茶室建築 Tea-Room

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茶室建築 Tea-Room

日本各地にある茶室の間取り(図面)を紹介&解説するサイトです!日本文化・日本建築、全般好きです。茶の湯(茶道)文化の魅力が伝わりましたら幸いです。(大半の茶室は「○○ 間取り」で検索いただくと、検索上位・画像タブに表示されるようになっています。名前でお探しの際にはご活用ください)

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茶室建築のおすすめ本一覧

このサイトをつくるのに主に参考にしている「入門本(3冊)+茶室に関する書籍(10冊)+大型本(10冊)+マンガ」の紹介ページです! (このサイトの人気記事↓) (茶室図面を描いてる人↓) ※Amazonページの新品もしくは中古本の最安値が表示されてますが、定価よりかなり割高のものもあります。その場合は「メルカリ」や「ヤフオク」で探してみるとより安く手に入ると思います! <入門本(わかりやすい用語解説や全体観など、初めの1冊に)>■自慢できる茶室をつくるために →読者に

    • 燈心亭(水無瀬神宮茶室)

      「燈心亭(とうしんてい)」 水無瀬神宮は大阪府の北東、京都府との境に近い三島郡にあります。 燈心亭は水無瀬家に伝来する茶室で、後鳥羽上皇に思慕を寄せていた御水尾上皇(1596〜1680年)から下賜されたと伝えられます(諸説あり)。 寄棟造茅葺屋根の田舎屋風なたたずまいで、内部は茶室と水屋から成ります。 茶室は三畳台目で、正面には床と違棚。床は蹴込床(けこみどこ)で奥行きは浅く押板風、違棚の三方の壁は白張付です。 正面に床と棚を並べるのは書院造座敷の主室における座敷飾

      • スケッチ 西本願寺飛雲閣 憶昔席↓ https://note.com/sakurada_wa/n/na056b929e171

        • スケッチ 犬山有楽苑 如庵(国宝)↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n487f53359ce1

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        茶室建築のおすすめ本一覧

        マガジン

        • 重文の茶室
          32本
        • 京都にある茶室
          58本
        • 国宝の茶室
          6本
        • 有楽の茶室
          6本
        • 東京周辺にある茶室
          12本
        • 三千家の茶室
          13本

        記事

          憶昔席(西本願寺 飛雲閣)

          「憶昔席(いくじゃくのせき)」 京都西本願寺境内の滴翠園(てきすいえん)内に建つ飛雲閣に付随する茶室。 寛政7(1795)年9月に席披き(せきびらき)が催され、寺側の記録によると西本願寺十八代門主・文如(もんにょ)を正客に、藪内家六代・比老斎竹陰(ひろうさいちくいん)も相伴に加わっていたそうです。当時、文如は比老斎に茶道の相伝を受けており、この茶室はその比老斎の指導・好みで建立されたと考えられています。 内部は三畳半に板間を付けた間取りで、壁はすべて紅壁(弁柄(べんがら

          憶昔席(西本願寺 飛雲閣)

          スケッチ 尾道浄土寺 露滴庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n47999d161af9

          スケッチ 尾道浄土寺 露滴庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n47999d161af9

          国宝茶室 如庵(愛知 犬山有楽苑)

          「如庵(じょあん)」 愛知県犬山市の有楽苑にある国宝茶室。 元々は建仁寺の塔頭正伝院に設けられた茶室で、織田有楽斎の作とされています。有楽は織田信長の実弟であり利休と同時代を生きた茶人の一人です。 明治6(1873)年正伝院は同じ建仁寺の永源院と合併され、正伝院の建物は四散します。明治41(1908)年に売却され、如庵と書院とは一旦は東京三井家本邸に移されます。 その後、大磯の同家別荘を経て、昭和46(1971)年に犬山城下の有楽苑(現在の地)に移築されました。露地な

          国宝茶室 如庵(愛知 犬山有楽苑)

          スケッチ 横浜三溪園 春草廬↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nf6f977779bfb

          スケッチ 横浜三溪園 春草廬↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nf6f977779bfb

          露滴庵(広島県尾道市 浄土寺)

          「露滴庵(ろてきあん)」 広島県尾道市の浄土寺に現存。 寺伝によると、元は京都の伏見城内にあった豊臣秀吉公遺愛の席とされています。そこから京都の本願寺を経て、江戸時代に広島の向島の富豪・天満屋(富島家)へ移されたと伝えられます。 その後、文化11年(1814年)に浄土寺に寄進されたそうです。度重なる移築で当初材はほとんど失われている可能性が高いようです。 入母屋造茅葺の外観が特徴的です。内部は三畳台目の向切、三畳を挟んで両側に台目の点前座と一畳の相伴席がつきます。

          露滴庵(広島県尾道市 浄土寺)

          スケッチ 武者小路千家 半宝庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n341bc7e8f9b9

          スケッチ 武者小路千家 半宝庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n341bc7e8f9b9

          春草廬(横浜三溪園)

          「春草廬(しゅんそうろ)」 神奈川県横浜市の三溪園にある茶室。 三溪園に移築前は京都宇治の金蔵院にあり、その時の名は「九窓亭」。大正11(1922)年に移築され園内に建てられたそうです。 その後、第二次世界大戦中の昭和18(1943)年に解体され、そのまま保管されていたようですが、水屋部分を除く春草廬の解体材は原家から臨春閣とともに横浜市に寄贈。再現されるにあたり水屋部分も寄贈され、昭和32(1957)年に現在地に再現されたそうです。 内部は三畳台目の席で、炉は台目切

          春草廬(横浜三溪園)

          半宝庵(武者小路千家)

          「半宝庵(はんぽうあん)」 京都の武者小路千家敷地内に現存する茶室。 七代・直斎堅叟(じきさいけんそう)が安永元(1772)年に焼失した官休庵を再建する際につくった「一方庵(いっぽうあん)」という茶室が始まりで、何度かの焼失を経て半宝庵と名を変えてきたのがこの茶室だそうです。 全体四畳半(正方形)に桝床を組み入れ、床脇の一畳を点前座にしています。 炉は台目切りで真っ直ぐな中柱と袖壁を立て、点前座側の入隅には上下の棚の大きさが同じ利休流の釣棚。風炉先には下地窓があきます

          半宝庵(武者小路千家)

          スケッチ 武者小路千家 半床庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n1127c6dc8b3f

          スケッチ 武者小路千家 半床庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n1127c6dc8b3f

          スケッチ 大徳寺龍光院 密庵(国宝)↓ https://note.com/sakurada_wa/n/ncbbab16bec6d

          スケッチ 大徳寺龍光院 密庵(国宝)↓ https://note.com/sakurada_wa/n/ncbbab16bec6d

          スケッチ 醍醐寺三宝院 松月亭↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n2e99e3cc56c2

          スケッチ 醍醐寺三宝院 松月亭↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n2e99e3cc56c2

          半床庵(官休庵東京稽古場)

          「半床庵(はんしょうあん)」 武者小路千家の茶室。 東京都文京区千駄木の官休庵東京出張所に建つ茶室で、もとは名古屋の某家にあったものを大正10(1921)年に現在地(旧久米邸)に移築、昭和34(1959)年に半床庵を含む一画を武者小路千家が譲り受け、現在の官休庵東京稽古場(出張所)としたそうです。 京都の久田家にも同名の茶室がありますが、別のものです。 久田家三代の宗全好みと伝えられています。宗全は江戸前期の茶人であり、客座に台目を効果的に用いた茶人として知られていま

          半床庵(官休庵東京稽古場)