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想い出の旅9 森戸海岸の夏「夕陽に赤い帆」

 建築の学生だった頃、ぼくらのアトリエ、設計事務所は洋上にあった。横浜に着く前に住宅の図面を一式そろえよう。展開図と矩計図がまだできていない。少し揺れが激しくなってきた。良く晴れていたのに、風が出てきたのかもしれない。と、こんな風に、卒業したらクルーザーの設計事務所で仕事しながらセーリング、海と空と風、ああ、いいかもしれない。夢を追いかけて。
 
 ヨットはまず第一にスポーツである。チームワークによるとても楽しいスポーツで、空、海、風、太陽、そしてヨットの性能と操縦が何と言っても重要だ。たとえば、スタートラインに並び、彼方のポイントを廻ってスタートラインに戻ってくる。それだけのことだが、コースと風の向きと強さが問題になる。作戦と臨機応変の操縦、動作が大切だ。
 
 逗子湾の南に葉山港と隣接して葉山ヨットハーバーがあり、さらのその南に結構長い浜が伸び、逗子森戸海岸という海水浴場が広がる。その南端には海に突き出た岬があり、ちょうど森戸川が海にそそぐ辺りに、森戸大明神があり、小さな岩の島が低く連なり、その一つに赤い鳥居が立つ。それがいい目印だった。
 
Y15という競技用小型ヨット(ディンギー)、木造ヨットを知人から譲り受け、弟と彼の友人、それに私の三人で所有していたことがあった。ヨットの置き場に困って、この森戸海岸の南の浜に、二枚の帆を外して、船体を裏返しにして、マストなどを下に入れて、シートをかぶせてこっそり置かせてもらっていた。週末になると帆を入れた袋を担いで、ヨットに乗りに行った。
 
 ヨットは、私が当時、非常勤講師をしていた武蔵野美術大学のセーリングクラブに入って教えてもらった。二七、八歳の時だった。仙台出身で国体の選手であった志村順一部長は建築学科の学生で、みんなを指導していた。私も彼から直々に習った。愛知の蒲郡や鎌倉の材木座海岸でクラブの合宿も経験した。

 運動部の合宿は高校時代の野球部や大学の合気道部で経験していたから懐かしかった。美大の合宿は一味違うゆったりしたものだったが、翌朝起きるのが辛いほど、運動量は大きく、やはり運動部らしい合宿ではあった。蒲郡の海は夜光虫が光りを放ち、夜も楽しく過ごした。
 
 ヨットの面白さは、なんといっても風上に向かって帆走することだ。しかしそれも真直ぐ風上へは進めず、風上から左右に45度方向に進むのである。ある程度走ると、90度方向を変える。

 この時、舵を握るキャプテンが、「ターン」といって、右舷に座っていたら、左舷に座り替え、舵を切る。メインセールを彼がコントロールする。この時もう一人は、メインセールの下を支えているブームの下を潜って、キャプテン同様、右舷から左舷へ移動する。彼は、前のセールであるジブセールの張り具合をコントロールする。

 この時は、ジブセールもメインセールも閉じた位置になるので、クローズホールドという。ターンを繰り返しながら、このクローズホールドで、風上に向かう。そしてこの時、風によってヨット全体が風下方向に倒されるのを起こさないといけない。足をヨットの中心線に張られたロープにかけて体を外に乗り出す。あるいはマストのてっぺんからロ-プを張り、腰のバンドに止めて、身を水平に乗り出すのである。
 
 風向きと直角方向に進むときは、セールを四五度にコントロールして進む。ほかは同じである。風下四五度に進むときはクオータリーといって、同じく四五度のセールを張り、舵でコントロールする。
 
 風下に向かうときはセールを、それぞれ左右、別々に九〇度に出し、乗っている私たちは風と共に進むことになるため、一切の風との抗いはなく、ゆったりと進んでいく感じがある。これをランニングという。この時、スピンネーカーという、風を一杯にはらむセールを前方に追加して張ることもある。その方が早く進むのである。
 
 ヨットには高いマストが立っている。それに帆を張れば、走るわけだが、見かけのバランスから考えて、すぐに倒れてしまわないのはなぜか。

 船底より下にセンターボードという板を下ろしてバランスをとり、風に切りあがる時の水中揚力を受けるようになっているのである。

 それでも、突風や強い風には時に倒されてしまうことがある。小型のヨットなら、横倒しになったまま、センターボードに乗って立ち、天辺に取り付けられたロープを引き揚げて、マストをすぐ起こすことができる。

 クルーザーなら重いキールバラストが船体の下に延びているので、それがバランスをとっていいて、そう簡単には倒れない。
 
 材木座海岸で合宿中に、沖に大きな帆船が登場した。美大の先輩たちが所有する大規模なクルーザーで、私たちの合宿を応援して来てくれたのだった。

 私たちはヨットでその木造船を囲み、入れ替わり立ち代わり見学させてもらった。船体がすべて木製のクルーザーは、木地のままに何重にもニスを塗られて輝き、色々な船具とロープ、広々したキャビンが美しい、はためく幾つもの帆、何本もマストを建てた豪勢なものだった。

 宝島や海賊船を夢想しながら、大海原を行く帆船、真っ白な帆と真っ白な船体、そんな美しい大きな写真が、我が家の部屋の壁に掛かっていたことを想い出す。欄間には、ピサの斜塔やベニスのゴンドラのつづれ織りが色褪せて掛かっていた。
 
 いずれはクルーザーが欲しいとは思っていたが、最初に手にしたのは、古い木造船、Y15に過ぎない。けれどもこれが、競技用のヨットの一つで、実によく走った。相模湾を西に臨むこの浜から、逗子湾、鎌倉の湾、江ノ島方面まではすぐ行けた。浜づたい沖を走る分には水の汚さをあまり感じなかった。

 南下していけば、水質はかなり良くなる感じがした。葉山から秋谷にかけて、いくつもの岬に区切られたいい湾、砂浜が続いていた。何処までもヨットを走らせたかったが、その日のうちに帰らなければならず、無理をしてはいけなかった。
 
 ある時、私が浜にいて、二人が船を出した。帆をろくに張っていないまま、すぐ風に流されている。動きが可笑しい。たくさん島があるあたり、岩場に向かっている。

 慌てて海に飛び込み、ヨットを追った。運よくあまり流されないうちに追いつけてよかった。動きが変だぞ。船底からさらに下に降りていなければならないセンターボードが降りていない。

 これでは流されるばかりで、梶も帆も効かない。それが分かってすぐ下ろした。早く気がついてよかった。海上ではほんのちょっとしたミスも許されない。

 気がつかないでそのまま放置したら、何もコントロールできずにただ風のまにまにただ流されてしまう。何処をさまようことになったのだろうか。彼等を十分訓練する前に、自由に任せたのがいけなかったのだ。事故にでもなったらと思うと、ぞっとした。
 
 ヨットを楽しんで、下船するといつも、しばらく足元が揺れているようなふらつきが残るのが愉快だった。波間に揺られている不安定感がなくなるのに体が付いていかない。揺れている感覚がそのまま残るのだ。

 こうして、ヨット乗りは結構運動量があり、足腰に集中するものの、心地いい疲れが全身を覆うのが言えないのである。である。
 
 西を向いた森戸海岸は、相模湾を遠望して、遠く陽が落ちていく彼方に富士山を望むことができる。浜を去る時、西に沈んでいく夕陽や富士山に別れを告げるのが気分良かった。そしてふと思い出す。ヨットと夕陽と愛の歌を。「夕陽に赤い帆」である。
 
Red sails in the sunset Way out on the sea
Oh, carry my loved one Home safely to me
She sailed at the dawning All day I've been blue
Red sails in the sunset I'm trusting in you
Swift wings you must borrow Make straight for the shore
We marry tomorrow And she goes sailing no more
Red sails in the sunset Way out on the sea
Oh, carry my loved one Home safely to me
Red sails in the sunset Way out on the sea (ooh-wee-ooh, wee-ooh) 
Oh, carry my loved one Home safely to me
 
 プラターズの歌「夕陽に赤い帆」は、一九六〇年リリースのアルバム「リフレクション」に入っている。他にもいろいろな歌手が歌っているが、ナットキングコールの少し古いのもいい。五人のグループサウンド、ザ・プラターズでは「煙が目に染みる」というヒット曲も忘れ難い。
 
 ヨット遊びは残念ながら、いまのところ、この程度で終わってしまった。「小さな家の思想―方丈記を建築で読み解く」をプレゼントした、ムサビの建築の卒業生から電話がかかってきた。

 実は、小さな家を最近買ったのです。建築の設計の仕事をしてきて、この地上は法規などでがんじがらめ、不自由ですが、海の上なら自由ですからね。

 小さなヨット、クルーザーを買ったのです。横浜にちょうどいい置き場も見つかり、練習に励んでいます。今度、是非、ご一緒しましょう。ムサビでセーリングクラブに入りたかったのですが、結局入らず、この年になってしまったのですが、新しい夢を追いかけています。

 彼は私よりちょうど十歳ほど年下、この思いがけない電話に楽しい時を過ごした。そのうち、すべてを想い出すように、彼とヨット遊びを楽しもうと思っているうちにコロナ禍と暑熱の夏が過ぎてしまった。

  


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