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幻想の建築家 ピラネージ 2

長尾重武『ピラネージ―幻想の建築家』中央公論美術出版2024.4

 ピラネージはしばしば銅版画家として論じられるが、それでは彼の真実のごく一部しか言い当てることができない。私は、ピラネージがバロックの終りから新古典主義時代のはじめを文化的中心地ローマで生き、銅版画を表現の媒体とし、古代ローマの壮麗を歌い、来るべき建築を思い描いた建築家であったと考える。拙著はそれを論じたものである。以下はその要約である。

 ピラネージの銅版画作品で最も売れたのは、135点からなる≪ローマの景観≫シリーズであった。折りしも、この時代、英国紳士のための教育の総仕上げとして、イタリアへの大旅行が敢行された。世にいうグランドツアーである。そして他国もそれに続いた。そのお土産としてローマの景観画が好まれたのである。

 ピラネージは、1720年、ヴェネツィア共和国に生まれ、都市ヴェネツィアで舞台美術、透視画法、銅版画を学び、二〇歳で、ヴェネツィアのローマ大使マルコ・フォスカリーニの随行ドラフトマンとして初めてローマを訪れる幸運に恵まれた。ヴェネツィア大使館は、北のポポロ門から入ってすぐ始まるコルソ通りの突き当り、右側のパラッツォ・ヴェネツィアであった。

 ローマでピラネージは古代ローマの廃墟の存在に圧倒され、栄光のローマを語る廃墟の言葉に耳をそばだてた。それはヴェネツィアではまるで経験したことのない驚くべき衝撃であった。そして、1744年頃ヴェネツィアに戻るが、1747年には再びローマに来て版画店をコルソ通りに開き、以後ヴェネツィアに戻ることはなく、1778年ローマで没した。

 彼は早くも、1743年にはそれまで描き貯めた幻想的な素描に基づいて、最初の版画集≪建築と透視画法 第一巻≫で、彼の建築幻想を表現した。そして、ローマのアカデミーフランセーズの寄宿生たちとともに、小版の≪古代と近代ローマの様々な景観≫(1745年)を刊行し、そしてジョバンニ・ノッリに協力して『新ローマ地図』(1748)にモニュメントの挿図を描いた。さらに、小版の≪共和政および帝政初期ローマの遺蹟≫(1748年)を刊行している。つづいて、≪グロッテスキ≫や≪建築的カプリッチョ≫などの幻想作品を出している。そして、いよいよ大判の≪ローマの景観≫シリーズが開始されるのである。

 1749年から1750年にかけて、有名な≪牢獄≫初版が出された。それこそ、幻想作品の代表作といっていい。上に見てきたように、ピラネージは、幻想作品に加えて「ローマの景観画」を手掛けてきた。そして「ローマの古代遺跡」がもう一つの重要なテーマになっていく。1754年、ついに、≪ローマの古代遺跡≫全4巻が刊行されるのである。この驚くべき版画集は、英国古物愛好家協会の賞を受け、ローマのアッカデミアの会員に推挙されるきっかけとなった。

 1761年、これまでのアカデミーフランセーズ前の版画店から、スペイン階段を上った左手のパラッツォ・トマティに移転し、ピラネージ自身の店を確立するのである。この年ピラネージは自作の作品カタログを刷る。彼の作品は大きく二つのカテゴリー「ローマの景観画」と「古代ローマの遺蹟」に分かたれる。幻想そのものの≪牢獄≫はそのためにローマ化して、後者に入れられた。このカタログは、ピラネージのライフワークを示し、それぞれのカテゴリーの余白が次第に埋められ、遂には紙を継ぎ足して「ローマの景観画」のリストが増大するのである。

「古代ローマの遺蹟」の側も次第に増えていくが、全く趣向を変えた≪カンプス・マルティウス≫の復原作品を上梓する。この驚くべき作品は、ローマのこの地区の壮大な復原の試みで、皆を圧倒した。それは幻想作品というべきかもしれない。その他小作品がいくつも続いた。

 ヴェネツィア、レッツォニコ家出身の教皇クレメンス13世が誕生するとその甥の枢機卿とともに、ピラネージのパトロンになり、教皇はローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂内陣デザインを依頼し、枢機卿はアヴェンティーノの丘のサンタ・マリア・デル・プリオラート聖堂の修復を任せた。前者は実現しなかったが、後者は実現した。それは近代以前の最後に属する建築モニュメントとして、ローマに実在する。そしてその前庭というべきマルタ騎士団広場の設計も実現した。かつて、自身の肩書に「ヴェネツイアの建築家」と記すのを好んだピラネージはとうとう建築を実際に実現し、教皇は彼に「黄金の拍車」勲章をピラネージに贈り、彼の栄誉をたたえた。

 ピラネージは、勃興する新古典主義者とギリシアVSローマ論争に巻き込まれてローマ派の論客になり、古代ローマの偉大な達成を実につぶさに、かつ情熱的に歌い上げた人物であった。彼は晩年に、上記カタログには入れられない二つの作品版画集を上梓し、発掘品やデザイン提案を行い、ギリシアの植民都市パエストゥムの神殿を描いた。ピラネージの影響は、≪牢獄≫を頂点として幅広く深く、多くの幻想を生み出した。







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