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織部の茶室

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「利休七哲」の一人であり、利休の死後は徳川家の茶道指南役として天下一の茶人となった武将茶人・古田織部のつくった茶室を集めました!(通称・へうげもの..です!)
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#drawing

猿面茶席(古田織部の元国宝茶室)

「猿面茶席(さるめんちゃせき)」

利休の弟子で、利休の死後は徳川家の茶道指南役となった、古田織部(1544-1615年)の意匠と伝わる茶室。

家康の城・名古屋城築城の際に、清洲城(信長の城)の古材を利用して建築されたそうです。

信長が清洲城にいた頃、枝を払った節目が二つある柱がありました。それを見た信長は秀吉に向かい、「汝の面のようだ」と戯れたそうです。

その柱が床の間の柱(床柱)に使われ

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「へうげもの」の茶室



「織部四畳半台目席」

ある種完成形、方形の四畳半に中柱が立つ。織部の確かなチャレンジの跡が感じられる。

作者の織部は利休七哲にも数えられる利休の弟子で、利休の死後は将軍家の茶道指南役(天下一の茶人)となった。

師の利休に負けず劣らずの創作意欲と気概が感じられる作品を数々と残し、

茶室や作庭はもちろん、陶器の世界では独特色味を持つ織部焼等、面白い作品が多数。

後々、彼の素晴らしい芸術志

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織部好 三畳台目



「織部好 三畳台目」

利休の弟子でもある織部が、利休の深三畳台目を参考にしたもので、中柱を伴う台目構えの形式です。

(↓利休の深三畳台目。中柱を伴う台目構え初期の試作で、袖壁は吹抜けず、下まで付いている)

織部は利休以降、将軍家の茶道指南役として天下一の茶人となりました。
徳川政権の下、利休とは異なる武家茶を進めましたが、最後は利休と同じく自刃

「人とちがうことをする」
という、利休の

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