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堕落から見た、もうひとつの世界。

今回も長文になる様な予感がするので、目次を付け足しておく事にする。

また、後日各章については別の記事として纏める予定。

*一部脈絡がズレている箇所もあります。

目次
〜 第一章 出発点 堕落行き〜
1 堕落へと続く道
2 裏切られた果てに辿り着いた 堕落 と言う世界
3 他人の不幸は蜜の味 他人の幸は○○の味
〜 第二章 堕落者から見たこの世界の景色 〜
1 努力は報われる とか言う戯言
2 この世は私にとっては生き辛い
3 全ては金や地位で決まる
〜 第三章 終点 堕落の底 〜
1 裏切られた果てに裏切りは続くよどこまでも
2 敗者は全員パラレルワールドの人間だ
3 平気で人を殺す 現代社会の人々
〜 まとめ 堕落から見たもうひとつの世界 〜
1 努力をしない者が報われているのは何故だ
2 パラレルワールドの住人からのひとこと
3 成功者の声が一番うざい

〜第一章 出発点 堕落行き〜

1 堕落へと続く道

○今進んでいる道が明確かどうかはその人じゃないと分からない。
必ずしも 「それが正解」、「それが間違え」等自分にしか分からない。
自分にしか分からない道を赤の他人に頼った所で、「どれが正解で間違え」 かは分かるはずもない。
唯一分かるのは 「この道を進めば光が見えるはず」と言う一光の希望があるだけだ。

例え、それが茨に続く道であったとしても、砂利道であったとしても、又は沼地へと続く道であったとしても 「これは正解」、「これは間違え」等分からないのだ。

唯一分かる道がある。
それは 「堕落へと続く道」だ。
堕落へと続く道を見つけるのは簡単でもあり、難しい。
しかし、「これは恐らく堕落へと続く道だろう」と言うのは経験した人であれば分かるはずだ。
そもそも、どの道にも指標がある。
「成功者への道」等が恐らく該当すると思う。

成功者への道を通る際、必ずしもその成功者がある程度の道のりを先導してくれるはずだ。
だが、「堕落へと続く道」はどうだ?
「指標」所か「先導者もいない」のだ。
あるのは恐らく 「一光の光」 だけだ。
一光の光が指す先が 「成功への道」と言う訳では無い。
その 「一光」に惑わされてはならない。
その光の先が 「堕落」 であった場合、終点 〜堕落の底 〜 に辿り着くまでは引き返す事は出来ない。
いや、寧ろ 「引き返す方が怖い」 のだ。
一光の光であって、それが 「希望に充ち溢れた光」 であったとしても、進まなければ先を見る事が出来ない。
何しろ 「堕落へと続く道」 に進んでしまった場合、「後戻りが出来ない」 のだ。

2 裏切りられた果てに着いた 堕落 と言う世界


○堕落へと続く道は他の道に比べると 「優しさ」 を感じてしまう。
その 「優しさ」 が必ず 「人の温もり」 と言う事が最も恐ろしい事なのだ。

裏切りられた果てに辿り着いた 「堕落」 と言う世界はとても不思議なくらい、他の道と比べて 「どこか優しい」 気がする。

「優しさ」、「温もり」
これは恐らく 「裏切りられた者」 が最も必要としている要素だと思う。

人間は誰しも辛い事があると 「人の温もり」 を感じたければ、「優しさ」 を感じたい時もある。

この 「優しさ」 を 「癒し」 に例えるとわかり易いかもしれない。

私が 「堕落」 へと進んだ際に一番求めていたものこそが、この 「癒し」 だった。
一人で寂しい時に何か辛い事が起きる度に 「癒し」 を求めた。
その 「癒し」 が 「堕落へと続く道の指標」 である事にも気付かずに。

しかし、「堕落の世界」には 「何も無かった」。
あるのは 「自分の望まない世界」だけだった。
「堕落」 と言う世界に降り立った私は、声がこだましない満天の星空を望む暗い草原に居るようだった。

「助けて」 と言う声は無数の星には届かず、強い風で一気に揉み消されてしまう。

残ったのは、「私」 だけだった。
そう、「堕落」 と言う世界から 「現実世界」 に幾ら助けを求めようが声は届かないのだ。

声を発するたびに風が煽る様に吹き、嘲笑うかの様に星空がキラキラと煌めくだけだ。

そう 「堕落」 と言う世界は 「優しさ」も「温もり」は無い。
ただ佇む 「自分」 と言う存在が居るだけの世界だ。

3 他人の不幸は蜜の味 他人の幸は○○の味

○ 「他人の不幸は蜜の味」 と言う言葉がある。
私が良く耳にして聞き飽きた代表格のひとつでもあると言ってもいい。

幸を授かった者からすれば、「堕落」 と言う世界に佇む私は 蜜の様な甘い味がするらしい。

私が佇む 「堕落」 と言う世界から見た、幸を授かった者はどの様な味がするのだろうか。

それは 「黒黒とした血の味」だ。

「堕落」 と言う世界に落ちた私を嘲笑うかのように、「幸を授かった者」は蜜を食べるかの如く楽しんでいる。

私が落ちた 「堕落」 と言う世界からは、幸を授かった彼等を見る事はできるが、反対に幸を授かった者は 「堕落」 と言う世界に落ちた私はどうにも見えないらしい。

私の叫ぶ 「助けて」 の声だけはすんなりと彼等の世界へと溶け込み、やがて 「蜜」 となって彼等に蓄えられる。

彼等の発する 「毒」 は やがてこちらの世界へ溶け込み、 「血」 となって降り注ぐ。

しかし、この 「血」 は目視では見る事が出来ないのだ。
だから、雨宿りしようにも 「何処から降り注いでいる」 か分からない為場所を探す事が困難になる。
空は 「満天の星空」 であったとしても、この 「堕落」 と言う世界には 「透明な雨」 が日々降り注いでいる。
そしてこの雨が止むことはない。

そこに 「幸を授かった者」 の業があり続ける限り、この世界で雨が降り止むことは恐らく無いだろう。

「堕落」 と言う世界での声は 「蜜」となり、反対側の世界で幸を降り注ぐ。

しかし、蜜を食べたものの声は 「血」となり、「堕落」 と言う世界で降り注ぐ。

「堕落」 と言う世界から見た他人の幸福は 「血の味」 しかしないのだ。

〜第二章 堕落者から見たこの世界の景色〜

1 努力は報われる とか言う戯言

○「努力は報われる」 と言う有名な名言がある。
しかし、私はこの言葉を飽きる程、腐る程耳にして飽きてしまったのだ。

「努力は報われる」 「努力は実る」 果たしてそうか?

この言葉を 「失敗した人」 に対して言う人がいるが、やめておいた方がいい。
何故なら、「その人がやってきた努力」 が 「報われていない」 のなら発するだけ無駄だ。
いや、「その人にとっての致命傷」 を与える事になるだろう。

「努力は報われる」 と言うのは 「戯言」 に過ぎない。
それにこの言葉はあまりにも 「卑怯」 だ。

そもそも 「努力」 とはなんだ?
人に認めてもらう事が 「努力」 なのか?
自分を磨く事が 「努力」 と言えるのか?

私にとっての 「努力」 は 「生きる事」 だ。
どんなに辛い事があろうとも、どんなに災難が振りかかろうとも挫けずに、そして 「死」と言う誘いがあろうが、それを振りほどいて生きて行く事だ。

だが、「私の努力」 は認められないのだろうか。
世間的に見たら 「たったそれだけの事か」 と嘲笑われるだろう。

「努力は報われる」 二度と耳にしたくない戯言だ。

現に 「努力」 と言う事をせずにこの世を謳歌している者達はなんなのだ?

と日々思う私がいる。

「努力は報われる」 と言うのであれば 「必ず報われなければならない」
「努力は報われる」 と言う 「言刃」 は その人の努力を底から捻じ曲げる 「凶器」だ。

それとも 「見合った努力を続けろ」 という事なのだろうか。

それとも 「堕落」 と言う世界に落ちた者達だけに与えられる 「試練のひとつ」 なのかもしれない。

単に私が 「その試練」 を乗り越えていないだけなのかもしれない。

2 この世は私にとっては生き辛い

○ 日々よく思う事がある。
それは、「この世は私にとっては生きづらい」だ。
日々の混沌に対して呆れているのか、それとも何かを掴めずにいる自分にむしゃくしゃしているのか、私には分からない。

1 の努力は報われる と言う話でも話した通り、私は 「生きる努力」 をしている。
幾ら裏切られようが、辛い事が振りかかろうとも挫けずに前を向く と言う 「努力」 だ。

「挫けずに前を向け、例え辛い道のりだとしても」 と言うのが頭にあるからなのか、私はそうしている。

いや、そうしないと 「この世で生きていけない」 からだ。

この世は何があっても 「前を向く」 事が必須科目である。

過去への折り返しも出来ない、先の未来は分からない、前を向かなければ世界は見えない

「時間が過ぎれば解決する」 と言うのもよく耳にする。
幾ら失態を犯したとしても、「時間」 と言う呪縛に従わなければならない。

そう私達はこの 「時間と言う呪縛」 から逃れる事は出来ない。
「時間に逆らう」 という事は 「この世の理に逆らう」 と言っても等しい。

私が思うに、この 「時間と言う名の呪縛」 こそが平等に与えられた唯一の罪であり、救済だと考えている。

「堕落」 に落とされようとも、自分で這い上がっていくしか 「脱出する方法」はないのだ。

そしてこの 「呪縛」 から逃れる事は出来ないのだ。
唯一できるのは 「従う」 これだけしかない。

一説によると、タイムマシンを開発する場合はブラックホールの光の速さを越えなければならない と言われている。
これはどういうことなのかと言うと、「その光にも耐えうる物質が必要である」 という事だ。

そして 「それに耐えれないと乗っている人間は消滅する」 と言う事にもなる。

この 「時間」 が 「罪」 であり、「救済」 と言う 呪縛 と言うのなら一体何の 「罪」 を犯したと言うのだろうか。

正味、私は 「努力をしていない身が現実世界を謳歌しているのは何故だ」 と思う時がある。

私が善意ある行為をしたのにも関わらず、何故 「怒られ」、「苦しみ」 を味あわなければならないのか理解し難い。

前に 「過去に戻りたい」 「人生をやり直したい」 と言う知人が居た。
本当に戻れる方法があるのなら、「戻りたい」 と言うの私の答えだ。

「過去に戻りたいと言ってる人は、戻っても何も出来ない」 と言ってる人もいる。

しかし、本当にやり直せるのなら
何か 「時間と言う呪縛」 が誤って歪み、自由に行き来出来る と言うのであれば、私は戻りたい。

私にとって この世は非常に 「生き辛い」からだ。

3 全ては金や地位で決まる

○この世はある程度のルールが決められている。
そのルールが例え、最初から予め定められていなかったルールであっても 「罪人」 扱いされる。

全て腐り切った大人が封じ込めた 「野蛮なルール」ばかりだ。

「ルール」が厳し過ぎる辺り、生きづらさを感じる人が多いのも目に見えた事実でもある。

彼等は 「ルール」 を決めるが、それで他人が苦しんでいようが 「どうでもいい」 で全て片付けてしまうのだろう。

邪道にそれた行為にも等しい。

しかも、これを決めているのは 「金や地位」 を持っている者達だから腹立たしい。

そう、自分が定めたルールに従わない奴等は 「金や地位」 で捩じ伏せる事も可能になる。

彼等は 「金や地位」 でルールを決め、「金や地位」 を使い苦しむ者を底からねじ伏せているのだ。

彼等の行為は 「邪道」 という言葉では表せない程 「卑怯」 過ぎるのだ。

「金や地位」 でルールを決める
「金や地位」 でルールに従わない者を捩じ伏せる。

これは 「フランス革命で終わった話」では無かったのだろうか?

〜 第三章 終点 堕落の底〜

1 裏切られた果てに裏切りは続くよどこまでも

○ 1つの 「裏切り」 があったからと言って、次に「晴れる」 訳では無い。

「裏切り」 は 「裏切り」 として連鎖していくのだ。

幾ら 「裏切り」 があったからと言って 「次は大丈夫」 と言う流れには 「決して」 ならない。
「裏切り」 は連鎖していくのだ。

私がそうだった。
私が 「堕落」 に居たからなのかもしれないが、裏切られては、裏切られては が続いていた。

ある時は金銭面で裏切られ、ある時は友情面で裏切られ、ある時は恋愛面でも裏切られたのだ。

私は 「人間不信」 になりかけた。
「癒し」 を求め、「温もり」 を求めて辿り着いた先が 「堕落」 であり、「裏切り」 であった。

私が 「裏切られた」 事で、私の思いは甘い蜜となり、「堕落」 から 「現実世界」 へと流れ込む。

私が 「堕落」 と言う底に居座るから、見えた景色なのかもしれない。
また、何度も言うが

「堕落」 にいる者からして、現実世界で幸を味わう者が「堕落」に流した蜜の味は 「血」 だ。

2 敗者は全員パラレルワールドの人間だ

○ 私達と言う 「敗者」 には似つかわしい名前が決められている。

それは 「社会不適合者」 と言うレッテルだ。

私達と言う 「堕落」 の人間は 「現実世界」 を楽に渡り歩く事がそもそも出来ないのだ。

思い出してみて欲しい。

「何故、努力もしない人間がこの世を謳歌出来ているのか」

答えは簡単だ

私達 「敗者」 は 「堕落という名のパラレルワールドに住む住人」 だからだ

私達と彼等では見ている世界がそもそも違うのだ。
「堕落」 と言う世界は 「敗者」にだけ 「優しい」 のだ。
どんな悪人だろうとも、「堕落」 はそれを 「優しく」 歓迎するだろう。

「堕落」 は 「唯一優しさを忘れない世界」 であると言ってもいい。

「社会不適合者」 と名付けられて、「社会から拒絶」 されるのは、私達 「社会不適合者」 が 「パラレルワールドの住人」 なのだから当たり前なのだ。

3 平気で人を殺す 現代社会の人々

○ 現代社会は平気で人を殺している。
何故か、「堕落」 と言うパラレルワールドからの現実世界へと干渉する事は難しいが、「現実世界からのコンタクト」 は可能らしい。

その為、彼等は住人を見つけては 「言刃」 を使い次々と殺していっている。
まるで 「通り魔」 の様だ。

彼等に 「堕落」 の住人の声が届く事はまず持ってない。
幾ら 「助け」 を求めようが 「無駄」 だ。

そもそも彼等には 「言刃」 で殺める と言う癖が付いてしまっている。

彼等はどうしようも無い奴等だ。

また明日も、その次の日も次の日も 「言刃」 を使い人を殺めるだろう。

「駅から人が飛び降りた」 「誰かがビルから飛び降りた」 と言うのを毎度聞く度に、「死人に口なし」 なのか 「死体撃ち」 している奴等がいる。

彼等に 「制裁」 を何故下さないのか。
何故 「彼等の様な野蛮な分際が現実世界を謳歌しているのか」

疑問に思っている。

あ、そうか

「彼等は平気で人を言刃で殺めるのが癖なのか」

〜 まとめ 堕落から見たもうひとつの世界 〜

かなり長くなってしまった。。

1 努力をしない者が報われているのは何故だ

○ そもそも彼等は 「努力している」 立場の者を平気で殺める癖がある。
彼等は 「努力」 と言う言葉を間違って使っている。
「努力は報われる」 と言う名言はふざけた戯言に過ぎない。

努力をしていない彼等が 「堕落」 に干渉出来るのは何故なのか。
何故、彼等が 「蜜の味を味わい」、「堕落」の人間が彼等の 「血」 を味あわなければならないのか。

私は悪い事はしていない。
しかし、日々彼等の 「血の蜜」 を浴びる日々だ。

「言刃」 で殺める彼等の 「蜜」 に 「毒」 を入れる事が出来ないのだろうか。

2 パラレルワールドの住人から一言

○ 努力をしない彼等が何故、「努力をしている」人間を平気で殺める事ができるのだろうか。

「努力」 と言う 「裏切り」 を背負い日々励む彼等が何故、努力をしない者に殺められなければならないのか。

「堕落」 から見た 「現実世界」 は非常に 「悲惨」 だったのだ。
だから、私達は 「堕落」 に居心地を感じているのかもしれない。

「堕落」 は非常に居心地がいい。

暗い空に光り輝く無数の星が、私たちを煽る 「煌めき」 であったとしても、そこに何らかの 「居心地」 を感じているのかもしれない。

彼等に私達 「堕落の住人」 の声が届く事はない。

しかし、彼等は 「自分達の愚かさ」 に気づく時が来るだろう。

もしかすれば、その時に私達 「堕落」 の声が届くのかもしれない。

3 成功者の声が一番うざい

○ 最後に私が言いたい事は 「成功者の声は、敗者からすれば美味しい反面、クソ不味い」 という事だ。

そもそも 「成功者」 は 「現実世界の住人」 である為、「堕落」 に干渉する事ができる。

そして、干渉して 「堕落」 の世界へ 「甘い蜜」 を垂れ落とすのだ。

しかし、これにまんまと釣られてはならない。
何故なら

「甘い蜜が更に堕落へと突き落とす」可能性が高いからだ。

だから、私は 「成功者」 の言う事が 「全て」 とは思わないのだ。

**蜜が更に堕落を産む **

「成功者」 の 「蜜」 は 「猛毒」 である。

心に大怪我をした 「堕落」 の住人がその 「蜜」 である 「猛毒」を呑んでしまえば 「死」 に当たる可能性も高い。

「治癒の蜜」 ではなく、「猛毒の蜜」 ならば、人を殺めかねない。

「成功者の蜜が治癒の蜜」 であるとは到底思えないのだ。

私が 「成功者の蜜」 を欲しがらないのは、上記の事が理由であったりする。

「成功者の蜜」 は 「猛毒」 である可能性も非常に高い。

だから、私は進んでその 「蜜」 を受け取ろうとはしない。

何故なら

彼等は平気で人を殺めかねない 「現実世界」 の住人だからだ。

だが、私は彼等に従う気などない。

私は私の手で掴むべきものを掴む為、一から全てを始める と言う 「強い意思」 があるからだ。

おわり

#コラム #生き方 #病み #社会



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