茶室建築 Tea-Room

日本各地にある茶室の間取り(図面)を紹介&解説するサイトです!日本文化・日本建築、全般好きです。茶の湯(茶道)文化の魅力が伝わりましたら幸いです。↓Instagram版はこちら(https://www.instagram.com/sakurada.wa/ )

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茶室建築のおすすめ本一覧

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    • 庭玉軒(京都大徳寺 真珠庵)

      「庭玉軒(ていぎょくけん)」 京都大徳寺の真珠庵に現存する茶室。 江戸初期の茶匠・金森宗和好みと伝えられます。同時代の茶匠・小堀遠州と同様に武家出身ですが、武家社会とは決別し貴族に歓迎された茶人として知られています。 確かな遺構は残っていませんが、宗和好みと伝えられる茶室はいくつか現存し、この庭玉軒がその一つです。 内部は典型的な二畳台目の座敷です。なんといっても特徴的なのは、一見すると躙口にも見える「中潜り(なかくぐり)」を入った土間の内坪空間に、内露路の機能を圧縮

      • 昨夢軒(京都大徳寺 黄梅院)

        「昨夢軒(さくむけん)」 京都の大徳寺黄梅院に現存。 天正年間(1573~92年)に建てられた本堂の西奥に「自休軒」という書院があり、その内部につくられた四畳半の茶室。 江戸時代初期の建築と伝わる書院の中に造りこまれ、書院から草庵への過渡期の姿(武野紹鴎⇨千利休)をとどめています。 利休の師である武野紹鴎好み(作)とされているが、諸説あり。一説には今井宗久好みとも伝わる。 内部は四畳半で、炉は本勝手に切り、台目床の構え。床の壁は土壁で墨跡窓もあいており、塗框(黒塗り

        • 蓑庵(京都大徳寺 玉林院)

          「蓑庵(さあん)」 京都大徳寺の玉林院に現存する茶室。 寛保2(1742)年、大坂の豪商・鴻池了英(こうのいけりょうえい)による建造とされております。 表千家七代・如心斎天然(じょしんさいてんねん)の好みといわれ、当時、二人は茶の湯を通じて交流もあったとされています。 内部は、客座二畳と点前座一畳を横に並べ(※平三畳)、客座と点前座のあいだに中板を入れた三畳中板入りの席です。 また炉は中板に切られており、台目畳(約3/4畳)に合わせた台目切りに対し、この席は通常の丸

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        • 重文の茶室
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        • 京都大徳寺
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        • 三千家の茶室
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          転合庵(東京国立博物館)

          「転合庵(てんごうあん)」 東京国立博物館(※通称・トーハク)の本館裏手に広がる庭園内に現存する茶室。庭園内には5棟の茶室があります。 織部の弟子としても知られ、江戸初期に活躍した大名茶人・小堀遠州好みとして伝えられています。 遠州が八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)より、耳付茶入「於大名(おだいみょう)」を賜り、その茶入の披露のために京都伏見の六地蔵に建てたのが、この転合庵の始まりのようです。 その後、各地を転々とした後、塩原又策氏(今の第一三共の創

          枡床席(京都大徳寺 聚光院)

          「枡床席(ますどこのせき)」 京都大徳寺の聚光院に現存。 枡形(正方形)の踏込床があるためこの名がついています。 全体は四畳半の大きさの中に半畳大の方形の板を、畳と同じ高さに敷き込み(※これを踏込床と呼びます)、柱を立てて袖壁(床脇)を設けて床の空間をつくっています。 点前座側からは風炉先にあたる袖壁には下地窓をあけ、下方は吹き抜けています。 床の角の床柱は太い赤松皮付で、点前座側からは中柱に相当します。床柱と点前座を見事に統合した構えで、威厳ある佇まいです。 桝

          閑隠席(京都大徳寺 聚光院)

          「閑隠席(かんいんのせき)」 京都大徳寺の聚光院に現存。 三畳敷に中柱と袖壁を立てた台目切りの茶席。一間の引き違い襖で区切られて六畳の書院が隣接。 台目畳(3/4畳)でなく一畳に中柱が立つ珍しい形で、中柱は赤松皮付の直材。 袖壁の隅には二重棚が釣られています。袖壁の下方は吹き抜いていて、客座側から下棚が少し見えるように釣っております。(※利休流ではこのようにするようです。他には不審庵など) 窓は躙口の上の連子窓と床の間の墨跡窓の二つで、光が抑制された引き締まった空間

          涵虚亭(京都大徳寺 興臨院)

          「涵虚亭(かんきょてい)」 四畳台目の大きさで給仕口を入ってすぐに1/4畳の大きさの隅板が入り、「四畳台目隅板」ともいえます。 隣には四畳半の水屋が隣接。 給仕口入って右手の壁には下地窓のあいた袖壁(吹き抜けなし)で床の間は洞床の型式(※洞床は千利休唯一の遺構である国宝茶室「待庵」にも用いられています) 点前座の二重棚は上下の大きさが同じ利休流。点前座周りは手元を照らす風炉先窓が一つで抑制のきいた空間に。 一方で、客座周りは窓が多く、入口も貴人口と躙口の二つ。こちら

          裏千家 寒雲亭(八畳敷の書院)

          「裏千家 寒雲亭(かんうんてい)」 京都裏千家に現存する八畳の座敷。利休の孫の宗旦好みと伝えられています。 同じ敷地内の侘び数寄のための茶室「又隠」や「今日庵」とは異なる書院造りの座敷で、敷地内では最も古い書院とされています。 一間の床と一間の付書院を離して配すことで、書院の格式が薄まり草庵的な雰囲気もあります。 床柱と床框ともに端正な八節の北山丸太で、框の下にはわずかに蹴込板が入っています。床脇には竹の壁留めを入れて下方を吹き抜き、長短の竹を並べて貫を通しています。

          金地院 八窓席(京都三名席)

          「金地院 八窓席(はっそうのせき)」 京都南禅寺の金地院に現存。 大徳寺孤篷庵の忘筌・曼殊院の八窓軒とともに、「京都三名席」に数えられる茶室です。 この三畳台目の草庵風茶室には、十三畳の書院・六畳、八畳、水屋が併設されています。 既設建物を活かすのを前提につくられた、制限のある中での遠州の創作。なので、既存建築を「遠州好みに改造した」といった所です。そんな中ではありますが、随所に遠州の作風が見られます。 点前座は中柱の袖壁を立てた台目構え、上下の棚の大きさが異なる雲

          藪内家 燕庵(古田織部の茶室)

          「藪内家 燕庵(えんなん)」 茶道藪内流宗家を代表する茶室。 三畳台目に一畳の相伴席を付けた、いわゆる「燕庵形式」と呼ばれる形式で、古田織部の好みと伝えられています。 古田織部は利休七哲の1人にも数えられる茶人で、織田信長に従って戦功を重ねた武将でもありました。利休の死後は、豊臣秀吉の御伽衆(※将軍や大名の側近に侍して相手をする職名で相談役のようなもの)にも加えられ、茶の湯の名人として大いに開花し、徳川家(将軍家)の茶道指南役として茶匠として最高の地位につきました。

          不審庵(京都表千家の茶室)

          「不審庵(ふしんなん)」 表千家を代表する茶室。 「不審庵」の名は利休の時代から使われ、利休大徳寺前屋敷の四畳半に額が掲げられており、その他にも「不審庵」と称する利休の四畳半はいくつかありました。 利休の子の少庵は千家を再興し、「深三畳台目(※利休大坂屋敷の茶室を再現したもの)」に不審庵の名を付けていたとされています(諸説あり)。 利休の孫の宗旦は、父である少庵の死後、利休所持の障子や躙口の戸などの古材を用いて「床なしノ一畳半」を作り「不審庵」と称していました。 こ

          太閤山荘 擁翠亭(十三窓)

          「擁翠亭(ようすいてい)」 京都市北区にある茶室。⁡ ⁡ 江戸時代前期に加賀三代藩主・前田利常の依頼で、京都の彫金師・後藤勘兵衛の屋敷内に、小堀遠州によりつくられたものとされています。⁡ ⁡ その後、清蓮院に譲渡され、明治に入り解体。京都の数寄屋大工・平井家に保存されていた擁翠亭の古材と古図を照合し、2015年に茶室研究者の中村昌生(1927~2018)の指導で復元されたのが現在の「擁翠亭」です。 徳川三代将軍・家光公の茶道指南役であり、古田織部の弟子でもあった遠州の代表

          八窓庵(奈良国立博物館の茶室)

          「八窓庵(はっそうあん)」 奈良国立博物館の敷地内に現存する茶室。 四畳台目の茶席で、へうげもの・古田織部の好みと伝えられるが、織部の作とも遠州の作ともされています(諸説あり) 横長の三畳台目と一畳の貴人座、そして床の間。躙口は客座の中央に配置し、天井も含め上座と下座を明確に二分。これは遠州の活用した手法。 茅葺屋根の田舎屋風な外観や点前座周りの窓配置、大小二つの棚を用いた雲雀棚(ひばりだな)は織部的な意匠。 同じ武家茶人で、子弟の関係(織部が師)、継承し発展さ

          如庵(犬山有楽苑の茶室)

          「如庵(じょあん)」 愛知県犬山市の有楽苑にある国宝茶室。 元々は建仁寺の塔頭正伝院に設けられた茶室で、織田有楽斎の作とされています。有楽は織田信長の実弟であり利休と同時代を生きた茶人の一人です。 明治6(1873)年正伝院は同じ建仁寺の永源院と合併され、正伝院の建物は四散します。明治41(1908)年に売却され、如庵と書院とは一旦は東京三井家本邸に移されます。 その後、大磯の同家別荘を経て、昭和46(1971)年に犬山城下の有楽苑(現在の地)に移築されました。露

          今日庵(京都裏千家の茶室)

          「今日庵(こんにちあん)」 京都の裏千家に現存。 又隠(ゆういん)とともに裏千家の中心をなす重要な茶室で、つくったのは利休の孫の宗旦とされています。 宗旦は利休の侘びをさらに深め、利休の茶を忠実に継承した一人です。その境地を表現した一畳半は「究極の茶室」ともよばれています。 (実際には一畳台目ですが、史料上は呼び名が統一されていないためここでは「一畳半」とします) その一畳半は家督を継いだ江岑(こうしん)によって畳まれましたが、隠居の際に再びつくったこの二畳敷の