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自らの加害性に目を向けて―マイノリティであるが故の暴力―



マイノリティや当事者自身が、自らの加害性に目を向けることは少ないかもしれない。

本来、マイノリティや当事者ならば加害性というよりも被害を受けてきた側だ。

あくまでも加害性に目を向けなくてはならないのは

私を含む「語ることができるマイノリティや当事者」からそれ以上のパワーを持つ者たちが、考えていかなくてはならない。それは、マジョリティの再生産や繰り返しにならないためだけではない。自らのマイノリティ性を武器にすることで、本来、立場や思いを共有するはずの人々を追い込んでしまう可能性を減らすためである。


とはいうものの、マイノリティ性を強く持つマイノリティや当事者たちが加害性を熟考することは難しい。

私たちは、マイノリティ性を武器にして、マジョリティがいいようにしてきた社会を変えようと努力してきた。

直接的に変えられなくても、マジョリティの中に入って発言・行動・批判などをすることで、変革をもたらしてきたはずだ。

自らが差別され、偏見され、たくさんのものを奪われてきて、自分を自分で殺した日もあった。

だから、そんな社会を変えて、自らを含めて同じように苦しむ他者を救うために戦った。

しかし見方を変えれば、マジョリティの世界に突如として現れた侵略者ともいえる。マジョリティがマジョリティとして生きてきた世界に対して、様々な意味で破壊と再構成を行うわけであるから、恐怖として受け取られかねない。

私たちは、立場的にとても難しいところにいる。


マジョリティと同じようなことをすれば、
マジョリティの暴力性を肯定したことになる。

マジョリティと同じように変革すれば、
マジョリティの排除性を了解したことになる。


マイノリティとして自らの意見をいい、自らの行動を押し通していけば、これまでのマジョリティの行ってきた横暴さと何も変わらないという問題が出てくる。

マジョリティが行ってきた差別や排除があるのだから、似て非なる力をもって戦わなければならないのは正しいことである。しかし、対話や共同でやっていく際に「強く提示する」というのはいかがなものかと個人的に感じ始めた。

Noteでも書いたことがあるが、私がエリートはいい思いばかりして苦しみを知らないと言い放った時、

「確かに、僕らエリートは恵まれてきたかもしれないが、悲しみや困難さを経験してないわけではないし、君と同じように嫌な目にあってきた。君のように直接的な被害や未来にまで尾を引く出来事はなかったかもしれないが、なにもなかったということはないし、訂正してほしい」

と言われたことがあった。いじめを受けた経験や不登校の経験から高校進学ができなくなり、全日制高校への夢が叶わなかったことに対して「全日制高校が全てではない、そこに縛られるな」という意見が出たことがきっかけだったと記憶する。

確かに、エリートであろうが、マジョリティであろうが全員が幸せであるというロジックはおかしい。けれど、一緒にしなければ自ら奪われてきたものや得られなかったものへの受け入れが困難になってしまう。

一つの戦略として、決めつけやその後の議論に進ませないということをマイノリティは行うことがあるし、そうしなければマジョリティに抑圧されてしまうからせざるを得ないところもある。

しかし、私が経験したような相手を傷つけてしまうことも往々にしてあり得る。

そして、マイノリティ同士だってあり得ることである。特に、利益を多く配分されたマイノリティや社会参画が達成されつつあるマイノリティは、そうでないマイノリティに対しての無意識の圧力がある。

こういうマイノリティだから、あらゆる方法で最大限の配慮をしろ、傷つけても我慢しろマイノリティだから、これができないからできなくてもいいことにしろ

マイノリティ同士でさえ、「どうしてよ」と感じることはたくさんある。そして、それが罷り通るのは、強いマイノリティたちだけであるということは見過ごせない。


こうして私は、自分の加害性に目を向ける機会を得た。ただ、思うことを表象できる限界がある。ただ、マジョリティ側が加害性に向けても多少の抑圧で済むが、マイノリティが自らの加害性に目を向けると行動ができなくなってしまう。でも、目を向けなければならないときは必ず来るし、私はやってきた。

私は、全く何もない状態で気が付いてしまったし、理解者がいるわけではない。安息を与えてくれる場所も人もいるわけではない。だから余計に苦しくなっているのかもしれない。

もっと資源に溢れていたら、もっと納得できる道を歩めていたら、深く傷つかずに受け止めることができたかもしれない。気が付くのが遅いということも言えるが、こうでなければ得られなかったとも思う。

マイノリティの加害性は、マイノリティ自身が気づいていくものであるが、しっかりと見つめ直せる環境が必要である。でも、安心できる環境があると考えることが難しいんだよね。

夢はルポライターなどです。(/・ω・)/「声なき声を」届けることや草の根活動を頑張っている人や世に出せるように、そのために使えたらなと思います。