近況報告。ついでに狂い咲きサンダーロード
たまに元気なときに本を読み、ダルくて憂鬱な大抵の時間はベッドの上で寝て過ごすという生活をかれこれ1年は続けている。自分がいつ寝ていつ飯を食っているのかよく知らない。セルフネグネクトという言葉が頭をよぎらなくもない。僕は鬱病なのではなく、人間として生きることに本源的な不安に向き合っているだけだといつも言っているが、どうだろうか。その不安が何も生み出さず害悪でしかないのであれば、プラグマティストに言わせると軽い鬱病と変わらないだろう。
とはいえ、最低限の生活は1人でどうにかできている人間が、こんなありふれたことで悲劇ぶってかまちょしていても仕方がない。それに最近は僕にしてはよく人とも会っているし本を読んだりもできている。そこで、せっかく文章を公開するのだから人に媚びて最近観た映画のことでも書いてみよう。人に聞いてほしい話なら色々あるが、そんなこと誰も興味ないだろう。
狂い咲きサンダーロード
久しぶりにDVDを買って映画を観た。『狂い咲きサンダーロード』である。サブスクでは、TSUTAYAくらいでしか観ることができない。僕はサブスクの無料期間に解約し忘れて1、2ヶ月分の料金を払ってしまう人間なので、どうせならと思いDVDを買ったのだ。
この映画は1980年に公開された有名なカルト映画だ。『太陽を盗んだ男』と並んで日本カルト映画の二大巨塔と言ってもいいかもしれない。実際、80年代の名画座ではこの2本立てが定番だったらしい。
音楽は泉谷しげるや頭脳警察のPANTAなどが担当している。劇中で流れる彼らのロックミュージックがとてもカッコいい。音楽の勢いに乗って疾走する類いの映画だ。頭を空っぽにしてバカになって観るのがちょうどいい。暴走族が集会する場所の名前が「バトルロワイヤル広場」だったり、内ゲバする廃墟が「デス工場跡」だったり、それから「スーパー右翼本部」ってなんだよと笑ってしまう。とにかく頭の悪い映画である。嫌いではない。むしろ僕はこういうのが結構好きだ。
ストーリーとしては、時代遅れになった暴走族が内部分裂して「みんなに愛される暴走族」を目指すグループが生まれたり、右翼団体に入って「御国のために役にたつ立派な男」を目指したり、そういう状況の中で仁という主人公は暴走族としてツッパリ通すという話だ。そのあいだずっと内ゲバをしている。立花隆の『中核派VS革マル』で読んだ光景が頭に浮かぶ。思想のない政治闘争のようだ。事実、作中で赤旗は馬鹿にされるし、君が代に至っては「意味の分からない歌」扱いだ。ただ理由もなく「暴走族の美学」みたいなものを貫き通すのである。
それがカッコいいかと言われると、むしろめちゃくちゃにダサい。バカバカしいプライドのために命をかけるアホみたいな姿が描かれている。しかし、主人公の泥臭くてダサいツッパリが、時代に適合することも「大人の男」になることもできない不器用さからだと思うと、なんだか愛おしくなるのである。手下たちにも離反され、敵対グループや右翼団体に腕を切り落とされた末に放たれる「この街の奴ら全員殺したいんだよ」というセリフには思わず興奮してしまった。
こういう勢いが命の映画であるが、映像としてはなかなか面白かった。僕は映画の技法については全くの素人なのでよく分からないが、前衛的なカットが散りばめられていたように思う。廃墟の瓦礫のなかでギターを演奏する謎の集団のシーンなんかは『田園に死す』を思い出す。
ところで、本作が意識しているのは『マッドマックス』だろう。僕はどちらかいえば『狂い咲きサンダーロード』の方が好きだ。まず、『マッドマックス』には分かりやすい悪役がいる。殺人と強姦を楽しみとする残虐な連中だ。他方、『狂い咲きサンダーロード』の敵役はというと、そういう悪役とは違う。むしろまともなのは敵の方だ。バイクに乗って暴れ回りたい欲求と社会的な規範との折り合いをつけることができたり、筋を通して右翼団体に入団したり、そういうことができるのである。それに対して主人公の仁はというとそんな社会性はない。暴走への熱量が1人だけ高くて周りを置いてけぼりにしてしまうし、命を助けてもらった右翼の先輩に対しても反抗的な態度を取り続ける。そんなことを続けているうちに全員を敵に回してしまうのである。それに、仁が復讐をする理由は『マッドマックス』のように殺された妻子の敵討ちとかそんなカッコいい理由ではない。確かに殺された仲間はいたし、それで引っ込みがつかなくなったということはあるかもしれないが、彼が「この街の奴ら全員殺したい」とつぶやく理由は、思うようにならないこの世界に対する憎しみだ。だから仲間を殺した敵対グループも、助けてくれた右翼団体も、警察も見境なく皆殺しにするのだ。僕はこういう情けない奴が大好きだ。
ちなみに、どうでもいいことだが、僕はこの映画をシェアハウスのリビングで観ていた。時間は夜中のつもりでいたが明け方くらいだったかもしれない。いずれにせよ、映画が終わる前に空が明るくなっていた。リビングは共用なので当然住人が入ってくる。この映画はぱっと見はただのヤンキー映画である。なんだか僕がそういうマッチョでホモソーシャルなものが好きだと勘違いされそうで恥ずかしかった。「違うんです! これはカルト映画で教養みたいなもんなんです!」と弁明したい気持ちだった。そういう自意識の過剰を未だ捨てられないでいる。
補遺、というかただのボヤキ
久々にnoteでも書くかと思い立ったのは、ラブホテルでのバイトの待機時間だった。メイクの仕事は部屋が空いたとき以外は特にすることがない。体感としては勤務時間のうち3分の1くらいは暇してるんじゃないだろうかと思う。そのあいだ、普段は本を読んだりスマホをいじったりして時間を潰している。ただ、あまりまとまった時間は取れないので、根気のいるような本は読めない。最近はTwitterばかりしていた。そこでスマホでも書ける程度の短い文章でも書いてみようと思ったのだ。しかし、失念していたのは今がお盆の真っ只中であるということだ。とにかく客が多い。久々にこの世に帰ってきたご先祖様も、子孫の元気な姿をみられてさぞお喜びのことだろう。
そんなこんなでバイト中には書き上がらず、今家に帰ってからぽちぽちと文章を打ち込んでいる。ついでだから、メイクをしながらなんとなく思い出していたことでも書いておこうと思う。
なんの脈絡もない連想ゲームだが、たまに事後の部屋を片付けながら性の悦びおじさんのことを思い出したりする。何年か前にネットミームになったおじさんだ。彼が電車の中で「性の悦びを知りやがって!」と独り言を言っているのを盗撮した動画がバズったのだ。勝手に他人を撮った画像をネットにアップする奴の気がしれないが、まあ今はどうでもいい。それに性の悦びおじさんは、その後嬉しそうにネット記事のインタビューに出ていたし、本人はあまり気にしていなさそうだった。
問題はその後だ。彼は駅で「不審者」として殺されてしまった。詳しく覚えてないが、確か彼が暴れるなり暴言を吐くなりしたのだろう。それを乗客が取り押さえ、締め殺してしまったのだ。現場を見たわけでもないから、おじさんを取り押さえた乗客の判断が正しかったかどうかは分からない。ただ、社会に適合できない不器用な人間がそれゆえに身を滅ぼしてしまう様をみると、暗澹とした気持ちになる。
ただ外に出るだけで犯罪者のように扱われ、挙げ句の果てには不審者として殺されてしまうくらいなら、仁のように銃と爆弾でこの街の奴ら全員殺してしまいたい。
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