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近況報告20240929
著作の数が少ないとか全部買いそろえても一万円いかないとか、舐めた理由で選んだベルクソンであったが、数年読んでいるうちに身体になじんできて、それでようやく哲学というものの門前に立ったような気分でいる。
疲れた。クソ。なんていうか、やっぱり自分が何をしたいのか分からないし、自分の関心というのも分からない。諸々の申請書でようは博論の計画をかかされたわけだが、いまだ修論すらはっきりとした見通しが立って
近況報告。ついでに狂い咲きサンダーロード
たまに元気なときに本を読み、ダルくて憂鬱な大抵の時間はベッドの上で寝て過ごすという生活をかれこれ1年は続けている。自分がいつ寝ていつ飯を食っているのかよく知らない。セルフネグネクトという言葉が頭をよぎらなくもない。僕は鬱病なのではなく、人間として生きることに本源的な不安に向き合っているだけだといつも言っているが、どうだろうか。その不安が何も生み出さず害悪でしかないのであれば、プラグマティストに言
もっとみるゆるやかな自殺とその敵
2023年7月27日
ストラテラというADHD治療薬を僕は飲んでいる。薬を飲んでまで社会に適応しようというつもりもないのだが、本を読むのに十分なだけの集中力すら、薬を頼らなければ得ることができないのだから仕方がない。文章を書くくらいしかできない僕にとっては、本が読めないのは致命傷なのだ。
けれども、この薬はなかなか胃に負担の大きい薬らしく、飲み方を間違えるとひどい目に合う。僕の場合もともと胃
小説の好き嫌いについて
その作品の出来不出来にかかわらず、小説について個人的な好みによる評価というものがあることは疑いえない。サリンジャーは『キャッチャーインザライ』のなかで主人公に、その人にとってよい小説というのは、作者と友達になりたいと思うかどうかだと語らせていた。ウェルベックも『服従』のなかで似たようなことを述べていたように思う。
僕がその作者と友人になりたいと思った小説とはなんだったかと考えてみると、それは難
日記を書くということについて(2023年7月26日)
18時頃。数時間前に起きたばかりであり、日記もクソもない。初日であるから、日記を書くということについて、ごく個人的なことを書いておこうと思う。
日記というのは、その日自分が行った行為や考えたことについて書き留めておくものだろうと思う。けれども、それは僕にとって困難なことだ。
まず、最初の困難は日記というのはフィクションではいけないということだ。たとえば、僕は小説を書いたりすることもあるし
九鬼『「いき」の構造』
九鬼周造『「いき」の構造』
「いき」のうちには、二者の性的関係でありながら、互いに完全に対象化しえないようなありかたが含まれている。エロティシズムにとってはこの不連続性は限界だが、いきにとってはここに美意識が働いている。(いきにおける所有の不可能であるとか不連続性と、心中の関係も気になる)
生命であること、ものであることを自在に行き来するような流動性の美? 弛緩と緊張。自由であること、物質的な