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#毎日note

沙由美のたんぽぽ:ショートショート

沙由美のたんぽぽ:ショートショート

 少年のころ、私はたんぽぽの黄色が好きだった。生い茂る草叢のなかに見つければ、それはリングケースに収まったダイヤのようであったし、アスファルトの道端で見かければ、それは濁った水面がきらりと反射する美しい日光のようだった。

 いずれにしても、私はそこに生きる理由をしか見出さなかった。自転車をうまく漕げなかった日も、好きな女の子につきまとって先生に怒られた日も、たんぽぽの黄色は、暗澹たる雨雲のずっと

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友梨佳の英雄:ショートショート

友梨佳の英雄:ショートショート

 まず、死ぬと決めた。次に、財布を見た。

 全財産、2万7千円。つまり俺、余命2万7千円。役所から税金の督促状が届いているが、死んでも払うまい。いや、それはおかしい。死ぬんだから、最期に善行でもするべきか。それとも、二月後には飢えてぽっくり逝っていると決まっているのだから、払う義務などないと考えるべきか。

 ともかく、俺はもう働きたくないし、人の世話になるのも嫌だから、死ぬしかないのだ。しかし

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智花のナポリタン:ショートショート

智花のナポリタン:ショートショート

 どんなに多様性のあふれる時代になったとしても、冷たいナポリタンが大好きだ、なんて智花の味覚は誰の共感も得られないだろう。

 しかし彼女は、舌先の感覚でそれを好ましく思っているのではなかった。ほとほと人との繋がりに疲労困憊していた彼女は、この冷え冷えとした味わいのなかに、いったいどこの神経がそれを感じ取っているというのか、ともかく断絶と孤独の味を見出すのだった。

 パスタに絡まった、ケチャップ

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ある熟女の宿:ショートショート

ある熟女の宿:ショートショート

その女は美しかった。美しいだけではない。華やかなのだ。齢は四十といったところだろうか。明るい紫のノースリーブワンピースから伸びる白い腕は肌理が細かく、密になだらかで、じっと永く見つめようとしても、私の目が送る視線は、あたかもそれは水滴であるかのように撥ねてしまい、一点に留めてはいられないのだった。そうして刹那刹那に外れては戻る視線はやがて指先の方へ移り、そこに安住の地を見出す。あでやかな薄紅色に染

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里子の三日月:ショートショート

里子の三日月:ショートショート

 県立S高校の2年生たちは、厳格なヒエラルヒーがあった訳ではないが、里子の美は圧倒的な支持を得ていた。男子からはもちろん、彼女に寄せられる女子たちの好意は、質、量、ともに男子のそれを遥かに凌駕していた。とういよりかは、女子の方が堂々とそうすることができたといった方が正確かもしれない。

 一方、潤太という少年がいた。彼は男子からは好かれていたが、女子からは嫌われていた。最近はめっぽう大人しい彼であ

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風花の平等権:ショートショート

風花の平等権:ショートショート

 シュッシュッシュッシュッシュッシュッ・・・・・

 と風花が自分の持ち物に延々とアルコールを吹きかけるのは、コロナウイルスを恐れてのことではなかった。

 だが、真夏の朝の満員電車——彼女がそこへ乗り込むには、感染病棟で働く医療者たちと同じくらいの勇気と覚悟が必要だった。あるいはそれは、空気清浄機に魅せられている人が、外の空気に恐怖するのと同じだった。

 彼女は思う。

『今日も私は汚れてしま

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時子のおじさん:ショートショート

時子のおじさん:ショートショート

 何をするにも気力が湧いてこない。これをうつ病というのだろうか。しかし死ぬ気力さえ湧いてこないのだから、病気ではないのかもしれない。それともこれはまだ初期症状であって、このまま放置すれば、首をくくる元気が出てくるのだろうか。

 そんな元気が時子には、羨ましいくらいだった。

 小鳥のさえずりに替わって聞こえてくるのは、近所の子供たちがはしゃぐ声だった。子供たちのエネルギーはすごい。今はぐだぐだと

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美鈴の胸中:ショートショート

美鈴の胸中:ショートショート

ぽっかり心に穴が空いたまま、サトルは女を抱いていた。

「サトルくん、私と一緒にいて楽しい?」

「楽しいよ」と彼は答えた。

嘘だった。正確には、本当だった。けれども、この楽しさは、サトルにそうであってほしいと彼女が願っているのとは、ぴたりと一致してはいなかっただろう。

彼女では、彼の虚空を埋めることができなかった。

「うそよ」

「うそじゃないよ」

「好きな人がこんなに近くにいるのに、ど

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由香の藁人形:ショートショート(ホラー注意)

由香の藁人形:ショートショート(ホラー注意)

 6年3組の担任萩山は、クラス一の美少女、七菜香の肩をすこぶる持っていた。萩山がそんなつもりでないことは言うまでもない。彼はいたって公平に接している気でいたし、それどころか、誰よりも事情を知り、一切の偏見から免れ、視野広く全体を俯瞰する、自分だけが真実を見ている唯一無二の人格者だと信じている。

 「どうしてクラスの友達にそんなことするんだ?」

由香、翔子、未希の三人は、ぶすっとした顔をして黙り

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和佳子の乾杯:ショートショート

和佳子の乾杯:ショートショート

こつん、と、乾杯の音が響いて消えた。

はかない瞬間だった。ここに至るまでの苦労をすべて順に記してゆけば、それはオーケストラの奏でる交響曲になるのではないか?

しかし現実に鳴ったのは、なんとも侘しく冷たい音だった。

けれども、何百年と世界中で愛されてきたこの習慣は、生きた化石といって過言ではないだろう。

と、和佳子は、焚火の明かりに一人照らされて、永く続く人の営みに思いを馳せた。そしてくいっ

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睦子の逆鱗:ショートショート

睦子の逆鱗:ショートショート

 西暦2320年、日本でアダルトビデオの販売および制作が禁止されて200年が経つ。公序良俗に反するからではなく、むしろ性は性として積極的に肯定されており、しかし性教育の面からいってアダルトビデオは百害あって一利なしであったから、もってこれを禁じ、良質な性生活の実現を志す非営利団体監修のもと、セックス通信教育が無償で提供されていた。
 50年前の2270年には、ネット闇市を通じた取引やダウンロードが

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カミーユの揺りかご:ショートショート

カミーユの揺りかご:ショートショート

 1997年9月のある日の午前、7歳だった私は訳の分からないまま、内戦の傷跡がいまだ生々しいカンボジアの地へ降り立った。

 隣国タイの首都バンコクを経由しなければならなかったので、成田空港からジャンボジェット機でやってきた私たち家族は、そこで打って変わり、プロペラ式の小型旅客機に乗り換えていた。ちょうど手に持っていたJALのおもちゃ飛行機と、そう変わらないようなこんな飛行機に乗って、墜落してしま

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玲子の三角関係:ショートショート

玲子の三角関係:ショートショート

 セックスレスの原因は上げたらキリがないが、玲子と英紀に限っては、中学生のような誤解を発端に6年つづいていた。お互い31歳のときに籍を入れ、2人とも今年で37歳になる。結婚してすぐにセックスレスに陥ったわけである。
 誤解というのは、なんのことはなくて、お互い求めているはずなのに、対話不足もまた要因なのであろう、ともども相手に拒まれていると勘違いしているのだった。
 しかも誤解に至る道筋というのが

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多美子の逡巡:戯曲(3200字)

多美子の逡巡:戯曲(3200字)

登場人物
多美子 エンジニア(助手)
ローリンゲン教授 インテリ教の最高権威
ノベール 正体不明のインフルエンサー

あらすじ(舞台背景)
 世界を一瞬のうちに破滅させる兵器の開発に、多美子はエンジニアとして携わっていた。なぜこんな仕事に就いているか。それが神の意志に他ならないと考えているからだ。罪悪感に苛まれることはない。この兵器が産声を上げる前から人類は永く、殺し合いに殺し合いを重ねてきた。そ

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