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体験談2

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#福島

福島が《FUKUSHIMA》になってから

福島が《FUKUSHIMA》になってから

私は、ある3月の日曜日に、神奈川県相模原市の大きな病院で生まれました。母の実家がそこにあったので。けれど、産声をあげてひと月も経たないうちに、私は「福島の子」になりました。

福島県福島市。福島県の真ん中の一番上にあって、人口は30万人にギリギリ満たない街です。県庁所在地なのにあの郡山市にはちょっと気後れしちゃう、かわいい街です。小学校の社会科の授業では、「福島市は猫の形をしているね」と教わります

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今、かんじること。

今、かんじること。

東日本大震災から今日で6年。

あの日私は、実家のあるいわき市に居ました。

食器は床に散乱、家族で食べる物もない…。暗くなってくる時間帯に、とてつもない不安に襲われたことを覚えています。

夜になっても繰り返される余震に、親が「あとどれくらい続くの?」と聞いてきたこと。

大学で地球科学(地形学)を専攻していた私は、あと1ヵ月かもしれないし、1年続くかもしれない…。そんなことを考えていたこと。

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福島第一原発の視察の帰り道で

福島第一原発の視察の帰り道で

いわき駅、午後8時16分。
最終品川行きの特急がホームを駆け抜けるのを、息を切らしながら見送った。

家まで帰るための最終列車がみるみる小さくなるのを見ながら、
まだ8時台なのに十分酔っ払った僕の口角は、主人の意思とは無関係に上がって笑みを作っている。

さっきいたお店で席を立ちながら流し込んだ福島の地酒が、お腹の中でカッカと燃えていて、
終電の去ったホームで立ち尽くしながら僕は、『もののけ姫

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南相馬市 ゲン・チャチャ・ピッピのはなし

南相馬市 ゲン・チャチャ・ピッピのはなし

 水と空気がきれいな田舎の古民家で、夫婦でのんびりと自然を満喫しながら人間らしい暮らしをしたい。そんな夢を持って東京で暮らしていた小坂さん(仮名)夫婦が、南相馬市の古民家に一目惚れしたのは、震災が起きる6年前のことでした。

 まずは、ご主人が東京での仕事を辞めて移住し、奥さまも、その3年後に完全に移住しました。古民家は住みやすいように最低限のリフォームをして、隣接する裏山と田んぼ、そして畑も一緒

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南相馬市・シロのはなし。

南相馬市・シロのはなし。

まずは自己紹介から、ですよね。

ボクの名前はシロといいます。6歳の男の子です。体重は、最近は測ってないけど、たぶん13~4キロくらいじゃないでしょうかね。福島県の南相馬というところで暮らしています。といっても、いまは本当のおウチではなく、カセツといって、小さなプレハブ作りの長屋の 4 畳半二間に、お母さんとユージ、おばあちゃんとボクの4人で住んでいます。 昼間お

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CMproject〜あれから5年、福島へ〜

CMproject〜あれから5年、福島へ〜

「福島」

この単語を聞く機会も少なくなった。

そう、あれから5年が経った。

5年前と言えば、僕たちのほとんどは中学生だ。

「遥か昔の遠い思い出」

「過去」

僕たちにとって5年前の記憶は、遠い昔の過去の思い出だ。

東北大震災

忘れてはいけない出来事だとわかっていても、東北で震災を直に受けていない当事者でない僕たちにとっては、日常的に意識を向け続けることはない。

そんな僕たちだが、2

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