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煙草と歴史と文化が燻る一関市千厩町で途絶えていく記憶史を想う|千厩図書館・千厩酒のくら交流施設・せんまや街角資料館|散策記

ゴールデンウィークの喧噪から逃れるように岩手県一関市千厩町を訪れた。


歴史と文化が燻る一関市千厩町|ゴールデンウィークの喧噪がない世界を歩く

一関市立千厩図書館の入口と役所

最長10連休にもなる今年のゴールデンウィークは、新型コロナウイルスによる混乱が収束し、外国人観光客によるインバウンドで賑わうこの頃の情勢もあり、浮き足立った人々が多く見られる。普段は閑散とし、閑古鳥の鳴き声しか聞こえないような岩手県であっても、内陸の都市部や名の通っている観光地は些か混み合いを見せていた。

せっかくの連休を家で過ごすのも味気ない。そんな気持ちに駆られて外へ出てみたものの街を行き交う自動車の多さに辟易とせずにいられなかった。ゴールデンウィークでさえ日頃と変わらぬ閑散さの大船渡市との差に何とも言えない気持ちにさせられる一方で、休日は静かな場所で心安まる時を過ごしたい身としては、どちらが好ましいのか判断に迷う。

曖昧な感情の波間に揺られながら、ふと思い立って降り立ったのが一関市千厩町だった。宮城県気仙沼市にまつわる話ばかりを言葉にしている本noteなので、読者にとっては急に馴染みのない土地の名が出て来て首を傾げる者もあるかもしれない。しかしながら、実のところ本noteで千厩町の地名が出るのは二度目である。

3月の半ばに畑ノ沢鉱泉たまご湯について書いたわけだが、まさに畑ノ沢鉱泉たまご湯があった土地が千厩町だ。といっても今回記事にする役所周辺の地域と畑ノ沢鉱泉たまご湯があった地域とでは、随分と距離がある。車で10分程度はかかるのでなかろうか。住民でない筆者にとっては、中々どうして同じ地域にあるとは思い難い。

一関市千厩町の地域おこし協力隊の記事に導かれる

先ほどの地図を見てもらえると一目瞭然だが、千厩町は山間にある地域である。一昔前には独立した自治体であったが、一関市に吸収合併されて今の姿になっている。中山間地域の町であり、吸収合併された町と聞くととても小さな町に思えるだろうが、実は今なお1万人程度の人口を有している町である。

近隣の気仙郡住田町の人口が4,700人程度である点を思えば、未だ独立を保っていても不思議ではない。余談というほどの余談でもないが、実際に千厩町と気仙郡住田町の両町を訪れると、肌感覚として人口差を感じられるように思える。千厩町は町と思えない程に店舗が多い。チェーン店がそこそこ存在しているし、フィットネスクラブのようなある程度の人口がないと存在しないような個店も見られる。

一方で気仙郡住田町は、飲食店さえ多いと言えず、商業地というほどの商業地も見られない。それだけの確かな人口差が存在している。とはいえ、山間にある町という点については同様である。今回、そんな山間にある町をなぜ訪れたのかというと、ある記事がきっかけである。

千厩町は、気仙沼市と一関市の間にあり、これまで通過することはあっても車を停めることはほとんどなかった。散策するなどもってのほか、と言って良い。一方で、通過する際に商店街の中に入るわけでないため、どんな町並みがあるのか、どんな場所が存在しているのか興味はあった。そんな折、地域おこし協力隊として着任した遠藤氏の記事を読んだのである。

記事中、幸せとは何かについて考えたといった記述があり、考えた結果として地元へのUターンに至った旨が書かれている。幸福とは人の数だけ存在し、どれ一つとっても同じものはない。アンナ・カレーニナで有名な言葉には反するが、それが幸福の現実である。筆者は今、そんな一つとして同じものがない幸福について、考えを巡らせている。

だから一人の人間が幸福を考えた末に辿り着いた地域に興味が湧いた。また、本noteでよく話題にするくるくる喫茶うつみのマスターは、千厩町から気仙沼市に通っていると話を聞いた覚えがあり、話の種としても良いように感じられた。この日はSSGのリスニングパーティーが控えており、その意味で丁度良さもあったのである。

国登録有形文化財「横屋酒造・旧佐藤家住宅」が魅せる大正浪漫に浸る

千厩図書館は、とても小さな図書館だった。所狭しと並ぶ背の低い本棚たちは、学校の図書館を想起させ、どこか懐かしさのような情愛が湧き上がってくる。ほんの数分で全体を歩ける規模である。春先に顔を覗かせるふきのとうのように大きさを競い合う各地の図書館たちに対して、千厩図書館の大きさはどこか時代錯誤を感じさせる。だが、そんな昔ながらの素朴さがかえって温かみを生んでいる。

春の穏やかな日差しの中で思い思いに書物を楽しんでいる子供たちやご婦人たちの姿から感じられるのは居心地の良さである。大きければ良いというものではないといった話は多くのものに言えるが、もしかすると図書館もそうでなかろうか。そんな思いを抱くほどに幸福な光景が広がっていた。

幼稚園

図書館から少し歩くと広大な敷地の中に幼稚園の姿が見える。後に書くが、この地は元々煙草の倉庫があったそうである。

千厩酒のくら交流施設の外壁

幼稚園から商店街の方へと歩く。すると旧き時代を彷彿とさせる景色が目に入ってくる。

門からの景色
入口の案内

酒のくら交流施設は、国登録有形文化財「横屋酒造・旧佐藤家住宅」を活用した観光文化交流拠点施設である。その名の通りかつての酒造施設の様子が見られ、そこでの交流を楽しめる。

厳めしい門構えとどこか閉鎖的な空間に見えるせいで「入って良いのだろうか」と悩み去って行く人々も多いそうであるが、誰でも気軽に入って良い施設だ。隣接する土地に駐車場もある。

中央の建物の右側が駐車場であり、その奥に千厩酒のくら交流施設がある
千厩酒のくら交流施設内は、「横屋酒造・旧佐藤家住宅」と旧家屋や蔵を活用した小売店・喫茶店がある
売店と観光案内所
旧佐藤家住宅
旧佐藤家住宅

旧佐藤家住宅内に入り、内部を観覧できる。後から知ったのだが、二階にも上がれるようである。旧佐藤家住宅内を移した写真の2枚目の右下に靴が置かれているが、どうやら2階の観覧に向かった人が居たようだ。

美しい庭園も楽しめる
酒造施設などの旧い建物群を見られる
酒造施設
現在はコンサート会場として利用されている建物もある

国有文化財と謳われているため、繊細な取り扱いを必要としている場所に思われるし、事実そうした一面はあるが、千厩酒のくら交流施設は交流施設として様々な利用が行われている。例えばドラマの撮影やコンサート、コスプレイベントなど多種多様なイベントで使われてきた。大正浪漫を感じられる施設でコスプレが許可される場所は少ないため、刀剣乱舞といった”時代”を背景に必要とする作品のコスプレを嗜む人々が撮影に利用するケースが多い。直近だと2024年5月11日に同人誌即売会が開催される。

蔵の中のカフェ・樂(うた)で絶品の珈琲に感動する

蔵が建ち並ぶ道を散策し、入口の近くへと戻る。

蔵が建ち並ぶ

雑貨屋に入ると店主から珈琲店の素晴らしさを伝えられた。何でも特殊な淹れ方をするため頗る美味しいらしい。

樂(うた)

西洋館と呼ばれる建物の一階。雑貨屋の斜め向かいにその珈琲店はあった。看板の文字は谷川俊太郎氏によって書かれているそうである。少しだけ重い扉を開け、中に入ると外観からは想像もつかないほどにモダンで落ち着いた内装が目に飛び込んでくる。ピアノの鍵盤を模して造られたであろう木製の机と椅子が良い味を出していた。もっとも先客が居たために利用できなかったが。

プリンとアイスコーヒー

プリンとアイスコーヒーを頂く。なるほど確かにコーヒーが頗る美味である。口に含むと爽やかな味が口の中全体に広がるが、飲んだ後にはコーヒー特有の苦みが口の中に残らない。あまりの飲みやすさに驚嘆する。プリンもまた絶品であった。お手製のコーヒーによって生み出された層があり、甘みと苦みのバランスが絶妙で、コーヒー同様にすっきりとした味わいであった。甘味が苦手な人々でも後味の悪さに苦しまずに済むのでなかろうか。教えてくれた雑貨屋の店主への感謝の念が絶えない。

旧専売局千厩葉煙草専売所・せんまや街角資料館で煙草農家を通じた千厩産業史を聴く

国登録有形文化財「旧専売局千厩葉煙草専売所」
国登録有形文化財「旧専売局千厩葉煙草専売所」の説明書き

千厩酒のくら交流施設を後にして、せんまや街角資料館へと足を踏み入れる。この施設は、旧専売局千厩葉煙草専売所の建物を利用した千厩の歴史や文化を伝える資料館である。鉱石やかつて千厩町で隆盛した煙草農家に関する資料、養蚕に関する資料が収められている。煙草神社建立に関する写真には、かつて存在した日独伊三国同盟を見て取れる旗が写ったものがあり、安直な感想になるが、”時代”を感じられた。

資料館では、スタッフの方から千厩町の産業や歴史に関する様々な話を伺った。取り分け煙草農家に関して、戦時中の日本の政策がもたらした影響や煙草農業の繁栄と衰退、それに連なる街の栄枯盛衰について懇切丁寧な説明を聴いた。そもそも日本全国を見渡しても、旧専売局による煙草専売所の建物が残っている場所は、最早この場所くらいしかないそうである。

煙草神社は辛うじて各地に未だ残っているが、それも時代の波に呑まれ、かつての姿のまま残っているものはどれだけあるかといった状態なそうで、宮城県にある煙草神社に行ったときの話を伺いながら、煙草神社が建てられた時代背景などについて思いを巡らせた。千厩町にある煙草神社の移設の歴史も興味深く、いつかこの目で見に行こうと強く感じている。

ところで、煙草農家や養蚕を営む人々は、未だ千厩町及びその近辺に存在しているそうである。煙草農家は20件程度、養蚕に至っては数件と極めて稀少な存在となっているが、それでも残っているというのだから驚くよりない。スタッフの方からそうした昔と今を繋ぐ話を聴きながら、このような話を聴けるのは、それを話せる世代が存命の今だけなのだと想い、感傷めいた心持ちになったことを覚えている。

一方で、そんな稀少な時間を過ごせた機会に感謝の念を抱いた。大都市や有名どころの文化や産業、地域の歴史については、様々な媒体が多種多様な形で世に出し、多くの人々の知るところとなっている。方や地方、それも中山間地域の町については、そこで暮らしてきた人々の記憶の中だけにあるケースが珍しくない。

文化財や文献はこの先も残り続けるかもしれない。しかしそこで暮らしてきた人々が見てきたものや経験してきた出来事など、口伝でしか紡がれないものは人々と共に消えて行く。千厩町とそこで暮らしてきた人々が歩んできた歴史の一端を聴きながら、そうした確固たる儚さを想い、また我々は一体全体これまでどれだけの記憶史を失ってきたのだろうと考え、空恐ろしさを覚えずにいられなかった。

せんまや街角資料館では、令和6年度の企画展として「磐井の中世を探る」と題して2024年5月2日から7月7日まで展示を行っているほか、5月23日・6月20日・7月4日に解説会、7月4日に特別講話を実施する。興味が湧いた人はぜひこの機会に訪れて欲しい(連絡先:0191-51-3883)。


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