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金子みすゞの伝記執筆、山場に向かう下準備

金子みすゞがデビューした大正12年9月号~廃刊となる大正15年7月号までの『童話』34冊、チェック完了!!!

もーーー字が小さくて、目から血が出そう。



『童話』に投稿された詩の選者をしていた西條八十が、みすゞを絶賛。

しかーし、鮮烈なデビューから9か月後に、八十はフランスへ行ってしまうのよ、2年間も!!!

代りの選者・吉江孤雁は、みすゞの作風を好まなくて…

みすゞと二個の星と言われたライバルの島田忠夫ばかりをエコひいき(号泣)。

どうもその間に、島田の処女詩集出版の話が出来上がったニオイがした。

大正15年5月号の【編集室だより】に、「訪ねてきた島田を連れて吉江先生のところへ行った」と書いてある。

その号の通信欄で島田は、吉江先生が度々「一冊にまとめるよう」言って下さっていた童謡集を今年のうちに出版したいと書いている。【「柴木集」という名さえ冠している】とあるのは、吉江が『柴木集』というタイトルを付けてくれたという意味か。

実際に出版できたのは3年後だが、物事って、こうやって決まっていくのよね、いつだって。

大正15年2月に結婚したばかりのみすゞは、東京の出版社を気軽に訪ねたりなどできない下関に住んでいた。

世渡りの上手でないみすゞは、どんな気持ちで通信欄を読んだのだろう…

八十が悪いわけではないけれど、デビューして「さあこれからだ!」という時の2年の不在は、みすゞにとって取返しのつかない痛手だったことが切々と読み取れた。

西條先生、お恨み申します。

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