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想い出の旅1 南九州 発見された海

 大学二年生の前期が終わろうとしていた。高校以来の友達が、小林秀雄が講演する夏の合宿があるけど、行ってみないか、思想右翼の団体だと思うけど、国民文化研究会主催で、九州の桜島で開催、片道の運賃支給とある、とのこと。

 そのころ小林秀雄に心酔していた私は、二つ返事で合意した。その友人は法学部に進学した。高校卒業の春に鎌倉雪ノ下の小林宅を訪ねたこと、ランボーの詩を暗唱し、小林秀雄の全集を読んでいること、など話していたからだったからだったろう。彼の名は金子秀雄、同じ秀雄。

 未だ新幹線が通っていなかった当時、東京から急行列車で、長崎・大分行に乗り、小倉で長崎行と大分行に別れ、別府で降りる長旅である。

 別府温泉の地獄めぐりを楽しんでいるときに、高校時代の友人二人にばったり出くわした。久芳宏、土肥一忠、彼らは大阪から船で瀬戸内海を縦断して大分まで来たという。瀬戸内海の島々を縫って九州へ、そのような旅のコースもあるんだ、いいなあ、と感心した。

 それにしても、思いがけない偶然に驚き、その日は別府温泉に泊まって、ゆっくり旅の疲れを癒した。そして次の日、四人は列車で宮崎に向かった。宮﨑の海で泳ごう、ということだけを決めて。

 宮崎で列車を降りると、風景がすっかり変わっていた。タブ、クスノキなど広葉樹が茂り、フェニックス、ソテツが並木になり、浜木綿の花が咲き乱れている。

 眩い太陽は熱を含んだ明るい光を投じ、空はどこまでも青く、彼方へと広がる海は水平線が大きく湾曲し、地球は円いと感じさせる。

 何もかも光を反射し、海も、空も、緑の陸地も、ただ眩しかった。

 私たちは着替えを済ませ、貸しボートに乗り込んで沖に出た。何処までも澄み切った海は、ほとんど底まで見えている。何ていうことだろう。眩しいほどの白い砂浜が沖の海底まで続いていた。

 泳ぎ出すとその気持ちよさは今まで味わったことがないと感じた。立ち泳ぎをして足の指先までくっきり見えるし、その先どこまで見えているのだろう。とにかく水がきれいで、光が揺らめき、すべては遥か彼方まで確かにつながって感じる。少し怖いほどだった。

 一休み、ボートに戻ると、肌がじりじり焼けそうなほど太陽の光を感じる。東京からどのくらい南にいるのだろうか。経験したことのない明るさと熱が気持ちよくはじける。

 このような海と空、そして太陽だけで十分な感じがした。この上なく大きな風景のただなかで静かに安らっている愉悦はどこから来るのか。

 そうだ、この時私は本当の海にいた。発見された本物の海にいたのだ。
 
 見つかった        Elle est retrouvée
 ―何が?―永遠が     ―Quoi?― l'Éternité.
 それは海、溶け合う    Ⅽ'est la mer mêlée
 太陽と          Au soleil
 
 海が主題だからこうなるのだが、やはり、「海と溶け合う太陽が」のほうが語調はいいかもしれない。

 「永遠」、ランボーのこの詩句には、違うバージョンがある。後出。
 
 これまで、色々なところで海の風景に出会ってきた。千葉・幕張の干潟、鎌倉由比ガ浜、江の島、けれどもこれだけ透明で澄んだ海は始めてである。海の明るい青さもまたとない。東京近郊の海は汚染が激しく、とりわけ隅田川は近づくのも嫌悪する驚くほどの腐臭を放っていて、これでは海が気持ちのいいはずはない。公害のせいだ。

 だが、これほど遠くに来なければ本物の海に出逢えないとは哀しく思った。

 九州の旅は、宮崎、鹿児島も、明るく眩しい、美しい海とともに想い出される。目的地の桜島は、鹿児島湾に立ち上がった火山の名峰らしく聳え、連絡船で渡る時も、海の明るい青さときらめきに感動した。私は確かに南方にいる。

 目的地、桜島の国民宿の合宿で、古文をよんだり、短歌を詠んだりしたのは結構楽しかった。そして、小林秀雄の講演を聞くことができた。その後で、幸運にも質問者に選ばれた私は、立って質問した。これに対して、講師はまっすぐにこちらを見て、答えてくれた。とても感動したが、細かいことは覚えていない。

 合宿を終えて、桜島一周観光バスに乗って島めぐり。私たちは、その時知り合った関西の女子学生三人と連れ立って、指宿、長崎鼻、開聞岳へと南下した。その時も、海の明るい輝きと山と単純な風景の豊かさにただただ心を動かされた。 

             ***
 
 アルベール・カミュの『異邦人』(一九四二年)は次のように始まる。「ママンが死んだ。多分、昨日。よくわからない」。続く文章もフランス語で暗誦していた。南地中海のアルジェリア、フランスの植民地の海辺の首都アルジェが舞台。母親の死にも拘らず女友達と寝る。それはありそうなこと。

 その後、トラブルに巻き込まれて、アラブ人を殺した動機を、「太陽のせいだ」と言明する主人公ムルソー、人間の死や不条理に対する無感動な、この上なく乾いた表現に動かされた。

 死刑判決が出て、次に生きるとしたら、との問いに、同じ人生でいい、との答えに衝撃を受けた。

             ***

 同じころ、イタリアを舞台にした『太陽がいっぱい』(一九六〇年)を見た。ヨット遊びに興じる若者、そして金のために洋上の殺人。完全犯罪の完成だ。

 ラストシーン、太陽が輝く海浜にくつろぐ主人公トム・リプリー(アラン・ドロン)に電話がかかってくる。

 その時、浜に彼らのヨットが引き上げられてくる。スクリューに絡まるロープ、その先に布に包まれた死体が引きずられている。海と空の景色に、ニーノ・ロータの主題曲が次第に大きく響く。

             ***
 
 宮崎、鹿児島の海に出会った翌年、『狂いピエロ』(一九六三年)を見た。ジャン=リュック・ゴダールの名作。内容は全く違うがどこか『異邦人』のテイスト。

 パリから南下していく結婚している男性と昔の愛人。行き当たりばったりの殺人、訳が分からない展開。

 女は彼のことをピエロと呼ぶと、そのたびに彼は、フェルディナン、と修正する。にもかかわらず、それを繰り返す。

 林を抜け、海浜に出る。ヨット、桟橋、地中海の景色がたまらなくいい。

 これもラストシーンが忘れられない。ジャン=ポール・ベルモント演じるフェルディナン、海辺で、ダイナマイトを頭と顔に二重に巻いて自死を図り、導火線に火をつける。

 だが、あわてて導火線についた火を消そうとするが、次の瞬間に爆発してしまう。空と海が映しだされ、カメラは右へとゆっくりパンしていく。眩い太陽の光が入ってきたときに、ランボーの詩句が朗読されて、映画は終わる。
 
 また見つかった      Elle est retrouvée
 ―何が?―永遠が     ―Quoi?―l'Eternité.
 それは海のことさ     C'est la mer allée
 太陽と行ってしまった   Avec le soleil
 
 このランボー(Arthur Rinbaud,1854-1891)の詩句は、永遠がテーマで、しかも、それは、太陽との関係を強調して、海のことを歌っている。小林秀雄訳は、三行目が「海と溶け合う太陽が」となっていますが、この方が、五、七音で語調がいいけれど、正確だろうか、難しい所だ。

 ランボーの詩句、最初のものが、詩集『地獄の季節』(1873年、18歳)所収の散文詩から、最後のものは、詩「永遠l'Eternite」(1872年5月、17歳)の第一連と最後の第六連の詩句。両者は言葉に多くの重なりがある。

 多くの日本語訳があるが、勿論、小林秀雄訳が好きだ。だが、ここでは、それらを参考にしつつ、独自の訳を試みた。
 


 

 





 

    

 


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