フォローしませんか?
シェア
たかぱん
2024年2月5日 11:29
いまから三〇〇年前、ひとりの哲学者が生まれた。哲学史上、そして人類史上、最大級の影響を与えた哲学者である。このイマヌエル・カントの大きな業績の中には、『永遠平和のために』という著作が含まれる。国際連盟(連合)の理念を形成したものと理解されているのである。その中心的な提案は、次のようなものである。 第一章 - この章は国家間の永遠平和のための予備条項を含む第一条項 - 将来の戦争の種をひそかに
2024年1月22日 12:00
受験生のための仕事であるから、この時期、忙しいのはもちろん分かっていた。そして、それを幾度となく毎年繰り返してきた。けれども、今年は一段と与えられた負荷が大きく、仕事の持ち帰りを含めて、キャパオーバーになっているところがある。 それはありがたいことかもしれない。仕事があるからだ。だが受験生のために複数科目が宛がわれると、苦しいのは苦しい。さらに、推薦入試の作文指導となると、何十人もの作文を添削
2023年11月25日 10:12
推薦入試という形は、試験一発だけの能力以外の方法を模索してのものであろう。採用に曖昧さは残る。よく、点数主義はどうのこうのと非難されるが、公平さにおいてはなかなかよくできたやり方である。むしろ点数によらない基準のほうが、何を以て合格するのか、不透明な面が確かにあるのである。 しかしその存在意義は理解できる。学科の問題が解けたかどうか、でないとなると、スポーツ推薦や、学科とは別の能力の推薦という
2023年9月2日 10:04
もう生徒たちは提出したことだろうが、夏は、読書感想文の課題がよく出る。近年は強要されなくなりつつあるが、以前は「必ず」書きなさい、という圧力があった。 感想文というものは、実に厄介だ。子どもたちは、原稿用紙を見ただけで尻込みすることが多い。もちろん、それが楽しくて仕方がない、という生徒もいる。私も、仕事で書かせることがあるが、そんなとき、板書は大きく次のことを書くだけだ。 「楽しくかこう
2023年5月9日 11:56
教育産業に属するからには、教育の理想や公教育の難点などに、口出しするような立場ではないと自覚している。おまけに国語は、以前担当していなかった。それでも、「大村はま」という人の国語教育についての本には、触れないではおれなかった。わずかなものしか読んだことはないが、その信念というものには、圧倒されるものを感じていた。 もしかするとキリスト者ではないか。そう感じつつも、ご本人があまりそうした発言をし
2022年10月27日 09:59
作文を小中学生に教えることがある。中学生となると、いろいろな大人の文章に国語で触れるものだから、さすがに感得できるようになるが、小学生だと、どうにも直らない性質がある。それは、話し言葉をそのままに文字にする、ということである。 耳で聞いて言葉を覚える幼児の段階では、文字で書いたときに発覚することがある。宿題を「しくだい」、体育を「たいく」、言うを「ゆう」のように書いてしまうのだが、これも話し言
2022年4月20日 12:08
詐欺師の語りというのは、話だけ聞いていると、尤もらしく聞こえるものである。後から振り返ればその誤りに気づくこともあるし、書いたものを冷静に読めば、騙されないという場合もあるだろう。歴史の中で、集団催眠にかかったように、国民がひとつの破滅的な空気の中に取り込まれ、その空気をつくっていったということを、私たちは悲しい経験として知っている。だが、知っているからといって、それを免れているというわけではない
2022年1月28日 11:45
なにも文章で飯を食っているわけではないが、私はそれなりに、文章を書くことについては経験をもっている。それで、作文の指導をすることがある。 背景を詳述はしないが、中三の受験生に、高校受験のための作文指導を突如担当することになった。小学生へ注意した話を同じように中学生にも聞かせることになる。すべてが同じとは言わないが、作文を書くことについての注意点がそう大きく違うわけではない。 さすが中三、書
2022年1月4日 07:43
いちばん伝えたいものは何か。 他のすべての言葉は、そのために存在する。 気取った板書を、私は小学生たちに示した。中高一貫校を受験する六年生のクラスである。おもに作文の授業を担当している。 公立中学でありながら中高一貫とする制度が各地で始まっているが、大人気だ。私立中学並の教育指導を、公立扱いでしてもらえるのである。とくに英語教育は普通の公立中学とは格段に違う。入学試験に必要なのは、やた
2021年6月2日 11:26
国語の授業の一部で、時折「作文」のカリキュラムがある。いろいろ工夫を凝らした教材があって、それに沿って教えていけばよいシステムにはなっているのだが、通り一遍に教えてそれで終わりなどというふうに考えることは私はしない。 相手は小学校中学年以下。学校に入ったばかりの一年生はこれまた特別な技術を必要とするが、ここでは三年生と四年生のときのことを取り上げてみよう。 まず大きく板書する。「たのしくか