ゆるやかな自殺とその敵

2023年7月27日

 ストラテラというADHD治療薬を僕は飲んでいる。薬を飲んでまで社会に適応しようというつもりもないのだが、本を読むのに十分なだけの集中力すら、薬を頼らなければ得ることができないのだから仕方がない。文章を書くくらいしかできない僕にとっては、本が読めないのは致命傷なのだ。
 けれども、この薬はなかなか胃に負担の大きい薬らしく、飲み方を間違えるとひどい目に合う。僕の場合もともと胃が弱いというのもあるのだあろうが、食後ほんの30分でも時間をあけてしまうと、激しい吐き気とふわふわとした眩暈に襲われる。今日もやらかしてしまった。
 ただ、今日は少し事情が特殊であった。食事(といってもスーパーのみたらし団子だけだが)のあとしばらくして、薬を飲み忘れていることに気が付いた僕は、何時間があとにスナック菓子を一袋食べてからストラテラを飲んだ。ここしばらくずっと薬を飲み損ねていたため無理にでも飲もうと思ったのだった。何も食べずに薬を飲むわけにはいかないが、とくに食欲もなかったからスナック菓子を選んだのだが、どうもこれだけでは全く足りなかったようだ。しばらくしてから、これまでにないほど激しい吐き気に襲われ、何度も嘔吐してしまった。ストラテラで実際に吐いたのはこれが初めてであった。
 問題は吐いたモノである。吐しゃ物の多くの部分はコーヒーかすのような黒色をしていた。不思議に思い調べてみると、それは胃酸にさらされた血であった。薬に胃の粘膜がやられて出血してしまったらしいのだ。要するに僕は吐血したのだが、これも僕にとって初めての出来事であった。
 僕はよく、不健康をしていれば早く死ねるのではないかと考える。今すぐ死ぬ勇気も理由もないのだが、生きていたいわけでもないからできるだけ早死にしようというわけだ。ゆるやかな自殺のようなものである。どうやら今日僕は胃を痛めつけて血まで出したのだから、ゆるやかな自殺という小さいながらも着実な前進を遂げたということになり、喜ぶべきことであるように思う。けれども気の小さい僕は、自分が吐血したということを知って青ざめてしまった。
 自殺における死の恐怖を避けようと、ゆるやかな自殺ということを考えていたはずなのだが、どうやら僕のような小心者にとっては、不健康をして自らの死期を早めるというのは、死の恐怖を引き延ばすことにしかならないらしい。中学生のころ、自分はもうそろそろ死ぬのだという観念にとりつかれて、焦りと恐怖に苛まれていたことを思い出した。
 生の意義ということを直観できないうちは、希死念慮が消え去ることもないだろう。それにもかかわらず、自殺することができないばかりか、死期を早めることすらできないというのでは情けない。
 


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