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フリーライターはビジネス書を読まない(36)

相澤が消えた……

ミニコミ新聞で書くようになって、数カ月が過ぎた。私は月に記事広告を2本と単発のインタビュー記事を1本書くのが固定になっていて、ほかゲリラ的に発生する記事があったら、それも書くことになっていた。

相澤はこれまでと変わらず、全体のレイアウトと1面の記事を担当していた。だが、レイアウトも記事も、いつも締め切り間際に滑り込みが続いていた。相澤のレイアウトが上がってこないと、デザイナーの仕事が進まない。そんな状況に嫌気がさしたのか、とうとうデザイナーの子が辞めてしまった。

その後任に、よそでアートディレクターをやっていた居戸という女性と、社長の娘のエリが入ってきた。居戸とエリはデザイン学校の同期だという。
それからしばらくして、やはりデザイン学校の同期で高原という女性も入って、以後、同期生3人体制で紙面づくりが進められることになる。

3人の役割は、居戸が編集担当とデザイン、エリが制作、高原が営業となっていて、私と相澤との連絡窓口は主として居戸が行うことになった。

さて、同期生3人のいわゆるお友達どうしで会社をまわすと、どういう現象が起こるか。
共有するべき情報が入って来なくなった。3人で了解し合っていればいいという感覚になってしまうのだろう。
あるとき、取材の予定だけ決まっていて、日時をあとから連絡してもらうことになっていた。ところが、待てど暮らせど連絡が来ない。他社の案件との調整もしないといけないから、
「あの取材の件、どうなったの?」とこっちから尋ねると、
「あれは、もういいです」と。
相澤にもそんなことがあったらしい。お盆を控えて、ふだんより早く印刷所へ入れないといけないのに、連絡をしていなかった。

3人で相談して、3人で分かり合っていれば、世の中がまわる。そんな感覚の仕事ぶりだったから、こちらも取材に出る前日には日時の変更はないか、必ず確認の電話を入れた。油断していると、取材予定が中止になっているかもしれないのだ。

会社がそんな様子だから、相澤がますます混乱してきた。もともと時間や予定に追われることを苦痛に感じる性分らしく、ときどき精神が崩壊して、ふらりと姿を消すことがあった。それでも、1~2日でリフレッシュしていたようだ。

あるとき事務所へ顔を出すと、
「相澤さん、どこにいるか分かりませんか?」
居戸が、すがるような目をする。
締め切り間際になっても、相澤から何の連絡もないのだという。
社長が相澤だけにもたせているポケットベルを鳴らしても、折り返しがないらしい。このままだと、1面がまるごと飛んでしまう。
そしてとうとう、レイアウトも原稿も放り出したまま、相澤の行方が分からなくなった。

(つづく)

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