可能なるコモンウェルス〈62〉

 ジェファーソンは「共和政体」を原理的に、すなわち「日常的」に回復させることで、新国家アメリカに芽生えつつあった「専制への危機」を回避しようと考えた。そしてその手段として彼は、植民当初から各地の人々の間で「自然発生的」に構築されていた政治体を念頭に、「区=基本的共和国(タウンシップ=ウォード=エレメンタリー・リパブリック)」の導入を企図したわけであった。
「…ジェファーソンによれば、『郡を区に再分割すること』、つまり『小共和国』をつくることを要求しているのは、共和政体の原理そのものであった。…」(※1)
 ただしこの「分割」は、けっして「アメリカ合衆国の分断」ではないということを、ジェファーソンとしてはむしろ強調しておきたいところでもあった。それは結果的に「アメリカ連邦政府を共和政体として取り戻すことになる」のだから、と。
「…『大共和国の主要な力をなすものは、これらの小共和国』であった。連邦の共和政府が、権力は人民に由来するという仮定にもとづいているかぎり、それが適切に機能する条件そのものは、『(統治を)多くのものに分割し、各人が権限をもつ機能を各人に厳密に配分する』という計画のなかにあるからである。これなくしては、共和政体の原理そのものが現実化されず、合衆国政府はその名称においてのみ共和政となるだろう。…」(※2)
「…各人のためにつくられるこのような最小の機関を、万人のためにつくられる連邦の統治構造にどのように統合するかという問題について、彼の答はこうであった。『区という基本的共和国、郡共和国、州共和国、そして連邦という共和国は、権威の段階を形成し、それぞれ法の基礎のうえに立ち、それぞれ委任された権力を分有し、統治のための基本的な均衡と抑制のシステムを真に構成する。』…」(※3)
「…この『小共和国』によって『国のすべての人びと』は『共通の政府の積極的一員となり、たしかに下位のものではあるが重要な権利と義務の大部分を、完全に自分の権限の範囲内で自ら実行する』ことができるのである。…」(※4)
 ジェファーソンは、独立革命当初にあった新国家構成プランの一つ、いやむしろそれ以前においては「現実に存在していたはず」の政治体系、すなわち「諸国家連合(コンフェデレーション)」の再導入を、「小共和国(区)から大共和国(連邦)へ」という、いわば「下からの連合(アソシエーション)」として再構想したわけである。
 しかし結論的に言えば、すでに集権的な統治機能を果たしている「大共和国(=アメリカ合衆国)」が存在している限りにおいては、そこにいくら「区制」が導入されえたとして、あくまで「大共和国=アメリカ合衆国」を念頭にした「権力の上から下への分割」にならざるをえないという現実は、ジェファーソンといえども回避できなかったのだ、ということになる。
 もしもジェファーソンの構想が、その思い描いた通りに導入されたとして、しかしそのことによって「大共和国=アメリカ合衆国」において十全に享受されうるものとなっていたはずの「権力(power)」が分割されてしまい、「かえってその十全さが縮小された状態で『下』に引き渡される」のだとしたら、おそらくは誰もそのような「権力(power)を獲得しようとすることはしない」だろう。要するに、革命過程の結果としてすでに「アメリカ合衆国の成立」が見出されている現状において、そこにあらためて「革命過程の制度的な繰り返し」を導入するなどということは、まさしくそれが「制度的なものとして構想されているがゆえ」の限界が、いやむしろ無理があったということになる。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「革命について」志水速雄訳
※2 アレント「革命について」志水速雄訳
※3 アレント「革命について」志水速雄訳
※4 アレント「革命について」志水速雄訳

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?