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武者小路千家 半床庵↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n1127c6dc8b3f
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大徳寺龍光院 密庵↓
https://note.com/sakurada_wa/n/ncbbab16bec6d
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醍醐寺三宝院 松月亭↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n2e99e3cc56c2
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高台寺 鬼瓦席↓
https://note.com/sakurada_wa/n/ne6de51d56e7c
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高台寺 遺芳庵↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n2f8aaff94d8f
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慈照寺 集芳軒↓
https://note.com/sakurada_wa/n/nfa3fe339a5ca
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妙喜庵 待庵(国宝)↓
https://note.com/sakurada_wa/n/nbcf5ff5b1f2c
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堀内家 半桂席↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n789387ea69ad
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大徳寺高桐院 松向軒↓
https://note.com/sakurada_wa/n/naab4ef99a742
半宝庵(武者小路千家)
「半宝庵(はんぽうあん)」
京都の武者小路千家敷地内に現存する茶室。
七代・直斎堅叟(じきさいけんそう)が安永元(1772)年に焼失した官休庵を再建する際につくった「一方庵(いっぽうあん)」という茶室が始まりで、何度かの焼失を経て半宝庵と名を変えてきたのがこの茶室だそうです。
全体四畳半(正方形)に桝床を組み入れ、床脇の一畳を点前座にしています。
炉は台目切りで真っ直ぐな中柱と袖壁を立て、
半床庵(官休庵東京稽古場)
「半床庵(はんしょうあん)」
武者小路千家の茶室。
東京都文京区千駄木の官休庵東京出張所に建つ茶室で、もとは名古屋の某家にあったものを大正10(1921)年に現在地(旧久米邸)に移築、昭和34(1959)年に半床庵を含む一画を武者小路千家が譲り受け、現在の官休庵東京稽古場(出張所)としたそうです。
京都の久田家にも同名の茶室がありますが、別のものです。
久田家三代の宗全好みと伝えられていま
国宝茶室 密庵(京都大徳寺 龍光院)
「密庵(みったん)」
国内に現存する国宝茶室(待庵・如庵・密庵)の一つで、江戸前期の茶人・小堀遠州の作。
密庵のある龍光院は京都大徳寺の西南の端に位置し、特別公開も含め一切の拝観を行っておらず完全非公開となっています。そのため、他の二つは見ることができることから「最も見るのが難しい国宝」とも呼ばれます。
密庵は現在、書院の北西隅に組み込まれていますが、当初は独立した建物であったそうです。
芭蕉庵(京都 金福寺)
「芭蕉庵(ばしょうあん)」
京都の金福寺にある茶室。
元禄年間(1688年~)に俳聖・松尾芭蕉(1644~1694年)がこの庵に滞在して句をつくったそうです。
その庵は荒廃し形も無くなっていたところ、江戸中期の俳人・与謝蕪村(1716~1784年)がその荒廃を惜しみ一門と共に再興したのが、この芭蕉庵と伝えられています。庵の近くには蕪村のお墓もあります。
内部は三畳台目に踏込床形式の台目床で
鬼瓦席(京都 高台寺)
「鬼瓦席(おにがわらのせき)」
京都の高台寺にある茶室。
境内の方丈、書院の背後に位置し、遺芳庵とは露地を隔てて向かい合うようにして建っています。
江戸初期の豪商・灰屋紹益(じょうえき・1610~1691年)(※本阿弥光悦の甥を父に持ち、幼少期に豪商・灰屋の養子となった)遺愛の茶室と伝えられます。
この茶室はもとは遺芳庵(※紹益の妻・吉野太夫(1606~1643年)遺愛の席と伝わる)と同じ