石の声

海の近くで散歩の日々です。 文学専攻でしたが、今はAIの研究開発などをしています。

石の声

海の近くで散歩の日々です。 文学専攻でしたが、今はAIの研究開発などをしています。

マガジン

  • 落葉集

  • 私の住む街での日々を綴ります。 基本的には紀行ですが、時には想像の出来事を挿入します。そのようにして、ここでは限られた場所の中での出来事をどれくらい記述できるかの散文の試行をしてみようと思います。 更新頻度は1週間に1度の予定です。

  • ガラパゴス化再考

    世の中にガラパゴス化という言葉が出始めた時に、私はそれが肯定的な用法で使われているのだと思い込んでいましたが、実は逆だったことを知って少なからぬ衝撃を受けその波がいまだに続いています。その波の揺らぎを書き留めて行きたいと思います。

記事一覧

勉強して遊ぶのよりも、遊びに飽きて勉強でもしてみるの方が面白そうだ。

石の声
3週間前

超越論的な図式の中で、どのように自己の生を表現するかということを考える時、ジャズは参考になるんだよな〜。

石の声
1か月前

ライブやコンサートとは、一種のブレストなのだな。
でも、そう言ってしまうと、SNSもブレストだよな。

石の声
1か月前

次元を下げていくというのが、本質を探究するということなのだろう。だとしたら、それは微分だ。
だが、本質と微分の手前、を思う。

石の声
5か月前
1

作品としての芸術は、いや単純に、芸術作品は、やはり副次的なものだ。芸術家が作品を作る行為が1次的だ。0次的と言った方が良いか。それを点と見ればそうなる。
だが、その点自体が現れること、それはもはや次元的ではない。

石の声
5か月前

プログラミングは箱庭療法のようなものとして使えるかもしれない。

石の声
5か月前

予行。
私は、あることを順序立てて理解する際に、その前に予めその順序での思考を、私自身にも気付かれずに、既に行なっている。だから、私は同じことを2度繰り返している。

石の声
7か月前

超広角レンズで、或いは360度カメラで、私の周りが全部見えている感じ。私だけが見えておらず。いや、私も見えはするのだが、他のものと同じように、一つの他のものとして見えている感じ。

石の声
7か月前

音を観、光を聴くこと
心地良い物事は音として聞こえ、気味の悪いのは光として見える
それを逆転してみる
前者を光として観、後者を音として聴く
押し離すことと引き寄せること
吟味することと愛すること

石の声
8か月前

祈りは、世界を開くための私独りからの一方向的な行いだ。誰か相手がいるのではない。そして、コミュニケーションよりも、私は祈りを好む。

石の声
8か月前

物事を明晰判明に見る、というのは、客観的な観察でありながら、見たくない事、私の愛する人が苦しんでいて私は何もすることができない、といった事も見なければならないのだから、それは、倫理的な覚悟の必要な構えでもある。

石の声
8か月前
1

リモートワークの縮減について

 リモートワークでは実は生産性が下がって、だから、企業は、従来通り、従業員を出社させる方向に回帰しているという話を良く見聞きする。  こういうのに触れると、お勤…

石の声
8か月前
2

デカルトの『方法序説』を高校生の時以来、数十年ぶりに読んで、これは、勉強の哲学だと思った。いや、明らかにそうしたことが書いてあるのだが、当時はそうは読めなかった。勉強のことが書いてあるのは分かっていたが、説教臭い本だと一蹴したと思う。今読むと、正に、方法、が書いてあるのが分かる。

石の声
9か月前
1

世界を私事として掴むこと、それに入ること、

石の声
9か月前

酒に酔って酒の蘊蓄を語るAIが出現したとしたら、相手として認めてやってもいいと思わなくもない。

石の声
9か月前

村上春樹の『騎士団長殺し』を全編audibleで聞いたが、大変濃密な経験だった。聞くというのは、朗読者という他者が介在することで、彼の声や朗読の速度、そして読まれる時間に掴まれることなのだ。拘束されると言ってもいい。そのことは読解にも影響する。こちらの勝手な解釈が入り込めない。

石の声
10か月前
1

勉強して遊ぶのよりも、遊びに飽きて勉強でもしてみるの方が面白そうだ。

超越論的な図式の中で、どのように自己の生を表現するかということを考える時、ジャズは参考になるんだよな〜。

ライブやコンサートとは、一種のブレストなのだな。
でも、そう言ってしまうと、SNSもブレストだよな。

次元を下げていくというのが、本質を探究するということなのだろう。だとしたら、それは微分だ。
だが、本質と微分の手前、を思う。

作品としての芸術は、いや単純に、芸術作品は、やはり副次的なものだ。芸術家が作品を作る行為が1次的だ。0次的と言った方が良いか。それを点と見ればそうなる。
だが、その点自体が現れること、それはもはや次元的ではない。

プログラミングは箱庭療法のようなものとして使えるかもしれない。

予行。
私は、あることを順序立てて理解する際に、その前に予めその順序での思考を、私自身にも気付かれずに、既に行なっている。だから、私は同じことを2度繰り返している。

超広角レンズで、或いは360度カメラで、私の周りが全部見えている感じ。私だけが見えておらず。いや、私も見えはするのだが、他のものと同じように、一つの他のものとして見えている感じ。

音を観、光を聴くこと
心地良い物事は音として聞こえ、気味の悪いのは光として見える
それを逆転してみる
前者を光として観、後者を音として聴く
押し離すことと引き寄せること
吟味することと愛すること

祈りは、世界を開くための私独りからの一方向的な行いだ。誰か相手がいるのではない。そして、コミュニケーションよりも、私は祈りを好む。

物事を明晰判明に見る、というのは、客観的な観察でありながら、見たくない事、私の愛する人が苦しんでいて私は何もすることができない、といった事も見なければならないのだから、それは、倫理的な覚悟の必要な構えでもある。

リモートワークの縮減について

リモートワークの縮減について

 リモートワークでは実は生産性が下がって、だから、企業は、従来通り、従業員を出社させる方向に回帰しているという話を良く見聞きする。
 こういうのに触れると、お勤めしている人は大変だなと思う。私は、職業人生を自営業で始めて、ほぼずっとそうで、今は会社を経営しているが、メンバーは皆リモートワークだ。コロナが発生したからではなく、その前から、最初からそうしている。
 と言っても、取引している会社の人達と

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デカルトの『方法序説』を高校生の時以来、数十年ぶりに読んで、これは、勉強の哲学だと思った。いや、明らかにそうしたことが書いてあるのだが、当時はそうは読めなかった。勉強のことが書いてあるのは分かっていたが、説教臭い本だと一蹴したと思う。今読むと、正に、方法、が書いてあるのが分かる。

世界を私事として掴むこと、それに入ること、

酒に酔って酒の蘊蓄を語るAIが出現したとしたら、相手として認めてやってもいいと思わなくもない。

村上春樹の『騎士団長殺し』を全編audibleで聞いたが、大変濃密な経験だった。聞くというのは、朗読者という他者が介在することで、彼の声や朗読の速度、そして読まれる時間に掴まれることなのだ。拘束されると言ってもいい。そのことは読解にも影響する。こちらの勝手な解釈が入り込めない。