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西本願寺飛雲閣 憶昔席↓
https://note.com/sakurada_wa/n/na056b929e171
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犬山有楽苑 如庵(国宝)↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n487f53359ce1
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尾道浄土寺 露滴庵↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n47999d161af9
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横浜三溪園 春草廬↓
https://note.com/sakurada_wa/n/nf6f977779bfb
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武者小路千家 半宝庵↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n341bc7e8f9b9
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武者小路千家 半床庵↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n1127c6dc8b3f
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大徳寺龍光院 密庵(国宝)↓
https://note.com/sakurada_wa/n/ncbbab16bec6d
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醍醐寺三宝院 松月亭↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n2e99e3cc56c2
憶昔席(西本願寺 飛雲閣)
「憶昔席(いくじゃくのせき)」
京都西本願寺境内の滴翠園(てきすいえん)内に建つ飛雲閣に付随する茶室。
寛政7(1795)年9月に席披き(せきびらき)が催され、寺側の記録によると西本願寺十八代門主・文如(もんにょ)を正客に、藪内家六代・比老斎竹陰(ひろうさいちくいん)も相伴に加わっていたそうです。当時、文如は比老斎に茶道の相伝を受けており、この茶室はその比老斎の指導・好みで建立されたと考えられ
国宝茶室 如庵(愛知 犬山有楽苑)
「如庵(じょあん)」
愛知県犬山市の有楽苑にある国宝茶室。
元々は建仁寺の塔頭正伝院に設けられた茶室で、織田有楽斎の作とされています。有楽は織田信長の実弟であり利休と同時代を生きた茶人の一人です。
明治6(1873)年正伝院は同じ建仁寺の永源院と合併され、正伝院の建物は四散します。明治41(1908)年に売却され、如庵と書院とは一旦は東京三井家本邸に移されます。
その後、大磯の同家別荘を経
露滴庵(広島県尾道市 浄土寺)
「露滴庵(ろてきあん)」
広島県尾道市の浄土寺に現存。
寺伝によると、元は京都の伏見城内にあった豊臣秀吉公遺愛の席とされています。そこから京都の本願寺を経て、江戸時代に広島の向島の富豪・天満屋(富島家)へ移されたと伝えられます。
その後、文化11年(1814年)に浄土寺に寄進されたそうです。度重なる移築で当初材はほとんど失われている可能性が高いようです。
入母屋造茅葺の外観が特徴的です。内
半宝庵(武者小路千家)
「半宝庵(はんぽうあん)」
京都の武者小路千家敷地内に現存する茶室。
七代・直斎堅叟(じきさいけんそう)が安永元(1772)年に焼失した官休庵を再建する際につくった「一方庵(いっぽうあん)」という茶室が始まりで、何度かの焼失を経て半宝庵と名を変えてきたのがこの茶室だそうです。
全体四畳半(正方形)に桝床を組み入れ、床脇の一畳を点前座にしています。
炉は台目切りで真っ直ぐな中柱と袖壁を立て、
半床庵(官休庵東京稽古場)
「半床庵(はんしょうあん)」
武者小路千家の茶室。
東京都文京区千駄木の官休庵東京出張所に建つ茶室で、もとは名古屋の某家にあったものを大正10(1921)年に現在地(旧久米邸)に移築、昭和34(1959)年に半床庵を含む一画を武者小路千家が譲り受け、現在の官休庵東京稽古場(出張所)としたそうです。
京都の久田家にも同名の茶室がありますが、別のものです。
久田家三代の宗全好みと伝えられていま