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幻想の建築家 ピラネージ 1

長尾重武『ピラネージ―幻想の建築家』中央公論美術出版、2024.4

はじめに
 
幻想のピラネージ
 数々の賞を受賞した『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』の著者スザンナ・クラークの新作: 異世界の根源に挑む傑作幻想譚である『ピラネージ(Piranesi)』(二〇二〇年。邦訳は原島文世訳で東京創元社から刊行)は、無数の広間がある広大な館の描写から始まる。
 主人公「ぼく」は、「もうひとり」と、週に二度、火、金曜日に会うことになっている。その間に広大な館を探訪したことを報告する。「もうひとり」は、「ぼく」のことをピラネージと呼ぶ。そこには古代彫刻のような像がいくつもあり、激しい潮がたびたび押し寄せては引いていく。この世界にいる人間は「ぼく」と「もうひとり」、他は十三人の骸骨たちだけだ…過去の記憶を失い、この美しくも奇妙な館に住むぼく。だが、ある日見知らぬ老人に出会ったことから、ぼくは自分が何者で、なぜこの世界にいるのかに疑問を抱きはじめる。世にも不思議なファンタジーは、現実のピラネージと彼の版画集≪牢獄≫無くしては生まれなかったものだ。
 訳者あとがきによれば、物語の原型は、クラークが二十代のときに生まれた。この小説のきっかけはアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの作品を扱った講義を受けた後に思いついたという。幻想的な短篇で有名なボルヘスは、しばしば〝無限〟や〝迷宮〟といったモチーフを用いており、作品『ピラネージ』にも大きな影響を与えたという。(もうひとつ重要な下地となっているのが、C・S・ルイスの『ナルニア国ものがたり』だという)。
    ピラネージの影響は、何時、何処で、思いがけなく展開するか、まったくわからない。その典型が、彼の≪牢獄≫作品から流れ出すファンタジーであり、ウイリアム・ベックフォードに始まるイギリス文学の世界から、フランス・ロマン主義文学その他へ。
 
ピラネージとは何者か
 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(一七二〇―一七七八)は、十八世紀のヴェネツィア共和国に生まれ、建築を学び、版画技術を学び、舞台美術の修業をした。≪ローマの景観画≫を描いた精力的な版画家にして、≪ローマの古代遺蹟≫に精通した古物愛好家、考古学者、そして、ギリシア、ローマ、エトルリアの比較論争に巻き込まれたローマ派の論客。さらには、ローマの大聖堂サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノの内陣の設計や、アヴェンティーノの丘のサンタ・マリア・デル・プリオラート聖堂を修復しその正面と内部を設計し、導入部としてのマルタ騎士団広場を設計した建築家である。
 また、家具デザイナー、インテリアデザイナーとしても活躍し、古代ローマの発掘品の売買も手掛けた。この多彩な活動をどうとらえればいいのか。彼の願望は常に目の前の現実を変えることであった。そうでなければ、あれほど精力的かつ幻想的な古代ローマの現前に身を挺することはなかったはずだ。
 
版画家それとも幻想の建築家
ピラネージは版画家だとされることが多い。それは一面の真実ではあるが、そこに留まってはピラネージの真実を見誤ってしまう。私はむしろ、銅版画という表現の媒体、メディアを駆使して、彼の時代を生き、彼の版画作品を生涯にわたって世に送り出した一人の建築家であったと考えている。
 彼の建築表現は、すべて彼の版画表現の中にあり、わずかに二つの建築デザインに実施された。その他、いくつかの内装工事にかかわったが、その詳細は不明である。
 ピラネージは幻想の建築家であった。彼の銅版画は、彼の生涯を一貫して展開した表現媒体であり、絵画表現も論文もすべて銅版画で表明した。古代ローマの遺蹟に圧倒され、それが語る言葉に耳を傾けつつ、来るべき建築を夢見、創造した。
 しかも、どこか遠い片隅で活動したのではなく、ヨーロッパ世界の中心、永遠の都ローマで、ヨーロッパ世界の動きと見ごとに連動しつつ生き、わずかではあれ都市ローマに建築作品を残した。しかもそれらは、旧体制のローマのほとんど最後のモニュメントといってよかった。
 上に書いたように、ピラネージは積極的に銅版画を駆使して、奇想画≪カプリッチョ≫、地誌的な景観画≪ヴェドゥータ≫、そして古代ローマの廃墟を描き続けて、その時代を幻想の中に蘇生させ、ヨーロッパ世界の文化に大きく貢献した建築家であった。建築家とは、建築、都市を構想し、設計する人である。本書の目論見は、ピラネージの銅版画作品とわずかな建築の実践を通して、その事実を明らかにすることである。
 
 


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