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想い出の旅13 北海道、釧路原野へ

 
摩周湖
稚内から旭川に戻り、東へ、北見から網走を経て、知床斜里経由、摩周駅下車、そこまでの間に途中一泊し、午前中に、摩周湖の岸辺に到着した。摩周湖は透明度が高く、深く青く澄んでいた。ロシアのバイカル湖に次いで透明度が高いという。それで行く気になった。巨大噴火でできたカルデラ湖だという。周囲は海抜600m前後のかなり切り立ったカルデラ壁となっていて、河川が流入も流出もない閉鎖湖だという。湖の中央には断崖の小島があり、南東端に摩周岳、標高857mが聳える。透明度の高さは有機物の混入が極めて少ないからだという。そして大自然がつくる単純明快な風景に圧倒された。青い水に今にも引き込まれそう、危ない危ない。
 
阿寒湖
 摩周湖を後に、バスで阿寒湖に向かった。雄阿寒岳の東のパンケトー、東のペンケトーという名の湖とともに、西に位置するのが阿寒湖だ。雄阿寒岳に対する雌阿寒岳は阿寒湖の南西九キロに位置する。摩周湖と同じく阿寒湖もカルデラ湖だが、深さも傾斜もかなり穏やかで、湖畔にこじんまりとした温泉街が広がっている。お土産店で、マリモを売っているのですぐ買い求めることにした。瓶の中に大小二つ入っている。こんな大事な天然記念物が売られているとは思わなかった。東京に持ち帰って長く生きているのだろうか。ちょっと心配だけど、しばらくは生きているだろう。それにしても、どうしてこのように丸くなるのだろう。
 その日、阿寒湖温泉に一泊することにした。硫黄泉があるとのこと。
 湖畔に木のテーブルにベンチが向き合っているのを見つけた。一休みすることにした。ふと私が言う。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
 いや、それより、
 もう秋か。——それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか、俺達はきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、―季節の上に死滅する人々からは遠く離て。」
「初めの歌は誰のだっけ。」
「確か、藤原敏行だったと思う。」
「ほんとにその通りだな。北海道の夏はあっという間に過ぎるというけど、本当だ。半袖では寒いくらいだ。」
「二番目は、ランボーの「別れ」だ。」
「長尾はランボーが好きだな。」
「小林秀雄訳がいい。秋なら、リルケもいいよ。そうだ、小玉、前にヴェルレーヌの秋を暗唱してたな。hanson d’automne 原語で、頼むよ。」
「Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
Monotone.
Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l’heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure ;
Et je m’en vais
Au vent mauvais
Qui m’emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.」
「いいな。素敵に韻を踏んでいる。いかにも韻文詩だという感じがする。日本語に訳すと、それは全く失われてしまうけど、それはしかたないな。上田敏の訳がたまらない。訳というより、全く違う詩だという気もする。
秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの/みにしみて/ひたぶるに/うら悲し。/鐘のおとに/胸ふたぎ/色かへて/涙ぐむ/すぎしひの/ おもひでや。/げにわれは/うらぶれて/ここかしこ/さだめなく/とび散らう/落葉かな。」 
「そのとおりだ。吉田さん、秋の曲というと何を想い出すかな。」
「ヴィヴァルディの「四季」の秋かな。」
「そう言うと、吉田さんの頭の中にはもう響いているんだろう。」
「そうそう、タタタタタ―タッタ、タタタタタ―タッタ、タッタタタッタター、このモチーフを高音低音取り混ぜて6回も繰り返して始まるのだ。はははは。」
 ここまで、両手で指揮をするように、動かしながら、終えた。
「最初の春の出だしならともかく、秋、と言ってもなかなか出てこないよ。さすが画伯だ。」
「全く。そうだ、長尾、リルケ行こうよ。」
「うん。リルケには2つの印象的な秋の詩がある。二つとも旧詩集に収められている。「秋の日」と「秋」。

秋の日
 
主よ 時が来ました。夏はまことにさかんでした。
あなたの影を日時計のうえに横たえたまえ、
そして野のうえに、あまたの風を放ちたまえ。 
 
最後の木の実らに、熟れみちてあれと命じ、
なお二日、さらに南方的な日をかれらにあたえ、
まったき成就へとかれらを促し、そして最後の甘美さを
葡萄の酒の重さのうちへ入れたまえ。
 
いま 家をもたないものは、このうえ家を建てません。
いま ひとりでいるものは 永く孤独におかれることでしょう。
眠らずに、読み、長い手紙を書くでしょう、
そして並木路を あちらこちらと不安げに
さまようでしょう、落葉が走りとぶとき。
落葉が舞い散るときに」
 
もう一つは、「秋」。

木の葉が落ちる 木の葉が落ちる まるで遠くから降るかのように、
大空で、いくつものはるかな庭が枯れたかのように。
木の葉が落ちる 否定の身ぶりでひるがえり落ちる。
 
そして夜々よには、重い地球が 
ほかのすべての星から離れ、孤独のなかへと落ちる。
 
われわれはみな落ちる、見よ、この手も落ちる。
ほかのものたちを見るがよい、落花はすべてのうちにある。
 
しかしひとりのひとがあって、
この凋落を、かぎりなくやさしく両手のなかに受けとめている。 
 
 リルケは、中学の頃、初めて読んだけど、片山敏彦の訳だった。いつのまにか、富士川英郎の訳に親しんだ。そこへ茅野蕭々訳も交じり込んで、いつの間にか自己流のリルケができていて、なんだか分からなくなってしまった。最近、ようやく待望の生野幸吉訳が出て、今のは生野訳だ。そちらに切り替えることにした。」

「二番目の最後のところで、「しかしひとりのひとがあって、」
ただひとり、この落下を かぎりなくやさしく両手のなかに受けとめている。」、ていうところは何を意味するのかな。」

「ひととかいてあるけど、たぶん神だろうという気がするけど、とてもさりげない表現でしかも重い感じがする。初めのものも、やはり神がいて、命じていると思う。」

「確かにそうだ。」

「でも、いずれにしても、神というのが、ほのめかされているだけで、みんなに考えさせているところが何ともいい、と感じる。キリスト教のおしつけがない。」

「なるほどな」
 
根釧原野
 次の日の遅い午後、私たちは、根釧原野、湿原の広大な景色のただなかにいた。広野を見渡せる木造の展望台に上った。なんだろうこの景色は。曇り空の下、湿原はどこまでも広がり、眼に入るのはすべて根路湿原だという。

「鶴でも飛んでいればなあ」

 かつて、高校一年生の夏に行った、志賀高原の湿原、四十八池を想い出したが、スケ―ルがまるで違う。志賀高原の湿原では細やかな植物や花々に眼がいくが、ここでは広すぎて焦点が定まらない。滔々と流れている澄んだ水、樹木さえも広大すぎる風景の中で小さくしか見えない。
 ほかにすることもなく、ぼくは展望台の上から、大声で、好きだった彼女の名前を呼んだ。木魂も聞こえてこなかった。水の流れと樹木の中に吸い込まれただけだった。
 
 そして想い出す。大学で同じ小学校出身の仲間に出会った。中学、高校は全く違う学校に通い、大学の教養学部理Ⅰの講義で偶然一緒になった。不思議だった。

 大学に入ってすぐの夏、その三人で尾瀬沼を散策した。良く整備されたウッドデッキの遊歩道や、これまた細やかな植生、水芭蕉やシャクナゲの美しさ。

 夜行列車で現地に直行し、疲れているのに歩き出すと、その爽やかさに、眠気も吹き飛び、癒された。小学時代の親友だった神原秀記、いっしょのクラスになったことはないが浜中弘徳、全く優れた友人だ。旅程を調べて決めてくれたのは浜中だった。途中でどこかの小屋で一泊して、帰ってきた、とても印象的な旅行だった。

「夏が来れば想い出す はるかな尾瀬 遠い空 霧のなかに うかびくる やさしい影 野の小径(こみち) 水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている 夢見て咲いている水のほとり 石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる はるかな尾瀬 遠い空」

 中田喜直の曲だ。モーツアルトのピアノソナタ第十一番第一楽章のメロディ―に似ているので有名だ。第三楽章の「トルコ行進曲」で有名な曲だ。
 秋の歌と言えば、同じく中田喜直作曲の「ちいさい秋みつけた」を忘れていた。

  


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