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想い出の旅8 山中湖、そして富士五湖

 富士山麓の山梨県側に富士五湖がある。東から西へ、山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖である。いずれも富士山の噴火によって出来た堰止湖で、富士箱根伊豆国立公園に指定され、二〇一三年には「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の一部として世界文化遺産に登録された。

山中湖の想い出
 とりわけ、山中湖は私が高校生の時から親しんだ湖であり、よく某大企業の寮に宿泊させてもらった。湖の南側にある桟橋、湖に突き出た木造の桟橋に腰を下ろして、足をぶらぶらさせながら、英語の参考書、読解力をつけるための参考書を読んでいたことを想い出す。

 疲れたら、湖に飛び込んでのんびり体を伸ばして泳いだ。水草が生えていて足に絡まるのが結構心地良かった。

 旭丘というバスの発着所があるいわば山中湖の中心地では、加山雄三の歌が良く聞こえていて、ギターやウクレレを手にした男女でにぎわっていた。日が暮れるころには、みんなと踊った。明るいころはフォークダンスだったが、暮れると大人のダンスに変わった。

 高校でダンスを習っていたから何とかなった。それも女子から、学校のなんの時間だったか、習ったので教えてもらったから、なんとかなった。それより、こんな場所で受験生がこんなことをしていていいのかな。でも、ラッキーなことだった。

 大学に入ってすぐ、合気道部の合宿で山中湖の大学寮に宿泊し、運動場で野球をして、山中湖一周のマラソンをした。一周一四、五キロメートルだろうか。北側は少しだけアップダウンがあって最後は疲れて歩いてしまった。

 近くにいるのに富士山はいつも見えるとは限らなかったが、早朝や夕暮れなどに、晴れていればよく見えると嬉しかった。

 ある時は、自転車に乗って湖の周りを縦横に走り回った。カラマツの群生している景色にこの時初めてあちこちで出会った。夏だったので緑あふれる美しい樹形の木だが、秋になれば黄葉し、葉が落ちると思うと不思議だった。けれども、カラマツの足元には褐色の細い落葉が降り敷いていたので妙に納得した。

ヨットの模型キット
 全長四〇センチメートルほどのかなり精密な帆走するヨットの模型キットを買ってきて、時間をかけて、丁寧に作ったことがある。以前にヨットに乗っていたから、操縦は何とか出来るだろう。帆が前後二枚付いたクルーザーで、リモコンで操縦することができる。季節は春だった。車を走らせて、山中湖に行こう。

 富士山の見える北側に行こう。クジラのしっぽの辺りがいいかもしれない。そうだ、この時、霞んだ春の空気に残念ながら富士山は見えなかった。

 良く点検して、ヨットを浮かべる。人差し指を舐めて、立てる。風を確認するのだ。リモコンを操作する。いいぞ、ちゃんと帆走しはじめ、二つの帆に風をはらんで平らな湖面を滑らかに滑っていく。

 よーし、ターンだ。風上にまっすぐ進むことはできない。風上四五度に向かって帆走し、ジグザグ、九〇度方向を変えながら風上に向かうのである。この方向転換をターンという。ヨットは風上に向かう時が一番スリリングだ。傾いたまま、鋭い走りをする。反対に風を背に受けて大きく帆を張り風下に向かうときは、乗っていても風と一緒に走ることになるため、風を感じない。この時の長閑さも実に気持ちいい。なんとなくゆらゆら波間に揺れながら帆走する感じになる。

 風が急に強くなってきた。そうだ、リモコンの能力をチェックすするのを忘れていた。つまり、どれくらいの距離まで電波が届くのかわからない。それに電池がなくなったらどうなるか。今は、春。飛び込んでヨットを回収するには冷たすぎる。

 今はまだ届いているけど心配になってきた。バックさせるよりほかはない。岸辺を走らせることにしたが、急に面白くなくなってしまった。

富士がよく見える別荘
 ある冬の終わりごろ、山中湖の北側、つまり富士山がよく見える側に別荘を建てた友人に招かれた。天候の様子を聞いて、車で行くことにした。新しい別荘のリビングの南の窓からまるで額縁に縁取られたように富士の秀麗が見事に見えた。これには参った。

 この時、私はカラフルな積み木というか木のおもちゃを作っていて、はじめて人に見せることができた。好評だった。今でもそれらは黒いアタッシュケースにセットしてしまったままだ。子供たちが来るとよく遊んでくれたが、すっかりお蔵入りのままだ。

 湖に降りる細道があって、わずかな幅の水際の道が続いていた。北側はあまり来ないので知らなかったが、富士を眺めながらのこの道はいい。崖には雪が残っているが道は乾いた砂地だった。友人と歩いていると、すぐ前をツグミが歩き、まるで露払いだぞ、という感じで微笑ましかった。この冬も、友人はワカサギ釣りを楽しんだという。湖全体は凍らなかったけど、このあたりはすっかり凍り、小さな穴をあけて釣り糸を垂らしたそうだ。家から近い場所でワカサギ釣りとはなんとお洒落だ。

 山中湖から初めて、富士五湖すべてを尋ねたのは、いつだったか。山中湖と河口湖は放水路でつながっていること。山中湖からは桂川が流れ出し、神奈川県では相模川になっていること。西湖、精進湖、本栖湖もかつては「剗の海」(せのうみ)と呼ばれた大きな湖だったそうで、八六四年(貞観六年)の貞観噴火の溶岩流で三つに別れ、今でも水位が同一で下でつながっているということだった。

 河口湖や山中湖に比べて、この三つはとても小さく静かな湖で、どれも特徴があり、小さいが好きになってしまった。西湖、精進湖、本栖湖、それなのに、あれから行っていない。

  


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