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雑記

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#自然

風光明媚な京都

今回は京都の美しい景色を何枚か載せながら先日の旅を振り返る。

埋立地を魅力的に感じること

今日は用事で有明に来ている。緑が多く、道も整っており、おまけに建物も洗練されている。街を歩いているだけでワクワクする。

ただここは埋立地なのだ。人間の持つ業が具現化したというべきか。埋立地といえばその他にみなとみらいやディズニーリゾートがある舞浜あたりになるが、どこも開放感に溢れていてとても良い。

自然よりも人間の造形物がいいと思うこと、これは社会に飼い慣らされてしまった結果なのか。

大都市を飛ぶトンボ

大都市を飛ぶトンボ

珍しく渋谷の街にトンボが飛んでいた。弱々しく飛んでいた。ふらふらとビルにぶつかりながら。

ここにはかつて草原が広がっていたはずだ。地球史という壮大なスケールで捉えれば、渋谷の街も草原であった時代の方が圧倒的に長い。遺伝子にはその頃の環境に適応する仕組みが強く刻み込まれており、決してコンクリートで構成された街には適応していない。

トンボの影にわれわれ現代人の姿を認めざるを得なかった。

家に湧き出てくる虫は殺す?

家に湧き出てくる虫は殺す?

いつからか、家に出てくる虫を殺さなくなった。特に蜘蛛。見かけたら透かさずティッシュを持ってきて潰して殺していた。

どうやら家にいる虫を見ると拒絶反応を示すらしい。当時の不快感を思い返せば、そこには間違いなく、外のものが内に入ることを拒む意識が働いていた。養老孟司先生は、自然と都市を二分した文明が誕生した時期からこの意識が芽生えたと指摘されていて、ごもっともだと思う。

例えば、都市に鳥の死体があ

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芸術と自然

芸術と自然

海辺の砂浜では皆が一堂に海を眺めている。普段は手の一部と化しているスマホも、その時ばかりは放り投げ、ただただ海を眺めている。

自然にはそれだけ人間を惹きつける魅力があるのだ。

芸術は歴史的に絶えずそういう自然を表現してきた。しかし、自然を表現することは必ずしも自然そのものを作り出すことではない。絵を描いても本物の木にはならない。つまり、これを簡単に言えば芸術は自然をを模倣(ミメーシス)している

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ヒトと自然

落ち葉。

この文字を見れば自明に「落ちている葉っぱ」を思い浮かべる。しかし、落ち葉をじっくり見つめてみると、一枚一枚形が違う。元々の形状も違えば、ヒトに踏まれて歪な形をした落ち葉もある。何ひとつ同じ形状のものはない。

「落ち葉」という概念によって一つの形を思い浮かべるが、現実を見ればその言葉には無数の形が内包されている。

何気ない自然も、よくよく見れば我々ヒトと何ら変わらない。

自然美

自然美

暴風にさらされると髪は乱れて目も開けられないので、不快になってしまう。就職活動をしていたとき、東京駅丸の内のビル風に何度セットした髪が乱れたことか・・・しかし、沖縄で真珠のように煌めくビーチを眺めているときに晒された暴風は不思議と許せた。「許せた」というよりはもう「愛した」と言ってもいいかも知れない。

おそらく、ビーチは暴風と同様に自然が作り上げるもので、両方が一つの自然として調和し、結果として

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自然の前で謙虚になる

今沖縄に来ていて、昨日は玉泉洞という鍾乳洞に行ってきた。

周知のように鍾乳洞は果てしなく長い時間をかけて形成される。玉泉洞の鍾乳洞は成長スピードが早いらしく、それでも1年間に3mmの伸びだと言う。人生100年時代とまで言われるように、人間の寿命は着実に伸びているけど、そこまで生きても30cmしか鍾乳洞の成長を見守ることが出来ない。

途方もなく壮大な自然の前では謙虚にならざるを得ないよなぁ。偉大

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夕空のグラデーション



夕空を見上げると茜色から徐々に澄んだ青色へと移り変わるグラデーションを楽しめます。デザインソフトで使うような人工的なグラデーション(下に画像貼っておきます)では表現できない自然の美しいグラデーションです。

人が黄昏時を好むのは、自然の美しさの導きによるのかも知れませんね。

温泉で考えた″自然″について

昨日はスパに1日いました。温泉に入り放題で、休み処のリクライニングチェアは座り心地、寝心地ともに快適でなんと1500円!

スパに行ったのは家の排水溝が詰まっていてシャワーができないし、近所の銭湯も閉店していて体を洗えないというネガティブな理由からですが、とても良い時間を過ごせました。

ところで温泉って素晴らしいなと改めて強く思いました。湯に浸かるのが気持ちいいのは当たり前なのですが、考え事がで

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車窓が教えてくれたこと

電車の車窓から景色を眺めていると、人体の構造に見えてきた。家々は細胞に、道は血管に、川や道を歩く人々は血液に、街の中心である役所は心臓、罪を裁く裁判所は解毒作用のある肝臓に見えなくもない。

確かプラトン辺りの時代からだったか、人間は"小宇宙"(この小さい体の中に宇宙を持っているということ)であるという例えが定着したが、言い得て妙だと思う。レオナルド・ダ・ヴィンチも手記の中で人間と自然のアナロジー

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ヒトと自然に境界はない

ヒトと自然に境界はない

前回の記事に引き続き、倉敷の大橋家住居で思ったことについて書いていこうと思う。

自然と共存した空間住居内を見学していると、やけに戸が開いていることに気が付いた。最初はクーラーがないから仕方なく開けているのかと思った。

しかし、猛暑の中クーラーがなくても驚くほど涼しい自然の風が舞い込んでくる。管理人さんの話によると、竪穴式住居のように下層部が吹き抜けになっている上、壁の内部が竹(だった記憶...

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