『アローン・シアター』主宰 女優 谷 英美(たに えみ)

『アローン・シアター』主宰 女優 谷 英美(たに えみ) 金子みすゞを描いた一人芝居…

『アローン・シアター』主宰 女優 谷 英美(たに えみ)

『アローン・シアター』主宰 女優 谷 英美(たに えみ) 金子みすゞを描いた一人芝居を、1999年から続けています。他、演目多数。 facebook https://www.facebook.com/emi.tani.10

記事一覧

金子みすゞの詩『かたばみ』の舞台はどこ?

金子みすゞの伝記執筆の取材で、生れ故郷・仙崎の北にある青海島のくじら資料館に電話しました。 確認したかった用件がすんだ後で館長さんが、当地の見解として『かたばみ…

金子みすゞの詩『祭のあくる日』について

【みすゞ塾】の余談小屋(?)より、お送りいたします 先日の塾では、朗読テキスト、金子みすゞの詩5編のうちの1つが『祭のあくる日』でした。 みすゞの生れ故郷・山口…

【金子みすゞの伝記】には書けないこぼれ話

執筆中の伝記は、やっと【第4章 女学校時代】を書き終えたところです。 みすゞが女学校3年だった大正7年、その後の童謡大流行のさきがけとなる『赤い鳥』という月刊誌が…

【こんな無責任な執筆者が権威って、どんだけー!】

矢崎節夫著『金子みすゞの生涯』、マジ酷いわ。 金子みすゞの母の妹・フジの亡くなった年齢と没年が間違ってる。 来週の【OLみすゞ塾】小諸クラスで学習する豆知識の範囲…

金子みすゞ まさかの新事実!!!

伝記執筆における取材で先日、生き字引の坂本和磨さんに、書けたところまでの原稿をお渡ししました。 間違いがあってはいけないので。 後日いただいたお電話で、初耳の話…

【金子みすゞの伝記執筆 取材第2弾】

みすゞが、詩に書いた2つのお祭りの取材に行きます。 7月26日が、生れ故郷・山口県長門市仙崎の祇園祭@八坂神社(サムネイルの詩)。 7月30日が、命を閉じた下関の夏越…

金子みすゞの詩『ながい夢』について

一昨日の【みすゞ塾】のテキスト5編のうちの一つが『ながい夢』だった。 5行目の【二つ】は、テキトーな数字ではなく、大きな意味がある。 当時の年齢は数えだった。 と…

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑨鯨法会の巻

今回の取材の1番のミッションは、鯨法会に参列することでした。 みすゞが詩に書いた行事だから。 日本で有数の捕鯨基地だったこの地では、今でも毎年、浄土宗では鯨回向…

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑧みすゞのお家の後を継いだ本屋さん

金子みすゞ記念館の目と鼻の先に、木村聖文堂という本屋さんがありまして。 書店経営に許認可が必要なのかは知りませんが、教科書を扱う権利を継いだという意味だと思いま…

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑦お焼香トリビア

焼香って、武士のもので、庶民はしなかったそうな。 で、武家には、”家のお香”があったとか。 庶民も葬儀で”焼香”をするようになったが、”家のお香”はない。 …

【金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑥堀の名残】

金子みすゞの家から北へすぐの十字路を、東西に掘通りがある。 名前の通り、かつて堀があった。 その礎石が残っている。 花崗岩の萩石で、軽くて丈夫なので使われたそ…

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑤SNOW DRIP COFFEE編

隙間時間で寄れたらと顔を出したのですが…💦 時間切れで、珈琲をキャンセルして本当に、ごめんなさいm(__)m 次に仙崎に行った時には必ず、美味しい珈琲をと思ってます…

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート④松浦商店のこと

今回は、「お忙しいのに悪いかな」と寄るのを遠慮してしまったのですが💦 2010年、金子みすゞのお墓のある遍照寺の本堂で『空のかあさま』という一人芝居をさせていただい…

金子みすゞの故郷・仙崎 取材レポート③海上レストラン編

兵どもが夢の跡…いつ閉めたんだろ、コロナもあったしな。 仙崎っていうか青海島だけど💦 営業してるうちに行ってみたかったなぁ! 紫津浦といって、金子みすゞの『鯨捕…

金子みすゞの生れ故郷 取材レポート②橙トリビア編

金子みすゞの詩には”橙”がよく登場します。 書林屋だった家の隣の空家の所にあった馬つなぎ場にも、橙があったようです。 みすゞの頃の町を故・竹内三郎氏が画いた”家…

金子みすゞの生れ故郷 取材レポート①

4/25(木)夜行バスで萩着、からのレンタカーで仙崎入り。 定宿の”喜楽”さんは、お食事処でもあるので、まずはそこで昼食。 お店の方に、『竹とんぼ』という詩に出てく…

金子みすゞの詩『かたばみ』の舞台はどこ?

金子みすゞの詩『かたばみ』の舞台はどこ?

金子みすゞの伝記執筆の取材で、生れ故郷・仙崎の北にある青海島のくじら資料館に電話しました。

確認したかった用件がすんだ後で館長さんが、当地の見解として『かたばみ』という詩について話して下さいました。

みすゞの故郷・仙崎は1周4キロほどの小さな町に、6ヶ寺もあるのですが、どこも平地で【駈けてあがる石段】はありません。

なので館長さんは、この詩の舞台は青海島の東のはずれにある向岸寺だとおっしゃっ

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金子みすゞの詩『祭のあくる日』について

金子みすゞの詩『祭のあくる日』について

【みすゞ塾】の余談小屋(?)より、お送りいたします

先日の塾では、朗読テキスト、金子みすゞの詩5編のうちの1つが『祭のあくる日』でした。

みすゞの生れ故郷・山口県長門市仙崎の北にある青海島に”くじら資料館”があって。

鯨墓の墓銘の読み下し文についての確認で、館長さんにお電話しました。

それについては、長くなるのでまた今度。

館長さんは電話で『祭のあくる日』について、この詩の舞台は青海島だ

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【金子みすゞの伝記】には書けないこぼれ話

【金子みすゞの伝記】には書けないこぼれ話

執筆中の伝記は、やっと【第4章 女学校時代】を書き終えたところです。

みすゞが女学校3年だった大正7年、その後の童謡大流行のさきがけとなる『赤い鳥』という月刊誌が、鈴木三重吉により創刊されました。

三重吉は、子どもが生まれたのをきっかけに思い立ったとか。

江戸の流れをくむ、これまでの絵草子のようなものではなく、真の芸術をと。

言ってることは立派だけど、その子どもって、愛人の子なのです。病気

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【こんな無責任な執筆者が権威って、どんだけー!】

【こんな無責任な執筆者が権威って、どんだけー!】

矢崎節夫著『金子みすゞの生涯』、マジ酷いわ。

金子みすゞの母の妹・フジの亡くなった年齢と没年が間違ってる。

来週の【OLみすゞ塾】小諸クラスで学習する豆知識の範囲が、ちょうどみすゞの女学校時代で…

私が今執筆している伝記の範囲も、ちょうど女学校時代で…

じゃなかったら、気付けなかったと思う。

長いこと間違ったまま教えてきた塾生たちよ、ほんと申し訳ない!!!

でもさ、あたしが謝る前に、こ

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金子みすゞ まさかの新事実!!!

金子みすゞ まさかの新事実!!!

伝記執筆における取材で先日、生き字引の坂本和磨さんに、書けたところまでの原稿をお渡ししました。

間違いがあってはいけないので。

後日いただいたお電話で、初耳の話が!!!

原稿をチェックしていただいて本当に良かった。

でなければ出てこなかった話です。

綿密な調査を『金子みすゞふたたび』に書いた今野さんも、坂本さんに助けてもらっていましたが…

その時には、まだ判ってなかったのかな、『金子み

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【金子みすゞの伝記執筆 取材第2弾】

【金子みすゞの伝記執筆 取材第2弾】

みすゞが、詩に書いた2つのお祭りの取材に行きます。

7月26日が、生れ故郷・山口県長門市仙崎の祇園祭@八坂神社(サムネイルの詩)。

7月30日が、命を閉じた下関の夏越祭@亀山八幡宮。

仙崎では、詩に書いた女学校までの道を、もっかい歩こうと思ってる。

前の時は、生き字引の坂本さんのガイドで同行者がいたから、歩くことをちゃんと感じることができなかった💦

何でも、一人で、自力でやらないと身に

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金子みすゞの詩『ながい夢』について

金子みすゞの詩『ながい夢』について

一昨日の【みすゞ塾】のテキスト5編のうちの一つが『ながい夢』だった。

5行目の【二つ】は、テキトーな数字ではなく、大きな意味がある。

当時の年齢は数えだった。

ということは、みすゞは生まれた明治36年4月11日に1歳、明治37年のお正月で2歳になる。

みすゞが二つの時、兄はいたが、弟はまだ生まれていなかった。

お母さんを独占できた、あの頃に戻りたいと謳っているのだ。

この詩は、結婚前に

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金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑨鯨法会の巻

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑨鯨法会の巻

今回の取材の1番のミッションは、鯨法会に参列することでした。

みすゞが詩に書いた行事だから。

日本で有数の捕鯨基地だったこの地では、今でも毎年、浄土宗では鯨回向、浄土真宗では鯨法会が営まれている。

みすゞは熱心な真宗の門徒だったと言われている。

その回路が自分の中に開かないと、みすゞの心の奥底に降りてゆけないような気がして…

法要の後の御法話は、思わず涙するほど胸に沁みるものだった。

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金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑧みすゞのお家の後を継いだ本屋さん

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑧みすゞのお家の後を継いだ本屋さん

金子みすゞ記念館の目と鼻の先に、木村聖文堂という本屋さんがありまして。

書店経営に許認可が必要なのかは知りませんが、教科書を扱う権利を継いだという意味だと思います。

記念館に行ったことのある方はお分かりでしょうが、物販コーナーで本を売っています。

記念館で本を売ったら、木村聖文堂さんはどうなるでしょう?

そうです、商売あがったりですよね。

私が館長なら、金子文英堂とのご縁を示して「本のご

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金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑦お焼香トリビア

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑦お焼香トリビア

焼香って、武士のもので、庶民はしなかったそうな。

で、武家には、”家のお香”があったとか。

庶民も葬儀で”焼香”をするようになったが、”家のお香”はない。

焼香台のお香を借りるので、台に”お香”の借り賃を置くようになったのがお香典なのだそうです。

ガイドの坂本和磨さんに、極楽寺で教わりました。

お寺にお邪魔したらまず、ご本尊さんにお参りしますよね。

私もお線香をあげさせてい

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【金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑥堀の名残】

【金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑥堀の名残】

金子みすゞの家から北へすぐの十字路を、東西に掘通りがある。

名前の通り、かつて堀があった。

その礎石が残っている。

花崗岩の萩石で、軽くて丈夫なので使われたそうだ。

この十字路を左(西)へ曲がってすぐの所に、仙崎湯があった。

当時はモダンな建物であったと思われる。

東の浜にあがった漁師たちは、ここで身体を洗って、その先の遊郭へと繰り出して行ったのだ。

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑤SNOW DRIP COFFEE編

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート⑤SNOW DRIP COFFEE編

隙間時間で寄れたらと顔を出したのですが…💦


時間切れで、珈琲をキャンセルして本当に、ごめんなさいm(__)m

次に仙崎に行った時には必ず、美味しい珈琲をと思ってます。

とっても素敵なお店でした!

今年で3周年だそうです。

ってことは、コロナのど真ん中で開店!!!

インスタで繋がったご縁ですが、地元の皆様のオアシスとして根付いているんだなーと分かって嬉しかったです。

仙崎 取材レ

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金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート④松浦商店のこと

金子みすゞの生れ故郷・仙崎 取材レポート④松浦商店のこと

今回は、「お忙しいのに悪いかな」と寄るのを遠慮してしまったのですが💦

2010年、金子みすゞのお墓のある遍照寺の本堂で『空のかあさま』という一人芝居をさせていただいた時、松浦商店様には大変お世話になりました🙏

今は、お店としては機能してないけれど、商品はセンザキッチンや宇部空港で販売されているそうです。

ふぐの茶漬け、雑炊、燻製、焼きふぐ、みりん干し等のふぐ加工品は、お父様が元祖なのです

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金子みすゞの故郷・仙崎 取材レポート③海上レストラン編

金子みすゞの故郷・仙崎 取材レポート③海上レストラン編

兵どもが夢の跡…いつ閉めたんだろ、コロナもあったしな。

仙崎っていうか青海島だけど💦

営業してるうちに行ってみたかったなぁ!

紫津浦といって、金子みすゞの『鯨捕り』という詩に謳われている入江です。

4月25日(木)のアポはサクサク消化できたので、足を留める時間を作れました。

金子みすゞの生れ故郷 取材レポート②橙トリビア編

金子みすゞの生れ故郷 取材レポート②橙トリビア編

金子みすゞの詩には”橙”がよく登場します。

書林屋だった家の隣の空家の所にあった馬つなぎ場にも、橙があったようです。

みすゞの頃の町を故・竹内三郎氏が画いた”家並み図”には、夏蜜柑畑が広がっています。

仙崎の北にある青海島の大日比には、枯れてますがナツミカンの原樹があります。

江戸時代中頃に、浜に流れ着いた果実を、島の娘・西本チョウが拾ってまいた種が芽生えたというのが通説とのこと。

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金子みすゞの生れ故郷 取材レポート①

金子みすゞの生れ故郷 取材レポート①

4/25(木)夜行バスで萩着、からのレンタカーで仙崎入り。

定宿の”喜楽”さんは、お食事処でもあるので、まずはそこで昼食。

お店の方に、『竹とんぼ』という詩に出てくる”かつらぎ山”って分かりますか?と聞いたところ…

青海島観光汽船の社長さんが丁度いらしてて、教えて下さいました。

青海島観光汽船は、みすゞの頃に、最初は手漕ぎ船で始まったのです。

青海島を1周するのに、一日がかりだったと、長

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