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フリーライターはビジネス書を読まない(33)

俺がジャーナリスト!?

航空チケットを予約して乗る便が決まったら、次に版元の編集者に電話をかけた。
ことの次第を説明し、1週間後に締め切りの原稿を3日後に送ること、福岡に1泊するからその間は連絡が取れないことを伝えた。今みたいに携帯電話が普及しておらず、手軽にメールを送受信できるインフラも整っていなかった。
原稿の直しも、大阪へ戻ってからということで了解してもらった。

福岡へ出発する前日、4ページ半の原稿を書き上げた。写真のネガも、写真屋の主人に無理をいって1日で仕上げてもらった。プリントが不要なのが助かった。
原稿はひとまずFAXで送った。プリントアウトとネガは一緒に封筒に入れて、明日空港へ行く途中か空港にある郵便局から発送する。

さて、福岡へ着いてからあとの話は、伯父の通夜と葬儀だけなので端折る。葬儀が済むと、慌ただしく大阪へ戻り、その旨を編集者へ連絡した。
幸いなことに原稿の直しはほとんどなく、小さな修正は編集部で対応するとのことだった。

数日後、ゲラが送られてきた。写真は私が撮影したほかに、プロのカメラマンが撮影したものも2~3点あった。編集部から同時に発注していたのか、私の写真では不十分で追加取材したのかは分からない。
いずれにせよ、初めて私のクレジットが入った記事になった。が、肩書に仰天した。

ジャーナリストって……

本物のジャーナリストに、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「ジャーナリストって、ちょっと大げさじゃないですかね」
ゲラを確認しましたという連絡をしたとき、できれば「ライター」に変えてくれないかなと一縷の望みをかけていってみたら、
「これだけの取材ができれば、立派なジャーナリストですよ」と逆におだてられて、まぁいいやという気になってしまった。

ちなみにジャーナリストなんて肩書を使ったのは、後にも先にもこの記事だけ。以後は「ライター」「ブックライター」で通している。
傍目にはジャーナリストデビューに見えるかもしれないが、現実はそんなものである。

ところでこの時期、東京からの仕事がほぼゼロになっていた。大阪を中心にクライアントを新規開拓する必要に迫られて、DMを撒いたり知人に紹介を頼んだりしていたが、なかなか思うようにいかない。

わずかな貯えがいよいよ底を尽こうかというある日、ミニコミ新聞を発行しているという広告屋から電話がかかってきた。

(つづく)

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