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私が子宮を所持する意味ってある?

思ったことの羅列です

生理になったら死にたくなるにはホルモンバランスの問題ではなくセクシュアリティの問題。生物学的にはメスだけど、別に自分のこと大して女なんておもってないし、ましてや女の子だなんて恐れ多くていえないし、ジェンダー学やればやるほど、女として生きることの理不尽さを知って、女は弱者である場面ばかりに遭遇して、女でいたいとおもわないし、なのに、月1で否応なしにお前は女やと知らせてくるんだもん月経が。子供産むつもりないし、なんなら子宮全摘すれば無性になれるんじゃね、性から解放されるんじゃね、なんていう親や世間様がきいたら、どちぎれそうなこと考えちゃうし、ほんと生理はいやねぇ。かゆいしきたないしきもちわるいししんどいし、ほんといいことない。ましてや反出生主義に共感する私なんぞ、子宮持ってる意味あるか?生理来るといつも以上に女絡みのコンプ爆発する。でもちゃんと、かわいい女の子になりたいっていう欲望だってあるよ

人に裏切られたその悲しみを人で埋めようとするのは、上手くはまらなかったピースを再度無理やり押し込もうとすることと同じで、結果うまくいかないのはあたりまえなので、そのピースがはまらないことを一度学習したのであれば、違うピースを探すか、そのピースの角を削るなりして、違う方法を模索せねば一生その穴は埋まらんぞ

苛立ちや沈みすらも愛してあげていいんよ
でも結局そういう不安定な部分も受け入れてくれるのって自分くらいしかいない気がするんだよね

でも子供産む人がいるということは、自分にそれだけの自己嫌悪を感じていない人がちゃんといるという証明でもあるのでは

生理が嫌な私、それを口に出す私、いやな顔をする母や悲しい顔をする母に申し訳なくなる私、別に私が好きで女に生まれてきたわけでも、母がこのんで私を女としてうんだわけでもない。誰が悪いわけでもない事象に対して、憤りを感じるんだもん、どうしようもない、誰にも幸せにならない

私だって恋愛してみたいけど、今更いちいち会うまでにめんどくさいやりとりするのだるいからtinderから離れられん、けどtinderごとき出会う人に恋愛しても傷つくことしかないので、絶対ほかのフィールド出会い広げるべきなんだが、むずぴ、めんどくさがってり、労力って思ってる時点でだめだな、加えて、顔も体型もイマイチの性格難あり、だから今まで彼氏いなかったろうに、わいっちはひとりでフリープレイヤーとして遊んでアイス貪り食して惰眠を謳歌するぜよ

他人っていうその存在自体がそこまで好きじゃない、一人でゼミ室にいるときは快適なのに狭い部屋に誰か他の人がいてしまうと友達なのに、なんだか窮屈感をかんじちゃうんだもん。

はれる兆しのないどんより雲。実際の天気は快晴なんだけどね

誰かとしゃべったり何か気をそらさないともう押しつぶされてしまいそうなこの感じ

なんかよくわからんけどアパシーなんよな

自己満足の思索

なんかでもまぁ、やっぱり信じれるのは自分だけってことを生で実感できる機会だから、逆にそれをモチベーションあげる景気として、負の原動力として利用していくのもありだと思う。彼女いないと言ってたのに後で実はいることを告白され謝られ、それでもまた会いたいと思ってる自分はクズかなとかほざかれたあとに思ったことぽよ。多分人間全員クズだから、逆に信じて裏切られて傷ついてを無防備に繰り返すことが生の営みに見えてきたぞ。でもやっぱり自分の気分を他人のせいで乱されるとか耐えられぬ。ぽよ様の気分をなにお前ごときが乱してんだよって感じ。ぶちおこよ。

そんなのわかってるんだけど何もやる気はおきないし死にたいんだもん

リスカやセックス依存の話になると、虐待や性暴力とセットで語られるけど、私全然違うんだよなぁ

語られてないけどそこにあるもの

そんな嫌な顔しないでよ

この感じがあとどんだけ続くわからないて思った瞬間にどしって

死につながる考えに支配されている

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。