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幻想の建築家 ピラネージ 2
長尾重武『ピラネージ―幻想の建築家』中央公論美術出版2024.4
ピラネージはしばしば銅版画家として論じられるが、それでは彼の真実のごく一部しか言い当てることができない。私は、ピラネージがバロックの終りから新古典主義時代のはじめを文化的中心地ローマで生き、銅版画を表現の媒体とし、古代ローマの壮麗を歌い、来るべき建築を思い描いた建築家であったと考える。拙著はそれを論じたものである。以下はその要約
想い出の旅2 真夏、沼津市戸田湾
伊豆半島西海岸に、小さな宝石のような湾、美しい海と出逢ったのは、南九州・宮崎の海での体験のしばらく後であった。沼津市戸田の湾である。夏休み、大学の戸田寮に海水浴に出かけて行った。私と弟、従兄弟の四人のグループだった。
小さな湾に面した戸田の港町はまるで自然の堤防のように伸びた小さな岬で半ば閉ざされている。湾の入り口は差し渡し四〇〇メートル未満だ。
大学の寮は、その美浜岬の砂浜に面する松林
想い出の旅4 信州の旅 藤村と一茶
漂泊の旅
学生の頃、私はフラリと漂泊の旅に出るのを好んだ。親戚のお兄さんが一筆書きの切符を買うと安く旅ができると教えてくれたのも大いに助かった。国鉄の長距離割引、学生割引が大きかった時代であった。
たとえば信越線で小諸まで行き、小海線に乗り換えて小淵沢で中央線に戻る。高崎まで八高線を使ってみたり、上とは逆順を辿ったりした。
伊豆方面、山中湖、河口湖、京都、奈良、九州、北海道、まだ沖縄が返
想い出の旅12 北海道、稚内の空
大学二年生になって、すでに一年生のとき基礎学習をしたドイツ語は、いよいよ小説の読解の授業に入った。担当の先生は、生野幸吉先生でした。
生野先生は風呂敷包みの教科書とノートと辞書を教壇に置き、それを広げて教科書を取ると授業開始になる。授業は、学生に文章の一区切りを訳させながら進められる。先生は、気になる言葉が出てくると、講義はともかく、その言葉の追求に熱中するところがあって、突然辞書を引き
想い出の旅6 中央本線、小海線、信越本線途中下車の旅
かつてのJR、国鉄の運賃は、往復割引というのがあったが、それ以上に、一筆書きで長い距離を動くと割安になったし、有効期間が長くなった。大学生のころ、こうした技を教えてくれたのを最大限利用した。
そのころ、最寄り駅の国分寺駅を発車して、中央本線に乗り、小淵沢で小海線に乗り換えて、終点線小諸で信越本線に乗り、高崎をへて東京から国分寺に戻ってくる、あるいはこの逆を辿って、とにかくひと廻りするのが好
想い出の旅9 森戸海岸の夏「夕陽に赤い帆」
建築の学生だった頃、ぼくらのアトリエ、設計事務所は洋上にあった。横浜に着く前に住宅の図面を一式そろえよう。展開図と矩計図がまだできていない。少し揺れが激しくなってきた。良く晴れていたのに、風が出てきたのかもしれない。と、こんな風に、卒業したらクルーザーの設計事務所で仕事しながらセーリング、海と空と風、ああ、いいかもしれない。夢を追いかけて。
ヨットはまず第一にスポーツである。チームワークに
想い出の旅11 夢のジャンピングバルーン
K氏訪問
それが何時のことだったか、具体的には何も思い出すことができない。私はある夏から秋にかけて、千代田区の北の丸公園に風変わりな建物を訪れた。
正面二階以上には小さな六芒星を切り抜いた窓がびっしりとグリッド状に配置され、三階と四階の間に水平の帯があり、六階建てらしい。その上に幅広い塔屋が聳えそこにも六芒星の窓が同じく開いている。その背後に
想い出の旅5 信州下諏訪
甲州街道の起点は、中山道の宿場町、下諏訪である。甲州街道は江戸時代の五街道の一つであり、甲府、八王子をへて内藤新宿から日本橋に至る。住んでいた国分寺市のすぐ南の府中市を通っている。
参勤交代でこの街を通った大名は、信州の高島、高遠、飯田の三小藩と甲斐の諸藩にすぎず、通行者は極めて少なかった。
中山道は京都から江戸に向かう最も重要な街道であった。和田峠から諏訪湖方面に下りてくると、諏訪大社
想い出の旅10 志賀高原、五色沼の旅、それとも消された記憶
志賀高原は、高校生の時、夏の林間学校の旅で初めて出かけてとても印象が良かったので、後になってもたまに出かけたところだった。真夏の東京であれば、高温多湿な時期に、高原というのは爽やかなところで快適だからだ。高原といっても湿度は高いらしいが、涼しいのでそれが気にならないということらしい。
志賀高原の湯田中温泉、熊の湯温泉も印象的だ。特に熊の湯は硫黄泉で、匂いはきついけど、肌がすべすべになり気持ち
想い出の旅13 北海道、釧路原野へ
摩周湖
稚内から旭川に戻り、東へ、北見から網走を経て、知床斜里経由、摩周駅下車、そこまでの間に途中一泊し、午前中に、摩周湖の岸辺に到着した。摩周湖は透明度が高く、深く青く澄んでいた。ロシアのバイカル湖に次いで透明度が高いという。それで行く気になった。巨大噴火でできたカルデラ湖だという。周囲は海抜600m前後のかなり切り立ったカルデラ壁となっていて、河川が流入も流出もない閉鎖湖だという。湖の中央
想い出の旅7 二十歳の正月
一九六四年の正月のことを想い出す。この年、正月におみくじで凶を引いた。それ以外に凶を引いたことはありません。
一九六四年正月、大学の友人で神奈川に住む何人かとともに、鎌倉の鶴ヶ丘八幡に初詣に出かけた。なんとなく正月の海を見たくなったのかもしれません。
鎌倉の駅を降りると、薄日が差す小町通の賑やかさ、晴れ着を着た若い女性たちが華やかで美しかったのが印象的でした。
二の鳥居から段葛の参道