時子のおじさん:ショートショート
何をするにも気力が湧いてこない。これをうつ病というのだろうか。しかし死ぬ気力さえ湧いてこないのだから、病気ではないのかもしれない。それともこれはまだ初期症状であって、このまま放置すれば、首をくくる元気が出てくるのだろうか。
そんな元気が時子には、羨ましいくらいだった。
小鳥のさえずりに替わって聞こえてくるのは、近所の子供たちがはしゃぐ声だった。子供たちのエネルギーはすごい。今はぐだぐだとベッドにうなだれている自分も、かつてそんな風に遊びまわっていただろうか、と記憶を探ってみようとしたが、すぐに手は止まってしまう。いや、言い訳をさせてもらうと、重いのだ。昨日という、記憶に被せた蓋が、あんまりに重くて、開けることができない。だから思い出せたのは、昨日見た夢のおぼろげな残像だけだった。
小さな、よく言えばプライベートジェットみたいな飛行機に乗って、不時着を試みている絶体絶命の夢だ。そんな悪夢にもかかわらず、激しく揺れる機内で時子はいたって冷静だった。なぜだか恐怖は少しも感じなかった。この期に及んでなお、『自分だけは大丈夫だ』などと思っていたのだろうか。あるいは、悪夢が悪夢に思えないほど、現実がひどく荒廃しているのかもしれない。
今日がまた夜まで続くのか、と思うと、気が遠くなった。
どういう訳か、目まで痛くなってくる。
誰かにチクチクと刺されているような。
ような・・・ような・・・
『違う・・ようなじゃない・・・実際に刺されている・・誰かが私の目を・・・』
普通なら驚いて飛び上がるところを、やはり時子はぐったりとした反応をしか起こせないのだった。
視界がゆっくり開けると、もう驚くこともできない時子は、小人を見た。
掌ほどの大きさをしたおじさんだった。
「あら、小人さん。こんにちは。元気そうね。うらやましい」
小人は無言のまま、時子の顔のそばに腰を下ろし、見上げてくるだけだった。
「小人さん、元気そうなら、私をどこかへ連れてってくれる?」
小人は少し考え込むような仕草を見せた。
「どこか全く別の世界に連れてって貰えるかしら」
今度はおおきく首をかしげて、『はて?』とでも言わんばかりの小人。
「見たこともないような、全く新しい世界よ。あなたの故郷なんてどうかしら」
小人は初めて表情を変えた。嬉しそうに、合点がいったような、なにか思いついたような、ともかく小人の頭上近くにランプがついたらしい。そしてポン、と手を打った。
何をしだすかと思いきや、小人はベッドから飛び降りた。おかしな走り方で台所の方へ駈け込んでゆく。冷蔵庫の前までやってくると、上を高々と見上げた。そこにはレンジが置いてあった。一体どんな魔法を使ったのか、レンジの扉が勝手に開いて、小人は冷蔵庫を這いのぼった。そしてレンジの中へ入り、扉を閉めた。
———チン、とレンジが鳴った。
少し前から、すでに香ばしいスパイスの香りが部屋に充満していた。不思議だった。あれほど湧かなかった生きる活力が、ともするとセルフネグレクトに陥って餓死さえしていたかもしれないのに、ご飯を食べて生きようとする意欲が、腹の底から止めどもなく溢れてくるのだった。
この命を、願わくばまだ燃やし続けたい——と時子は、こらえきれずレンジへ猪突猛進した。
扉を開けると、タイ風のココナッツカレーができあがっていた。オイルの煌めく緑が鮮やかなスープ、ほくほくした白いライス・・・
死ぬほど美味しかった。
( ´艸`)🎵🎶🎵<(_ _)>