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想い出の旅6 中央本線、小海線、信越本線途中下車の旅

 かつてのJR、国鉄の運賃は、往復割引というのがあったが、それ以上に、一筆書きで長い距離を動くと割安になったし、有効期間が長くなった。大学生のころ、こうした技を教えてくれたのを最大限利用した。 

 そのころ、最寄り駅の国分寺駅を発車して、中央本線に乗り、小淵沢で小海線に乗り換えて、終点線小諸で信越本線に乗り、高崎をへて東京から国分寺に戻ってくる、あるいはこの逆を辿って、とにかくひと廻りするのが好きだった。特にこのコースは、中央本線では富士山や八ヶ岳を望み、小海線が日本で最も高い標高を走る鉄道、高原列車であって、また信越本線が小諸、横川などを通り、浅間山が望めるとあって、結構気に入っていた。

 このコースを行くと、運賃六六〇円、有効期限が四日であった。学食のラーメンが三五円だったから確かに安かった。

 国分寺から中央線に乗って、国立、立川駅の先で、多摩川を渡る。日野、豊田、八王子、西八王子、高尾、その後は駅の間が遠くなり、相模湖、藤野、上野原と相模川の渓谷沿いに行く。四方津、梁川、烏沢、猿橋、大月、初狩、笹子、笹子トンネルを抜けると、甲斐盆地に出る。甲斐大和、勝沼、塩山、東山梨、山梨市、春日井、石和温泉、酒折、金手、甲府、竜王、塩崎、韮崎、新府、穴山、日野春、長坂、金無川の渓谷にそって、小淵沢へと登っていく。

 甲府盆地も見どころ満載で昇仙峡には何度も出掛けた。またこの盆地は、果物生産の豊かな土地柄であり、葡萄、桃、梨など実に美味しいし、温泉も豊富なところだ。

 小淵沢で小海線に乗り換えると、進行左座席の窓から八ヶ岳の眺め、反対側は逆に山裾、谷への眺めがはっきりしている。甲斐小泉、甲斐大泉、清里、野辺山、信濃川上、佐久広瀬、佐久溝ノ口、海尻、松原湖、小海、馬流、高岩、八千穂、海瀬、羽黒下、臼田、龍岡城、太田部、中込、滑津、北中込、岩村田、佐久平、中佐都、美里、三岡、乙女、東小諸、小諸。

 小海線の沿線はなかなかの風景が広がっていて好きだった。八ヶ岳の西山麓をゆっくり回り込んでいく。清里は高原の避暑地、という感じで、静かで牧場が広がる長閑なところで、最近のようにショートケーキ・ハウスが駅前を埋めていることなど考えられなかった。鉄道で一番高い野辺山はまた空気もいいからか、天文観測所がたくさん建っていていい感じだし、白樺の群生するみごとな林があったのはどこかその辺りだったろうか。松原湖はひっそりとした森の湖だった。

 小諸なる 古城の畔 雲白く 遊子悲しむ 緑なす 繁縷(はこべ)は燃えず 若草も 籍(し)くによしなし しろがねの 衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて 淡雪流る

 藤村の歌を口ずさみながら、小諸城は何時行ってもすがすがしく、展望台からは、遠く流れゆく千曲川の景色を楽しんだ。

 小諸で信越本線に乗り換えたのだが、信越本線はもはや通っていない。北陸新幹線が開通して廃線になってしまったので、しなの鉄道で軽井沢まで行くよりほかはない。

 小諸から平原、御代田、信濃追分、中軽井沢を経て軽井沢に着く。この区間は、北側、進行方向左座席から浅間山の雄姿が望める。

 軽井沢は浅間山の山麓に広がる昔からいい避暑地で別荘地として開発され、樹木の美しい静かな場所であった。白糸の滝や、いくつもの池が美しい水辺を作っている。かつては訪れる人もそれほど多くはなかった。川沿いの小道を行くと、有名な吉村順三の別荘が右手、坂の上に見えたり、森のなかのレーモンドの軽井沢聖パウロカトリック教会のとんがり屋根の下でしばし休み、小さな美術館が散在するのがいい。
 
 アントニン・レーモンドはライトが帝国ホテルを建てるときに来日し、帝国ホテル完成後も日本に留まり、ライト派からモダニズム派へと移りゆきながら、多くの名建築を日本に残し、軽井沢には彼の夏の事務所兼住宅を建て、その名をライトの事務所から採って、軽井沢タリアセンと呼んでいた。

 林間の道が気持ちよく緩やかに曲がり、名も知らぬ大きな樹木が気になり、名前を調べることになる。ひと夏はサワグルミの白い花が美しかった。軽井沢を愛した文人も多く、たとえば、金沢出身の室生犀星、東京出身の堀辰雄、立原道造を想い出す。

 信越本線の在来線は軽井沢から隣の横川までが全く廃線となった。この区間には碓氷峠があるなど、列車単独での運行が難しく、機関車を連結してアップダウンをするなど、運行上も難所だったのである。いわゆるアプト式と呼ばれる急こう配な路線を特別な仕組みを使って上下する鉄道マニアならとても喜ぶ区間であった。それにもかかわらず、同区間は存続するだけの価値がないと判断され、廃線となったのだ。

 横川駅では、「横川の釜飯」、あるいは「峠の釜飯」が有名で、笠間に行った時に、あの釜はここ笠間で作っている笠間焼ですよ、と教えてくれた。笠間焼の釜に蓋つき容器に入った釜飯が美味であった。こんなことになって、今は横川の釜飯は売っているのだろうか。もうなくなったという話を聞いたことがあるが、なんと今でも売っているようで、鉄道駅ではなく、上越自動車道の横川SAその他で販売しているようだ。釜飯にお茶を買って、というあの駅弁の味わいは無くなったようだが、SAでの販売もレストランでの飲食も残っているらしい。

 しかし、かつてのように軽井沢から横川へ行くには車で行くよりほかはない。横川の次は、西松井田、松井田、磯部、安中、群馬八幡、北高崎を経て、高崎に着く。高崎からは高崎線で東京まで戻ることができる。

 今ではかつてのように、同じコースを鉄道で一筆書きはできなくなってしまったのが残念である。でも考えてみれば、便利な車社会になったものである。しかし、のんびり鉄道の旅というのは廃れたということか。鉄道の旅はいいものだと思う。
 

  


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