「時が経てばその痛みはなくなるよ」ではなく「時が経つ前に創作物にしちゃえ」の時代
2020/02/11メモ 思ったことの羅列です
どんな痛みや辛さも時が癒やしてくれるんじゃなくて、振り切れば創作物として売れる時代。その辛さや息苦しさだって作品にすればお金に代わる。ってことは壮絶人生のほうが売れるから要領よく生きることより、いかにインパクト大の派手で人の経験してない人生を送るかに重きを置く人が一定数でてくるよねぇ。いかに要領よく生きるか以上に、いかに経験値をあげるかみたいな。カウンタカルチャー再興隆するっかね。
noteで投稿しながら他人の記事まで読むようなヘビーユーザーは、基本自分のやってることや考えてることを発信して自分を知ってもらいたい有名になりたい人が大半だから、いいね頂いても自分のnoteへの誘導にでしかないってほとんどの場合思ってしまうんだけど、ひねくれてんのかなごめんなさい。自分のがその記事につけたタグと同じテーマ扱ってたらなおさらそうおもっちゃうんだけど。自分の関心分野や共感したって場合もあるのかもだけど。
普段の私の発言と変わらないレベル感で全くもって大したこと言ってないのに、TLに流れてきた拡散されてるツイートへリプってだけで、いいね数やリツイート数が自力では得られないような数になったから、やっぱり中身以上にまずは露出度だよなって感じた
たぶん、とびぬけた思考力とか、よっぽどのとっぴょうしもない経験とか、何かある分野の濃密な長年にわたる経験とかがない限りは、どんなにがんばっても言える量とかその質ってある程度天井があって限界があるから、経験値上げて質の向上に尽力する以上に露出度高める必要ある気がする。別に母数の多い大衆が共感できる内容を提供することでも知名度って獲得できそうだし。だって有名アカでたくさんのいいねもらってる投稿も、どっかの誰かごく普通の人がいってそうなやつとかめちゃあるやん。別にその中身私も言えるわ、みたいなやつ。えらそうでごめんなさい。
会社に属さない働き方やネットで自分を売っていくのは社会にうまく適合するのが人より困難な人や大衆より秀でた個人のために必要な生き方であって、大衆に必要なもんのじゃないのかもね。
書きたいものと求められているものにギャップがある状態って一番つらいだと思う。そもそも最初に書きたいものが特になくてただ有名になりたいみたいな人は世間が求めてるものやウケるものにシフトしていくのがたやすいんじゃないんかな。
表現したいものがある時点でその客体(自分が表現したいもの)に普通の人より近いから、大衆から離れてるんだよ
実践しながら知識やスキルを身につけていくみたいに、書こうとすると自分の言いたいことをうまく表すための言葉を自分は持ち得ていないことに気づいて、外から表現を吸収しなきゃと自分のできなささを自覚するよね~
noteユーザーって割と特殊だから、そこにウケる発信のハウツー系とか情報発信の際の自分の抱える困難等をかけば共感をうみやすそう
実践重視で、まずはやれ。必要になった時にその都度その都度学べばいいし、やっていく中でスキルもついてくると考える宗派と、まず理論から入って基礎を理解しろと考える宗派のどっちもがあって、若手起業家信仰の現代では、前者がわりと主流だったりもするけど、実践重視で理論無視すると次は反発に合うよねー
YouTubeのプレゼント企画とか、noteのいいねくれた人に投げ銭企画とか、Twitterのフォロワー購入みたいなSNSドーピングって必死さとか貪欲さみたいな人間の性が全面にでていて逆に嫌いじゃない。
私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。