憶昔席(西本願寺 飛雲閣)


「憶昔席(いくじゃくのせき)」

京都西本願寺境内の滴翠園(てきすいえん)内に建つ飛雲閣に付随する茶室。

寛政7(1795)年9月に席披き(せきびらき)が催され、寺側の記録によると西本願寺十八代門主・文如(もんにょ)を正客に、藪内家六代・比老斎竹陰(ひろうさいちくいん)も相伴に加わっていたそうです。当時、文如は比老斎に茶道の相伝を受けており、この茶室はその比老斎の指導・好みで建立されたと考えられています。

内部は三畳半に板間を付けた間取りで、壁はすべて紅壁(弁柄(べんがら)壁)となっています。また、板間には薄縁(うすべり)が敷かれています。

躙口を入るとその板間、座敷とは無目敷居で画された相伴席(※武家流の茶室に見られるお伴のための席、代表的なものに藪内家燕庵など)があり、その先に三畳半の座敷という構成で、座敷は相伴席に対し上段に見立てられます。

相伴席には躙口の他に給仕口もあき、その給仕口を入って左手には仮置棚が設けられています。

座敷には南側に下座床を構え、正面には付書院を設けています。床柱はやや曲がりを帯びた南方産の皮付丸太で、その皮肌から「蛇の目木」と呼ばれるそうで、独特の材が用いられています。それに合わせて相手柱には面(つら)を付けない端正な磨き丸太を立て、二本柱(※床の間が部屋の中央に位置するため相手柱が壁付とならず、床柱と相手柱が対等に近い関係となる手法)としています。

黒塗りの床框、削り木の落掛とあわせ、この席ならではの独特で格調のある床構えとなっております。

茶道口を入って約半畳の踏込畳正面の床脇の壁は下部を吹き抜いています。炉は台目切り、風炉先にはやや大きな下地窓があきます。

床の正面にあたる付書院は、障子をあけると池庭の景色が広がり、池のほとりという立地を活かした趣向となっています。

飛雲閣は京都三名閣(他、金閣・銀閣)とも呼ばれ、国宝に指定されています。憶昔席は水屋を介して飛雲閣「舟入の間」と建て継がれており、飛雲閣に付属する茶室として、また藪内家の作風が示されている席として価値ある遺構となっております。

※一般的な分類として、「待庵・如庵・密庵」の三席を国宝茶室とし、憶昔席(飛雲閣)は含みませんが、ここでは便宜上、「国宝の茶室」のマガジンに含んでおります。

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