を経て近代へと継続される美術の現代のそれのかたちのことではない。それは美術という名前を冠されてはいるが、それは美の術のことではない。現代美術とはそれらから完全に逸脱した存在だ。そこには隔絶的飛躍が存在している。そのことを受け入れることができなければ現代美術のことは理解できない。現代美術は真の意味で〈art〉なのだ。

現代美術を「何でもありのもの」として侮蔑の眼差しを向ける人々が多数存在していることは承知している。彼ら、彼女らが拘泥し固執している美を全面的に否定するつもりはない。しかし、現代美術は何でもありのガラクタでもなければ、依存的嗜好品でもなく、ましてや、高度資本主義システムを高速に稼働させるための欲望の道具でもない。現代美術は「何でもあり」では決してない。そうではない。完璧に。仮にそう思うならばそれは無知と傲慢以外の何ものでもないということをあらかじめ申し上げておく。現代美術を侮辱することをわたしは許すことができないのだ。強く激しく。

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現代美術のことを思うならば、美のことは一旦、きれいさっぱりと忘れなければならない。そこに美が存在していないということではない。しかし、現代美術においてそれはもはや必要不可欠なものではない。隔絶的飛躍の意味がそこにある。現代美術において美は幾つかの人間的であることのその中のひとつの証左でしかない。現代美術はその呼び名とは異なり美を超越した存在なのだ。人間的であることが美を超えて現代美術の世界の中で爆発する。

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No.2:降臨する美の女神によってもたらされる美の恩寵、そして、人間の魂の救済

古代美術、中世美術、近代美術における美術はその姿かたちが如何に変容していたとしても、それらは美の女神によって支配されたものだった。美術とは君臨する美の女神の手の中に存在するものだった。人間はその美の女神の声に畏怖と伴に耳を澄ませることしかできなかった。人間は美の女神の忠実な召使でしかなかった。美は降臨するものであり、与えられるものでしかなかった。

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《ヴィーナスの誕生》1483年:サンドロ・ボッティチェッリ

サンドロ・ボッティチェッリ、ヒエロニムス・ボス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ピーテル・ブリューゲル、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ、ディエゴ・ベラスケス、レンブラント・ファン・レイン、ヨハネス・フェルメール、フランシスコ・デ・ゴヤ、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、ポール・セザンヌ、クロード・モネ、等々、美の天才たちとは、美の女神に選らばれし、美の女神に仕える美のための美の奴隷のことだった。美は人間を超えて存在していた。

その美の女神から授けられた美によって人間の魂が救済されたことは、まごうことなき真実だ。わたしたち人間は救われた。その美によって。人間の世界から美が失われることを考えれば、人間が美の女神の奴隷であることなど容易く受け入れることができることだ。いくらでも美の女神へ捧げようではないか。ありとあらゆるものを美の女神へ捧げようではないか。美のためにその時が到来するまでは、それで良いのだと思っていた。誰もが長き間。

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《最後の審判》1536年〜1541年:ミケランジェロ・ブオナローティ:システィーナ礼拝堂:フレスコ壁画

No.3:現代美術は第二次世界大戦(World War II)の後の世界に誕生した/美の女神の奴隷であることが放棄され、人間による人間の魂を救済するための行為として現代美術が生まれた

第二次世界大戦(World War II)血と肉と鉄の焼ける匂いに世界が包まれる

わたしたちから美が失われた。決定的に。あれだけわたしたちは美の女神を信じていたにもかかわらず。美の女神は沈黙した。血と肉と鉄の焼ける匂いを前にして美の女神は姿を消した。美の女神、あなたは、その時、何処にいて何をしていたのか?あなたは、なぜ、沈黙しているのか?あなたは、なぜ、わたしたちから美を奪ったのだ? 美の女神よ、あなたは何処へ去ってしまったのだ。美の女神よ、人間を救済するために美を与えたまえ。灰色の絶望に覆い尽くされた世界に与えたまえ。光を美を。われらと子供たちへ。

現代美術は第二次世界大戦(World War II)以後の世界に誕生した。それは美の女神が永久に地上から去り、世界から美が消滅した後に生まれた。現代美術は美の女神の召使ではない。現代美術には美の女神は存在しない。繰り返す。現代美術を美術だと思ってはいけない。それは人間が人間として人間を救済するために生み出した、美を内包しつつも美を超越した何かのことだ

現代美術とは、人間が沈黙する美の女神の奴隷であることを放棄し、人間自身のその手で作り出された物質と言葉と時間と空間によって組み立てられた人間の魂を救済するための行為のことであり思考のことであり物事のことである。現代美術は、美のためのものではない。それは美術ではない。それは人間のためのものだ。それは人間の自由のためのものだ。

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現代美術のそこに存在する美は人間の手によって生み出されたものだ。そこには必ずしも美の女神が人に授けたような美しさは存在しないのかもしれない。場合によっては、グロテスクで醜悪なものとして現れるのかもしれないあるいは、瞬間的に生成消滅するような身勝手なものなのかもしれない。かつての美とは、それらは全く異なった様相をしているものたちだ。それらが極限的には人間のためのものであったとしても、それを美と呼ぶことは受け入れ難いことなのかもしれない。美の女神からもたらされた美に救済された者たちにとって。美の女神の世界大戦の沈黙と裏切りを前にしても。

だが、しかし、そこには自由が存在している。人間の魂を救うための自由が。人間による人間として人間のために人間を救済するために生み出された、美を超越した〈もの/こと/ものごと〉としての現代美術。現代美術はそのことをもってして〈art〉なのだ。まぎれもなく。

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No.4:人間の身体を揺り動かし変容させる装置としての現代美術/魔法としての現代美術

現代美術とは、物質と言葉と時間と空間の自由によって、人間の身体を揺り動かし、その肉体と意識を変容させる装置のことである。

現代美術は「目で見るもの」であった美術を「体験するもの/こと/ものごと」へと変貌させた。目から身体へ。身体から意識へ。それは人間の存在そのものに作用する。さらに、それは人間の集まりである共同体へ作用する。現代美術は物質(光と音を含み)と言葉(コンセプト)と時間と空間によって構成され形成された、物質/物体であり、言葉/情報/映像/音響/機械/道具/家具/建築/であり、事柄/出来事/事件/事象/現象であり、時間/時(刻、点)であり、広がり/空間/場所であり、人間の存在のありようを変容させるもの

それは見るものであり聴くものであり触れるものであり、人が使うものであり人を使うものであり、人と一体となるものであり人の部分となるものであり人をその部分とさせるものであり、人を内包するものであり人に包まれるものであり、只中で体験することであり只中の外部で体験することであり、感じるもの/ことであり、思うもの/ことであり、考えるもの/ことである。

だから、現代美術は時に、物質と言葉と時空を操る魔法として人間の前に出現することになる。魔法としての現代美術。現代美術が人間に示すその魔法

そこでは物質がイメージとなり言葉となり言葉が物質となりイメージが物質となる。時間が操作され、時間の流れが変貌する。時間が停止し固体化し時間が断片化し粒子となり、時間が風となり瞬間的に疾走する。空間が操作され、空間が変容する。空間が変形し解体され空間が溶解し液体となって、空間が水となり河のように流れ海のように揺蕩う。物質と言葉と時間と空間が現代美術の魔法の手によって、全く新しい相貌を顕わす。

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No.5:現代美術は如何なる意味でも〈教養〉ではない/くたばれ!ガゴシアン 咆哮せよ!現代美術

「人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす。とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である。」           (日本大百科全書(ニッポニカ)「教養」の解説より引用)

〈教養〉を仮に上記のような意味とするならば、現代美術は如何なる意味でも〈教養〉ではない。現代美術は「豊かな人間の精神を持つ高等円満な人格の調和的人間である教養人」を生み育てるものではない。その真逆のものとさえ言っていい。

現代美術は〈art〉なのだ。〈art〉の必然として、それは〈教養〉を破壊する全体を破壊する。調和を破壊する。円満な人格を破壊する。それにどのような衣を被せ見栄えを小奇麗に整えたとしても、それは逸脱であり過剰であり混沌である。〈art〉とは世界を揺るがし転倒させ壊し、歴史の歯車を回転させる獰猛な生命なのだ。それは死に抗うための生命であり、それは常に変転し常に新しいものに変化し、それは常に秩序に挑戦するものたちなのだ

戦略として戦術として、現代美術に「現代人の新たな必須の〈教養〉」という衣を被せその本質をカモフラージュさせるということなのかもしれない。それはそれで作戦として重要なことであり、現代美術を現実の中で生存させ生き延びさせるために必要なことでもあるのだろう。生き残るための戦略として戦術として。必要なものとして。

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でも、だからといって勘違いしてはいけない。現代美術を知識としてはならない。現代美術を教養としてはならない。なぜなら、「現代美術は現代人の豊か暮らしに必要な新たな〈教養〉のひとつだ。」という認識は、人間によって新たに形成される「人工の美の女神」の創造であり、美の新たな支配を意味しているからだ。それは高度資本主義システムという人工の美の女神による、美の階級の再編成と美の商品の序列化でしかない。現代美術がパッケージングされ商品となり、「豊かな暮らしに必要な〈教養〉」として情報化される。虚栄の欲望を解き放ち蕩尽するアートマーケットの中で、現代美術が欲望の炎によって焼き尽くされ灰となる。まるでソドムの市のように。

そこには自由はない。それは〈art〉ではない。カモフラージュが気が付いた時には、その体と一体化した皮膚になってしまわないように、羊の皮を被った狼として雌伏の時を経て、その時を待て。偉大なる〈artist〉フィンセント・ファン・ゴッホとヘンリー・ダーガーの魂のために。その鎮魂のために

くたばれ! ガゴシアン    その欲望の華麗よ
くたばれ! アートコレクター その欲望の深淵よ
くたばれ! アートマーケット その欲望の無限よ

現代美術よ、現代美術よ、現代美術よ、〈art〉の名の下、その旗を振れ!

逆らえ、高度資本主義システムという名前の人工の美の女神に、抗え、その自由を奪うものたちに、撃て、美の階級闘争を、戦え、人間を支配しようとするものたちと、生き延びろ、欲望の燃え上がる荒地の中で、両手を広げて

咆哮せよ! 現代美術 人間のために、自由のために、〈art〉のために

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あとがき:現代美術好きにはたまらない一冊/作品集としては物足りないけれど、100人の日本の現代美術作家が集まった、不思議に満ちた素敵な一冊/現代美術はこわくなんかない!

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本当はこの本に掲載されている多くの現代美術作家について、その作品について語りたいのだが、あまりにも多くの人々について書かれているので、とてもではないけれど、一度には語れない。

溜め息と嫉妬と歓喜、この一冊をひとことで表現すればこうなる。

オマージュとアジテーション。今回は、現代美術の生誕の瞬間をその来歴と伴に限りないオマージュとして、そして、現代美術への欲望に対するアンチテーゼを複雑で屈折したアジテーションとして、一文を提示すことにする。機会があればいつかひとりひとりについて一文を書きたい。捧げものとして

私には何を基準にして100人が選ばれたのか分からないけれど、これだけの日本の現代美術作家が一冊の本の中に共存することはもうないのではないだろうか。村上隆、宮島達男、杉本博司、李禹煥、奈良美智、塩田千春、川俣正、内藤礼、森村泰昌、菅木志雄、加藤泉、横尾忠則、杉戸洋、などなど、なかなか一冊の中でこの組み合わせはない。と思う。でも、私の中では全部つながっている。節操もなく脈絡がないと思われてしまう方もいるのかもしれない。だけどそうじゃないんだ。現代美術の不思議に満ちた素敵な一冊。

時間性において、杉戸洋と李禹煥と宮島達男と杉本博司は緊密につながり、物語性とイメージ性において、横尾忠則と村上隆と奈良美智と加藤泉と森村泰昌と塩田千春は深く関係している。そして、空間性と物体性と意味性において、川俣正と内藤礼と菅木志雄は互いに相補している。さらに言えば、杉戸洋と塩田千春と内藤礼と奈良美智の作品には、同じ音楽が奏でられているそこにはひとつの巨大なレクイエムが存在している。音楽としての現代美術

現代美術が持つその多彩な表情と現代美術が現代美術として背負うことになってしまったその軽さと重さが一冊の中で犇めき合う。

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100人の中には私が知らない方もたくさんいて、多くの発見もあった。作品の掲載が少ないので作品集としては物足りないけれども、作家に焦点が当てられていて貴重なインタビューもなされ、それがこの本の魅力となっている

現代美術好きには最高のたまらない一冊。
価格もこのサイズ(縦28.5cm×横23cm)と厚み(1.2cm)で定価1650円。
春の季節がその暖かな風と伴に、わたしたちに贈ってくれた夏の前の贈り物

ひとりでも多くの人に手に取って見て読んでほしい。
現代美術はこわくなんかない!

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