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金子みすゞの詩『祭のあくる日』について

【みすゞ塾】の余談小屋(?)より、お送りいたします

先日の塾では、朗読テキスト、金子みすゞの詩5編のうちの1つが『祭のあくる日』でした。

みすゞの生れ故郷・山口県長門市仙崎の北にある青海島に”くじら資料館”があって。

みすゞの父の実家は東のはずれ向岸寺の近く。当時の渡し舟は、現在仙崎から青海大橋がかかっているあたりに船着き場がありました。

鯨墓の墓銘の読み下し文についての確認で、館長さんにお電話しました。

それについては、長くなるのでまた今度。

館長さんは電話で『祭のあくる日』について、この詩の舞台は青海島だとおっしゃるのです。

みすゞの父の実家の裏には山があるからと。

う~~~ん…あえて反論はしませんでしたが、父の実家は青海島の通という地域で、東のはずれです。

当時、青海島へは渡し舟でした。そこから通までは、子どもの足で歩ける距離ではない。

ということは、別の舟を出してもらわなければ行かれないのです。

みすゞの生い立ちは複雑で、みすゞが三歳になる頃に、父は中国(当時は清)で病没。

それをみすゞの母は「清国の馬賊に殺された」として、無縁墓に入れてしまったのです。

どう考えても、父の没後、父の実家と親しく交流していたとは思えません。

みすゞと兄が、子どもたちだけで、舟まで出してもらって父の実家へ泊りに行っていたとは考えられないのです。

父の実家跡に石碑まで建てたので、そういうことにしたい気持ちは分るのですが。

館長さんの『かたばみ』という詩についての”当地の見解”は、次に続く。

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