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目の前のことに対して一心不乱に打ち込もう! その日に一生懸命取り組むことがある人は幸せだよ! 暇人は考え過ぎるから不幸になるよ(笑)! 毒親が羨ましい北野武さんの話

私はお金は大切だと思います。そして、お金はないよりはあった方がいいものだとも感じています。しかし、たとえお金があっても、朝起きた時にやることがない人は不幸だと思います。

私は普通の人よりもあっちの世界や前世・来世のことに詳しいのですが()、その人が内面に蓄えた精神性のレベルの高さは次の人生にも引き継がれる可能性が高いです。でも、お金を来世に持って行くことはできません()。

ですから、今現在どんな人生であれ、最期の最期まで一生懸命生きることをお勧めします。もちろん、時には十分な休息を取りながら。そして、時にはその方向性を確認しながら

そのような自分の人生を楽しみながら自分以外の人々を幸せにするような生き方が優れているのではないかと、今の私は考えています。当然ながら、このような生き方を誰かに強制するつもりは毛頭ございません人生の選択は自分でするものです。

ここだけの話ですが()、どうやらこの世の創造主は私たちの想像以上に人々を公平に創っているようです。というのも、ある人が言うのです。人類400万年間の歴史の中で私たちは20万回生まれ変わっていると。そのため、今現在の人生がどんなに不幸であっても、転生20万回全体の平均的な幸福度は誰もがそれほど変わらないようです。

今回は一生懸命に生きることについて少しだけ考えてみました。


最初に、一番目の動画で気になったところの画像の切り抜きです。この点は私も北野武(ビートたけし)さんと同じ考えです。




【北野武】人はいずれ死ぬ。一生懸命生きればいい。【成功への道/成功哲学/モチベーション/名言】

動画の途中で出てくるのですが、北野武さんは父親に殴られた人が羨ましいそうです(笑)。この方はどうも父親と口を利いた思い出が全くないようです。世の中にはいろいろな考え方があって本当に参考になります。

なお、日本人の場合、3分の1の子どもは毒親に育てられると言っている人がいます。もしそれが事実ならば、精神的・肉体的虐待を受けて大人になる人がそれだけいることになります。

あまり大きい声では言えませんが、酒を飲んで酔っ払って帰って来るだけだった北野武さんのお父さんは、多分天才ですよ。こういう人ってたまにいるんですよ。

ある種の才能があっても周りに認められなくて自暴自棄な人生を送る人が。


口を利くが正解です()。


動画には故人の石原慎太郎さんも出てきます。私も以前から彼と全く同じ意見を持っていました。

人生の荒波を乗り越えていく上で、父親の人生経験は、子どもに絶対に伝え、還元しなければなりません。そうしなければ、父親の人生における蓄積の意味がないのです。

私や私の兄弟姉妹が苦労した一番の理由は、私の父親がそのような教育を怠ったからです。父親としての最低限の義務を果たさないからそういうことになるのです。


石原慎太郎さんご自身は、学生時代に集団リンチにも逢っており、人間関係でも相当ご苦労をなさった方です。それらのマイナスの経験を見事にプラスに転換し、自分の強さに変えています

私たちも見習いたい生き方です。

余談ですが、私の中学時代の同級生やアルバイトの後輩も、集団リンチを受けています。前者は放課後下級生20名に待ち伏せを受け攻撃されましたが、民家に逃げ込み何とか助かりました。その事件は新聞にも載りました。後者は同級生30名からのリンチで詳細は不明です。たまたまその彼の父親と電話で話したことがあるのですが、本当に失礼な人でした。その父親は京都大学出身の教授でしたが、人間性最悪で、あれでは子どもがまともに育つわけがないと当時つくづく実感したものです。

私の中学生時代はいじめはほとんどなかったです。でも、完全に暴力の時代で、表面には出てこない暴力やリンチは無数にありました。これは最初の校内暴力時代末期のことです。私の地区では私の学年で校内暴力がほぼ治まりりました。ですが、その後陰湿ないじめが盛んになったようです。これもまた根本的な解決ができていないからこそ起きた出来事なのです。

目の前のことに「一所懸命」取り組みなさい

一生懸命という四字熟語は元々一所懸命が本来の書き方らしいです。

この動画も面白くてためになりますよ。

大愚和尚さんが相談者の質問に答えていく動画なのですが、最初の女性の方は私に似ているかもしれません。自分の人生で衝撃的なことが起きますと、価値観や物事の捉え方が劇的に変わることがあります。私は幼少の頃からそういう体験が多かったので、大人になってからはあまり変わっていないかもしれません()。

なお、最初の質問者は質問ではなくお礼の手紙です。メロディーさんは大きな交通事故に遭遇しますが奇跡的にほぼ無傷でした。

私も大きな交通事故を3回、小さなものを数回経験していますが()、それらから無事に生き延びますと自分が生きているというよりも、何か偉大なもの(サムシンググレート)に生かされているような実感があります。

また、2年前の急性心筋梗塞による緊急入院と緊急手術もまた、私の人生に劇的な影響を与えてくれました。私の中で比較的固定的だった一部の価値観も変わりました。さらに、私自身が過去の自分の人生をより肯定できるようになりました。その結果、以前より自分が好きになりました()。


大死大活は禅の言葉だそうです。





【要約】あやうく一生懸命生きるところだった【ハ・ワン】

私にはこの動画の内容は全く当てはまらないです。なぜなら、他人によって作られた人生の無意味なレースを高校2年生の時に気が付いたからです。

ですが、世の中にはいまだにこの他人が敷いたレースに乗っていることに気が付いてない人が大勢いるのかもしれません。なぜなら、この本は韓国のベストセラーなのですが、日本でもかなり売れているからです。

私がこの本の評価を見た時には☆が1,951個でした。一人の☆平均が4個ですと、480人以上の人がレビューを書いていることになります。もちろん、や〇せということもあるかもしれませんが()。

ちなみに、私はユーチューブの動画では98%グッドボタンを押すのですが、この動画では押しませんでした。理由は内容のレベルが低すぎるからです。「努力」や「やる気」をテーマにしている時点で低次元であることがわかってしまいます。

体調不良や病気が原因でやる気が出ないならば理解できます。

でも、「20代や30代の健康な人のやる気が出ない」ならば、完全に甘えです。そんなことを言っているから上に上がれないのです。

また、大の大人が「努力」という言葉をむやみに口にしてはいけません。仕事ならば一生懸命やることが普通です。それは結果を出したい趣味やスポーツでも同様のことです。

全くの私見かもしれませんが、自分が物事に一生懸命取り組んだ姿勢を自分自身で努力という言葉で評価することは間違いだと思います。むしろこの努力という言葉は他人からの評価で使うべきです。

つまり、「私は努力したよ」ではなくて、「あの人はいつも努力してきたね。だから結果を出したのだ」という使い方です。

自分で努力したというと何だか烏滸がましいのです。そもそも努力することなんて当たり前のことです。努力しないで結果を出せる人は非常に少ないのです。

余談ですが、お座りができるようになった赤ちゃんは、その内つかまり立ちができるようになります。その後、立てるようになるまで何度も挑戦をします。途中何でも転びますが成功するまで何度でも立ち上がり、その内歩けるようになります。

これを赤ちゃんの努力と言うでしょうか(笑笑笑)???

これは赤ちゃんにとって当然の行為であり本能です。

本能的に物事に一生懸命取り組めいない人には何かが欠けているのです。その欠けているものは自分で見つけるしかないです。


上の動画のコメント欄に以下のようなものがありました。これもまた賛同しかねます。なぜなら、真の成功者は自分が努力したなど微塵も思っていないからです。

私が知る限りでは努力していない人間に限って努力という言葉を使います。また、努力を頻用する人に限って、頭が悪いです。世の中そんなものですよ。

努力すれば成功するとは限らないが、成功した人はみんな努力している」という言葉が好きです。

【要約】あやうく一生懸命生きるところだった【ハ・ワン】

私ならばこう言います。

頭を使って一生懸命取り組めば結果を出しやすい。
真の成功者は自分が努力したとは微塵も思っていない。


<今日の3行日記> ガス代の請求書に驚愕!

今日の午前中にガス代の請求書が来て目玉が飛び出ました。なぜなら、例年の1.4倍の請求額だったからです。金額にしますと800円にすぎませんが、食費は例年の2倍ですから他の出費を抑えるか収入を増やすしか対策はありません。


今日の表紙画像はこれにしました。今日もまた記事に相応しいイラストが見つかりませんでした。


今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。

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