茶室建築 Tea-Room

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茶室建築 Tea-Room

日本各地にある茶室の間取り(図面)を紹介&解説するサイトです!日本文化・日本建築、全般好きです。茶の湯(茶道)文化の魅力が伝わりましたら幸いです。↓Instagram版はこちら(https://www.instagram.com/sakurada.wa/ )

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茶室建築のおすすめ本一覧

このサイトをつくるのに主に参考にしている「入門本(3冊)+茶室に関する書籍(10冊)+大型本(10冊)+マンガ」の紹介ページです! (このサイトの人気記事↓) (茶室図面を描いてる人↓) ※Amazonページの新品もしくは中古本の最安値が表示されてますが、定価よりかなり割高のものもあります。その場合は「メルカリ」や「ヤフオク」で探してみるとより安く手に入ると思います! <入門本(わかりやすい用語解説や全体観など、初めの1冊に)>■自慢できる茶室をつくるために →読者に

    • スケッチ 高台寺 鬼瓦席↓ https://note.com/sakurada_wa/n/ne6de51d56e7c

      • スケッチ 高台寺 遺芳庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n2f8aaff94d8f

        • 国宝茶室 密庵(京都大徳寺 龍光院)

          「密庵(みったん)」 国内に現存する国宝茶室(待庵・如庵・密庵)の一つで、江戸前期の茶人・小堀遠州の作。 密庵のある龍光院は京都大徳寺の西南の端に位置し、特別公開も含め一切の拝観を行っておらず完全非公開となっています。そのため、他の二つは見ることができることから「最も見るのが難しい国宝」とも呼ばれます。 密庵は現在、書院の北西隅に組み込まれていますが、当初は独立した建物であったそうです。 内部は床・違棚をもつ四畳半に台目の点前座をつけたもので、書院造が骨格となっていま

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        茶室建築のおすすめ本一覧

        マガジン

        • 遠州の茶室
          7本
        • 京都大徳寺
          13本
        • 国宝の茶室
          6本
        • 京都にある茶室
          58本
        • 利休の茶室
          6本
        • 三斎の茶室
          2本

        記事

          スケッチ 慈照寺 集芳軒↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nfa3fe339a5ca

          スケッチ 慈照寺 集芳軒↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nfa3fe339a5ca

          スケッチ 妙喜庵 待庵(国宝)↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nbcf5ff5b1f2c

          スケッチ 妙喜庵 待庵(国宝)↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nbcf5ff5b1f2c

          松月亭(京都醍醐寺 三宝院)

          「松月亭(しょうげつてい)」 京都 醍醐寺の子院・三宝院にある茶室。 内部の杉戸の鴛鴦図(おしどりず)は岸良(1792~1852年)の筆によるものであることから、江戸時代末期に造られたものと推定されます。 東南の角柱が庭の池中の根石に支えられており、池の上にせり出すように建っています。 内部は四畳半本勝手で、東面の壁に大きな円窓があるのが特長的です。 南面の壁は、東側に貴人口と池の上に竹簀子の縁、西側には躙口が設けられています。躙口の上には連子窓があきます。 亭主

          松月亭(京都醍醐寺 三宝院)

          芭蕉庵(京都 金福寺)

          「芭蕉庵(ばしょうあん)」 京都の金福寺にある茶室。 元禄年間(1688年~)に俳聖・松尾芭蕉(1644~1694年)がこの庵に滞在して句をつくったそうです。 その庵は荒廃し形も無くなっていたところ、江戸中期の俳人・与謝蕪村(1716~1784年)がその荒廃を惜しみ一門と共に再興したのが、この芭蕉庵と伝えられています。庵の近くには蕪村のお墓もあります。 内部は三畳台目に踏込床形式の台目床で全体四畳半の広さとなります。 床脇の壁は下方吹抜けで、隣には台目畳に炉は隅炉に

          芭蕉庵(京都 金福寺)

          スケッチ 堀内家 半桂席↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n789387ea69ad

          スケッチ 堀内家 半桂席↓ https://note.com/sakurada_wa/n/n789387ea69ad

          スケッチ 大徳寺高桐院 松向軒↓ https://note.com/sakurada_wa/n/naab4ef99a742

          スケッチ 大徳寺高桐院 松向軒↓ https://note.com/sakurada_wa/n/naab4ef99a742

          鬼瓦席(京都 高台寺)

          「鬼瓦席(おにがわらのせき)」 京都の高台寺にある茶室。 境内の方丈、書院の背後に位置し、遺芳庵とは露地を隔てて向かい合うようにして建っています。 江戸初期の豪商・灰屋紹益(じょうえき・1610~1691年)(※本阿弥光悦の甥を父に持ち、幼少期に豪商・灰屋の養子となった)遺愛の茶室と伝えられます。 この茶室はもとは遺芳庵(※紹益の妻・吉野太夫(1606~1643年)遺愛の席と伝わる)と同じく、紹益邸内にあったそうです。 その後、千家十職の駒澤利斎が所有していたこの茶

          鬼瓦席(京都 高台寺)

          遺芳庵(京都 高台寺)

          「遺芳庵(いほうあん)」 京都の高台寺にある茶室。 江戸時代前期の芸妓で、灰屋紹益(じょうえき)(※本阿弥光悦の甥を父に持ち、幼少期に豪商・灰屋の養子となった)の妻であった吉野太夫遺愛の席とも、紹益が太夫を偲んでつくった席とも伝えられています。 境内の方丈、書院の背後に位置し、同じく紹益遺愛の席とされる鬼瓦席と露地を隔てて向かい合うように建っています。 元は鬼瓦席とともに紹益邸内にあったものが移築されたそうです。 まず高台寺塔頭の岡林院に、その後は高台寺境内に移り、

          遺芳庵(京都 高台寺)

          スケッチ 等持院 清漣亭↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nb9f720ebf24c

          スケッチ 等持院 清漣亭↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nb9f720ebf24c

          松関軒(京都南禅寺 天授庵)

          「松関軒(しょうかんけん)」 京都南禅寺の塔頭・天授庵にある茶室。 明治35(1902)年、壇家の福本超雲氏の寄付により建立されたそうです。 千利休唯一の遺構とされる妙喜庵の待庵(国宝)写しの二畳隅炉となっています。 躙口や床の大きさなど各所の寸法、落掛の床柱近くの皮目や方立のはつり目など、待庵の姿をよく写しているそうです。 一方で、炉の大きさは一尺四寸角(約42.5cm)に改められており、小板が入れられています。 また、次の間には二枚引き違いの板戸を建てて水張口

          松関軒(京都南禅寺 天授庵)

          スケッチ 堀内家 長生庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nb0b5e0afb0c3

          スケッチ 堀内家 長生庵↓ https://note.com/sakurada_wa/n/nb0b5e0afb0c3

          燕舞軒(京都建仁寺 大中院)

          「燕舞軒(えんぶけん)」 京都建仁寺の塔頭・大中院にある茶室。 大中院の書院の西側に位置し、宝暦年間(1751~64年)頃の住職・白堂笠津(はくどうりつしん)が表千家七代・如心斎天然について茶を学んだ頃に造営されたものとされています。 はじめは四畳半に炉を切っただけであったそうですが、後に現状の形に改造されたようです。 内部は三畳中板入りで炉は向切り。西から東へと点前座一畳・中板・客座一畳が並び、その北側には東に寄せて一畳を敷き、余った中板幅のスペースに板畳が敷き込ま

          燕舞軒(京都建仁寺 大中院)