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哲学のかけら

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哲学も少しはかじっています。なにもそんなこと考えなくてもいいんじゃない、と言われるところも、でもさ、と考えてみる、それが哲学。独断と懐疑に終わらずに常に自分の至らなさを認めるあた… もっと読む
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#聖書

逆説と説教

逆説と説教

「逆説」として自分が発案して説を出すとき、世間の人が騙されているのに自分だけは真理を見出した、のような心理を含んでいることがある。
 
はたして逆説とは何か。こういうときに、昔は決まって「広辞苑」によると……と言っていた。広辞苑信仰があった世代に染みついた性であるのかもしれない。少なくとも、それだけを権威にして寄りかかろうとはしないほうがよいだろう。
 
因みに、旧い広辞苑では、「逆説」について、

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言うべきこと

言うべきこと

確か、小学六年生の時だったのではなかったか。交通安全の作文を書いたら、県で入選してしまった。公欠扱いで車に乗せられて、警察署に行って表彰されたことがあった。小学生に似つかわしくない、ルーズリーフファイルの、けっこうビジネスライクなものをもらったと思う。それと、テプラか何か。こういうのに現金関係は出ないことになっている。
 
その作文が、警察関係か何か、公的な新聞(広報紙)で公表された。交通遺児とな

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完全さについての序論

完全さについての序論

この世界に、完全なものを想定するかどうか、人の思い描く世界観は、その問いに対する答えにより、大きく変わってきたように思う。
 
完全なもの、それは神であると言ってもよいだろう。だが、「完全なものは存在するはず。神は完全なものである。従って神は存在する」という素朴な三段論法は、カントが徹底的に叩いているし、他の哲学者もこぞってその路線で論を固めている。確かにその通りであろう。
 
キリスト教は、完全

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『現代思想2022年8月 vol.50-10 特集・哲学のつくり方』(青土社)

『現代思想2022年8月 vol.50-10 特集・哲学のつくり方』(青土社)

面白かった。そもそも哲学とは何か。そんなベタなことを問う企画が、近年殆ど見られなかった。あるのは、100年前に生まれたような方々の、真面目な人生論が問いかけて、哲学とは、と語るようなものばかりだった。ポストモダンすら歴史的産物となったような中で、もはやかつての哲学などという姿とは無縁な思想状況となっているようだ。互いに通じない言語を用いてあれこれ論評するかのようなものが、なんだかファッショナブルに

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聖書の語の捉え方についての一案

聖書の語の捉え方についての一案

聖書の中で、「信仰」や「信頼」などと訳されている「ピスティス」が、最新の聖書では「真実」とも訳されて、議論を呼んでいる。
 
どだい言語が違えば、指している概念も異なる。『ことばと文化』(鈴木孝夫)が、「lip」という英語が「唇」ではなく、lipからは毛が生えるのだ、と説いたのは非常に説得力があり、印象的だった。その概念が包摂しているものが、ぴったり重なるということは、あまり期待できないのである。

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『聖書を読んだら哲学がわかった』(MARO・日本実業出版社)

『聖書を読んだら哲学がわかった』(MARO・日本実業出版社)

著者の肩書きは表紙に書かれている。「上馬キリスト教会ツイッター部」である。いま一時の勢いは静かに落ち着いたようだが、それでも10万人を越えるフォロワーがいるツイートというのは、キリスト教関係では異例である。つまりは、クリスチャンでない人にたいへんな支持を受けているということだ。
 
それは、キリスト教らしからぬ、おふざけと、若者の感覚のツボを突いてくる、気取らない呟きなのである。教会そのものは、極

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矛盾を超えて

矛盾を超えて

聖書には、矛盾することがたくさん書かれている。無理もない。たとえ霊的な著者は神でありひとりであったとしても、地上での書き手は様々な人物であり、時代も環境も異なるライターである。その理解や個性に合わせて綴ったとなると、辻褄の合わない事柄はいくらでも出てくることだろう。
 
対立する考え方や命令などがあるとき、私たちはどちらを取ればよいのだろうか。パウロは、行いよりも信仰と書いているが、ヤコブは信仰よ

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実は自分が

実は自分が

自分で考えることをせず、他からくる考えを無条件で受け容れる。それはとても危険なことだと言われる。それではまるで、他人の良いなりになるということになるからである。
 
聖書と雖も、それを何でもそのまま信じてしまうというのもまた、誰かに操られてしまうことになるかもしれない。カルト宗教は、信仰に対する純朴な姿勢を利用して、人を操ることをしばしばやってきた。洗脳、あるいはマインドコントロールという語も登場

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一人ひとりが考えることの意味

一人ひとりが考えることの意味

印刷術の発明は、文化を大きく変えた。精神文化に与えた変化は限りなく大きい。最初に印刷が試みられたのは聖書であると言われている。それはそれは力のこもった、見事な装丁のものであったらしく、高価なものに違いなかったが、それでも、写本をつくるよりは遙かに聖書の文章が知られるようになるだけの効果をもっていた。やがてコストダウンできるようになると、聖書そのものが広まるのは加速度的に速くなった。
 
さらにルタ

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ヒュパティア

ヒュパティア

中国人が悪いなどというつもりはないのだが、どうしても私の中にひとつ抵抗があることは否めない。教え子が中国人に虐殺されたからだ。日本人を恨むアジアの人やアメリカ人がいるが、その気持ちに少し近いものがあるかもしれない。
 
真珠湾攻撃の総隊長であった淵田美津雄さんは、その後ルカ伝の十字架上のイエスの赦しの言葉に出会い、キリスト教を信じるようになった。一途な故か、今度はキリスト教を伝道する者となり、なん

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もはや逆説ではない

もはや逆説ではない

「逆説」あるいは「パラドックス」にはタイプがある。
 
論理的に撞着してしまうものが有名だ。「私は嘘をついている」という言明は真か偽か。真ならばその言明自体が嘘だということになり、偽ならば嘘をついていることは真実となってしまい、いずれにしても辻褄が合わなくなる。「ここに張り紙をするな」という張り紙があった場合にどう考えるか、というのも面白い話題である。「二項対立で考えるのは間違っている」という発言

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言葉の罠とその克服

言葉の罠とその克服

言葉にしてしまうこと。「分節」という語の理解を、そこに重ねてみる。「分節」は元来、言語を考察する上で、発音や意味を区切ることを意味する。しかし、心理的には、ありとあらゆる事象の中から、一部を切り取った形で捉えることと見てもよいだろう。抽象化することにも比せられるが、何を以て抽象とするかどうかに必然性が伴うのではなく、恣意的なものがあるとすれば、むしろ捨象することだと見たほうが適切であるように思われ

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