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#取材
フリーライターはビジネス書を読まない(39)
はじめてのバイトあらかじめ電話で示された面接日。
服装はなるべく端正を心がけても、ネクタイは締めない。とにかくネクタイが嫌いで、喪服とか制服以外では絶対にネクタイを締めないと決めている。
ネクタイの何が嫌いって、もともと防寒具が発祥といわれる(諸説あり)ネクタイが、高温多湿な日本の梅雨から夏になろうという時季に合うわけがないし、何よりも常に首を絞められている感触がたまらなく不快だった。
「私がネク
フリーライターはビジネス書を読まない(38)
久々に相澤から連絡が来た1面の記事をシリーズ化して同じテーマを追いかける連載にしたことのメリットは、毎月新しいネタを考える手間が省けることと、数本分の取材を同じスケジュールで行えるようになるから、制作作業にも余裕ができることだ。
それでもギャラが大幅に増えるわけではないから、新規案件の獲得やクライアントの開拓も並行してやっていた。
そんな日々を送りながら1年ほど経ったある日、相澤から電話がかかっ
フリーライターはビジネス書を読まない(37)
置手紙を残して……「相澤さん、どこにいるか分かりませんか?」
居戸がすがるような目で見てくる。
訊かれても困る。ふだんは完全に別行動だし、頻繁に連絡を取り合っているわけでもない。
「アカン、出て来んわ」
社長が戻ってきた。びっしょりかいた汗を、いつも粗品で配っているタオルで拭きながら「相澤の自宅まで行ってみたけど、インターホン鳴らしても反応がないんや」といって、入り口からいちばん近い椅子にドスン
フリーライターはビジネス書を読まない(36)
相澤が消えた……ミニコミ新聞で書くようになって、数カ月が過ぎた。私は月に記事広告を2本と単発のインタビュー記事を1本書くのが固定になっていて、ほかゲリラ的に発生する記事があったら、それも書くことになっていた。
相澤はこれまでと変わらず、全体のレイアウトと1面の記事を担当していた。だが、レイアウトも記事も、いつも締め切り間際に滑り込みが続いていた。相澤のレイアウトが上がってこないと、デザイナーの仕
フリーライターはビジネス書を読まない(35)
ミニコミ新聞の制作現場その夜、相澤と名乗る女性から電話がかかってきた。昼間訪ねたミニコミ新聞のライターだ。社長から番号を聞いて、さっそく挨拶がてらかけてきてくれたのだった。
話を聞いてみると、相澤は私と同い年で、しかも独身という境遇も同じ。ただこのときは電話で話しただけの感じとはいえ、ちょっとせっかちで落ち着きのない性格じゃないかなという印象を受けた。しかも、よくしゃべる。言葉に切れ目がなく、こ
フリーライターはビジネス書を読まない(34)
場所を尋ねたら「お菓子屋の上」って、どこやねん……ミニコミ新聞は、私が住む区内のお店とかイベントの情報、記事広告などを発信するタブロイド判で、新聞販売店が副業でやっている広告屋が制作していた。それを月に1回、新聞に折り込んで配布しているのだった。
制作資金は区内の販売店が10万円ずつと、広告収入で賄われていることを、後になって知った。
電話をかけてきたのは、その広告屋で事務職をやっているおじさん
フリーライターはビジネス書を読まない(33)
俺がジャーナリスト!?航空チケットを予約して乗る便が決まったら、次に版元の編集者に電話をかけた。
ことの次第を説明し、1週間後に締め切りの原稿を3日後に送ること、福岡に1泊するからその間は連絡が取れないことを伝えた。今みたいに携帯電話が普及しておらず、手軽にメールを送受信できるインフラも整っていなかった。
原稿の直しも、大阪へ戻ってからということで了解してもらった。
福岡へ出発する前日、4ページ
フリーライターはビジネス書を読まない(32)
半壊したアパートから追い出された神戸と芦屋で3日間の取材を終えて、これから1週間で原稿をまとめないといけない。書いておきたいことと書くべきことが多くて、版元からオーダーされた文字数をオーバーしそうだった。どの話を削っても、現実を伝えられないような気がする。
取材をしていく過程で聞いた話には、ひどいものもあった。
住んでいたアパートが半壊したので、避難所へ身を寄せていた男性がいた。すぐに大家さんが
フリーライターはビジネス書を読まない(31)
傲慢になるボランティアと我がままになる被災者焼野原になった街を撮り続けていたら、いつしか陽が傾いていた。この日の取材予定は終えていたから、あとは帰るだけ。来るときは鷹取から歩いてきたから、帰りは兵庫駅まで歩くことにした。
さほど遠い距離ではないはずなのに、このときの新長田~兵庫は、なぜかとてつもなく長く感じた。あたりに見えるのは、焼け焦げた家やビルばかり。歩いても歩いても、いっこうにたどり着けな