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ベル研究所でのイノベーション創出とアーティストとのコラボレーション

アーティストが企業などの組織に一定期間加わり、企業の常識を揺るがすようなアイデアを提供することでイノベーションを創出したり、組織変革を促したりすることをアーティスティック・インターベンションといいます。世界で初めて、アーティスティック・インターベンションを行ったのは、おそらくベル研究所だと思います。なぜ、ベル研究所がこの取り組みを行ったのか考えてみました。

数々のイノベーションを生み出したベル研究所


ベル研究所は、米国の電話電信会社AT&Tの研究開発部門として1925年に設立されました。主要業務は、AT&Tが製造する電気通信機器とそのシステムの開発でしたが、広範囲にわたる基礎研究も手がけました。1926年には世界初の音声と映像の同期システム(トーキー)を開発、1937年には、クリントン・ジョセフ・デービソンが、電子が波動的性質と粒子的性質の二重性を示すことを確認してノーベル物理学賞を共同受賞します。
1948年にはジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショクレーがトランジスタを発明し、ノーベル物理学賞を受賞しました。そのほかにも、数々の画期的な発明や開発を行なっています。

ベル研究所で活躍した研究者たちの姿は、ジョン・ガードナー著『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』に書かれています。トランジスタの発明のところなど非常にエキサイティングです。

トランジスタの発明をみると、最初に、バーディーンとブラッテンが点接触型トランジスタを作り、入力した信号が増幅することを見出しました。12月23日にデモンストレーションを行い、経営陣も知るところとなります。ところが、この発明に関与していなかったショックレーは複雑な思いを抱き、翌年の一月末には、接合型トランジスタの理論と設計をまとめるという荒技をやってのけたと書かれています。

これは、ベル研究所が基礎研究に力を入れていたことを物語るエピソードの一つで、クリスマスのデモンストレーションを見た経営陣は、重要な発明であることを感じ取っていましたが、具体的にどういうことに使えるのかはわかっていませんでした。それが、電子機器の高性能化に寄与することになるのです。

ベル研究所とアーティストとのコラボレーション


ベル研究所とアーティストとの関わりは、トランジスタの発明から遡ること十数年、1931年から1932年にかけて、「音の魔術師」の異名をもつ指揮者レオポルド・ストコフスキーとともに録音技術の研究を行い、世界初のステレオ録音を行った記録が残っています。

1950年代になると、アーティストが研究所に滞在するようになります。1968年にベル研究所に来たアーティスト、リリアンシ・シュワルツは、エンジニアと協力して、コンピュータアニメーション映画を制作しました。

1960年代なかばには、研究所の二人のエンジニアと、著名なアーティストたち、ロバート・ラウシェンバーグ、ジョン・ケージ、ロバート・ホイットマンらが協力して、芸術と工学の実験を行うようになりました。その後、彼らは「E.A.T. (Experiments in Art and Technology)」を結成し、ベル研究所とは独立して、テクノロジーを通じて芸術活動を支援し、芸術生産を通じて科学技術の持つ本来的な性質や方向性を検証、従来の科学的なシステムの批判・脱領域化をはかることを行いました。この活動は1980年代まで続き、教育やコミュニケーションに先進技術を組み込むことに挑戦しました。


ベル研究所が、数多くの発明を行っていた時期、AT&Tの経営陣は、自社の技術が、遠い未来に何に役立つかという長期的な視点で技術開発を捉えていました。
また、当時研究所の部長であったマービン・ケリーは次のように語っています。

リーダーシップ、組織、チームワークを重視することはもちろん重要だが、最も重要なのはやはり個人である。創造的なアイデアや概念は、個人の頭の中で生み出されるからだ。

ジョン・ガードナー『世界の技術を支配するベル研究所の興亡』

長期的視点と個人のアイデアを重視したことから、アーティストを研究所に滞在させて、研究者やエンジニアとは異なるアイデアを提供してもらうことを期待したのだと思います。


アーティストとの新たなコラボレーション


1970年代になると、シリコンバレーを中心に、テック系のベンチャーた誕生するようになります。日本企業も含め、多くの企業が、高品質な製品を次々に投入してきました。これらの製品のほとんどで、ベル研究所が開発した基盤技術を使っていました。

このような状況から、ベル研究所の性質も変わりました。1990年代には、AT&Tの技術部門がルーセント・テクノロジーズとして独立、2006年には、フランスのアルカテルと合併します。このとき、基礎研究を廃止、すぐに収益につながる技術開発に特化しました。

2015年には、ノキアがアルカテル・ルーセントを買収、現在ベル研究所はノキアの傘下にあります。そして、E.A.T.プログラムが再開され、世界中のアーティストとコラボレーションを行なっています。話し言葉や書き言葉を超えた高次のコミュニケーションモードを可能にしたいというイノベーティブなテーマに挑戦、これにより、人/人種/文化/宗教などの障壁を取り除くことができると考えているそうです。

ベル研究所に滞在しているアーティストたちは、スタジオスペース、科学者やテクノロジーへのアクセスが提供されます。そして自分の関心のあるプロジェクトのメンバーになって会議にも参加することができます。

このノキアの取り組みは、ショックレーの時代のようにベル研究所の輝きを取り戻し、未来のための基盤技術を開発したいという意志の現れだと思います。

日本企業も、社会を大きく変革するような画期的イノベーション創出のため、アーティスティック・インターベンションの可能性に目を向けてほしいと思います。


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