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推薦入試の作文のために

いまから三〇〇年前、ひとりの哲学者が生まれた。哲学史上、そして人類史上、最大級の影響を与えた哲学者である。このイマヌエル・カントの大きな業績の中には、『永遠平和のために』という著作が含まれる。国際連盟(連合)の理念を形成したものと理解されているのである。その中心的な提案は、次のようなものである。
 
第一章 - この章は国家間の永遠平和のための予備条項を含む
第一条項 - 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。
第二条項 - 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、他の国家がこれを取得できるということがあってはならない。
第三条項 - 常備軍は、時とともに全廃されなければならない。
第四条項 - 国家の対外紛争に関しては、いかなる国債も発行されてはならない。
第五条項 - いかなる国家も、他の国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。
第六条項 - いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者や毒殺者を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切りをそそのかしたりすることが、これに当たる。
 
この考えを、中高生のために説明した本がある。『自分で考える勇気』(御子柴義之)である。その章の結びは、次のように書かれている。
 
そもそも、永遠平和の実現は、個人の自由に基づく「私のもの・あなたのもの」を確定するものでした。そうだとするなら、私たちが、<私のもの>と<あなたのもの>とを明確に区別し、私が<あなたのもの>を侵害しないように、あなたに<私のもの>を侵害されないように行為するとき、それは永遠平和への途上にある振る舞いと言えるのではないでしょうか。こうして永遠平和の問題は、私たちひとり一人の行為へと戻ってきます。
 
 「こうして永遠平和の問題は、私たちひとり一人の行為へと戻ってきます」と書かれていた。あなたはこの問題を、どのように考えるか。カントの六つの条項の一つを取り上げて、それをあなた個人の問題として論じなさい。但し、本文中では「第n条項」(nは数字)という形で触れればよく、その条項全部を引用する必要はない。【ここまで出題文】
 
 
こうした作文の課題を、中学三年生に与えました。ずいぶんと難しいことを尋ねたものだが、実際推薦入試でも、パスカルとディズレーリを比較したり、アラン・カーティス・ケイの言葉を材料に考えさせたりしたケースがある。何がきても、とっかかりを掴み、自分の考えたことを伝えることが要求されているのである。
 
私は、これを書かせた後に、まとめの「評」というものを伝えた。これは、それぞれの作文実践講座において、毎回やっていることで、一人ひとりの添削に加えて、全体評を流してきた。そこではカントについていくらか紹介した後で、中学生に、作文の指導と共に、考えてもらいたいことを記した。その内容の一部を、ここで分かち合いたいと願う。【これ以降がアドバイス】
 
 
カントは、国家における平和の実現を考えています。ただしカントは、実は単なる理想論者ではありません。現実にそういう平和が実現する、とは考えていません。いつまでも求め続け意味は大切だと考えていますが、夢を見ている人ではありません。
 
国家の平和、それがカントの条項でした。しかし、御子柴氏は、これを「ひとり一人」の問題だ、と言いました。この『自分で考える勇気』は、中高生へ向けて書かれた「岩波ジュニア新書」の一冊です。戦争が、他人事ではないことを、若い人たちに考えてほしい、という願いで書かれた本なのです。ですから私はその意図を汲んで、「あなた個人の問題」として考えるように、出題しました。
 
その平和条項ですが、本物の邦訳をぶつけていますので、容赦なく皆さんの前に、難しい言葉が並んだように思われたかもしれません。しかし、その6つのうちの、ひとつを選べばよいので、皆さんにとり少しでも分かりやすいものを取り上げればよい仕組みになっていました。
 
しかも、考えの枠が定められています。「私たちひとり一人の行為」に、平和の問題が降りてくるのです。さらに、作文の条件として、「あなた個人の問題として」論じることが求められました。
 
問われているのは、「あなた個人の問題」です。「何を書くか」が、作文で最も大切な点ですから、これを外してはなりません。「あなた個人がどう思いますか」でないことは、お分かりだと思います。
 
ウクライナへの攻撃、パレスチナ紛争、これらは昨日今日起こったことではありません。長い歴史の中で生まれたものだと言えます。しかし、日本から比較的遠い地域での出来事ですから、私たちはそれを、テレビなどの画面の中での物語のように見てしまうかもしれません。ああ、あっちで大変なことが起こっている、誰かなんとかしてくれればいいのに。こう感じるとき、私たちは自分の身に火の粉が降りかかっているわけではありません。せいぜい、物価が上がったというだけのことですが、皆さんはそれについても、まだ疎いかもしれません。
 
平和という、遠い世界であるかのような問題が、実は私たちひとり一人の問題であるということを、感じ取るセンスがあるかどうか。これは、とても大切なことです。世の中の事件や意見が、自分とは無関係ではないということを意識することは、私たちが世の中を見るときに、極めて大切なことだと言えます。あなたが見ているその「世界の中」に、確かにあなたも「いる」のです。
 
あなたには、これらのことを言われて、なにか思い当たることはないか。
 
あなた自身の出来事に、戦争はないか。あなたが戦争を起こしていないか。
 
――これを自らに問うセンスが問われたのです。
 
そのため、あまりにも一般的な考えを展開するのは、明らかに的を外しています。自分の問題として受け取っているかどうか、これが「あなた個人の問題として」受け止めたかどうか、のポイントなのでした。
 
この点に見事に応えた人が、何人もいたことを、うれしく思います。誰かに対して暴力的に振舞ったこと、きょうだいに対して手を挙げたこと、生々しい体験が綴られていました。書くのに、勇気が必要だったかと思います。その体験が、きっと心のどこかに、苦く残っていたのでしょう。人間とは、そういうものです。自分が誰かにした、悪いことは、いつまでも自分の中で、引っかかりを持っています。キリスト教では、これを「罪」といいます。
 
この作文で、なにもあなたに世界平和を託したのではありません。あなたの小さな日常の中に、これらの問題と重なる点がないかどうか、考えてほしかったのです。あなたが、平和をつくるかどうかの現場にいること、「当事者」であることに、気づいてほしかったのです。
 
ふだんなにげなく見ている風景、経験している事柄、あまりにも当たり前だと受け止めている風景が、いままでと違ったものに見えてくることが、あなたの成長の証しとなります。自分の間違いに気づくこと、自分が平和に反していたという事実におののくこと、それを体験してもらいたかったということです。

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