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井上雄彦監督 『THE FIRST SLAM DUNK』 : 新たな表現の可能性

映画評:井上雄彦監督『THE FIRST SLAM DUNK』

まず、最初にハッキリと断っておくと、私は『スラムダンク』のファンではない。
原作も読んでいないし、テレビアニメも視ていない。

アニメファンではあるけれども、『スラダン』世代ではないし、幼い頃には「スポ根アニメ」も視たけれど、大人になってからは「スポーツもの」のアニメは視なかった。また、マンガもあまり読まなくなった。

なぜかと言えば、幼い頃は、テレビっ子であり、やっているアニメは全部視ていたのだが、それが一段落した直後に『宇宙戦艦ヤマト』ブームの直撃を食らい、それからは自覚的なアニメファンとなって、いわゆる「ファースト・ガンダム」の登場にも立ち会って「第1次アニメブーム」を経験したのだけれど、その頃に視た「スポーツアニメ」と言えば、出崎統監督・杉野昭夫作画監督による『あしたのジョー2』くらい。そしてこの作品を視た理由は、「スポーツアニメ」だからということではなく、「出崎・杉野ペア」の作品であったからに他ならない。
だが、同時に、すでにこの頃の私は、アニメこそ視ていたが、マンガの方は半ば卒業して、活字中心の読書に移行していたので、新しい「スポーツマンガ」を楽しむこともなかったのである。

そんなわけで、私が知っている『スラダン』とは、カラオケのアニメ映像くらいだ。
番組は視なかったが、放映当時にヒットした主題歌を事後的に練習したので、その時に「こういうキャラクターが出てくるのか」とか「諦めたら、そこでゲーム終了だよ、とかいう名台詞が流行ったんだな」という程度の知識を得たのである。

また、原作マンガの作者である井上雄彦については、『スラダン』の人だと思っていたのに、宮本武蔵を主人公にしているらしい『バガボンド』という作品を描いて「評判も良いらしい」とか、この人は画力で評判が高く「よくイラスト作品を見かけるな」という程度の知識だけは持っていた。

(『バガボンド』より)

 ○ ○ ○

したがって、今回の『THE FIRST SLAM DUNK』も、当初は観る気などなかった。
そもそも、原作マンガにも、スポーツアニメにも興味がなかったからだが、しかし、思わせぶりな、事前の「一部、映像公開」で見かけた「絵」が、原作そっくりな絵を、立体的に動かしていたので「これは、作画的に新しいことをやっているな」とは思ったのだが、その「モーションキャプチャ3Dアニメ」らしい「動き」には、やはり違和感があって、さほどうまくいっているようには見えなかったので、劇場にまで行くほどの「新しさ」は感じなかったのである。

ところが、私が「note」でフォローさせていただいている、映画好きの「佐藤厚志」さんが、本作『THE FIRST SLAM DUNK』 のレビューをアップし、事前の評判が、かなり悪かったらしい「3D」について、意外なほどフォローしていた。

『特筆すべきなのは、当初やり玉にあがっていたCGでモデリングされたキャラクター。一見スチルで見ると安っぽく(この評価は映画をみてひっくり返ることがある)、画一的で工業品というか人形と感じを受ける。

しかし、である。よくよく見ると顔の輪郭がGペンで描いたかのような自然な強弱(太い線と細線がシームレスに繋がってる)がついていることに気が付く。アニメというより、これは漫画特有の表現である。そして、アニメではまず見ない表現でもある。そんな複雑な線で描かれた人物を手書きの連続画で動かそうものなら物凄い技術が必要だろう。当然コストも。それこそ宮崎アニメでもそんな凝った演出は使われない。』

『本作を手掛けた井上 雄彦監督は、もしかしたらある種の不満を感じていたのでは……と感じずにはいられない。過去のアニメ作品など見ればわかるが、確かに面白いのだが、井上作品最大のテイストが損なわれている。最大の拘りであるはず「線」の表現が希釈されているのだ。

ところが本作では、そうした漫画の命ともいえる「線」をはじめとする表現が、全く損なわれていない。それどころか、敢えて漫画らしさを画面に残したまま、映画は破綻することもなく進行するのだから。となると本作でのCGの作成は、むろん工数の削減という目的もあるのだけろうけど、同時に井上漫画の長所を最大限に活かすための、ポジティブな戦略という面もあると考えた方が自然ではないか。』

このレビューを読むかぎりでは、「事前の宣伝映像」で感じたほどのチープな感じにはなっていないようだ。

で、『スラダン』ファンではない私としては、テレビアニメ時代の「セル画」の感じではなくなったとか、声優が替わったとかいった程度のことで、「聖典が汚された」みたいに大騒ぎしている、独占欲の強すぎる田舎者は嫌いだったし、かと言って、映画が公開された途端に「前評判に騙されるな。映画は傑作だ!」とか、例によっての提灯持ちめいた大騒ぎをして「自分こそが理解者」ヅラしている有象無象にも「ケッ」という感じだったので、「私が第三者として、冷徹な目で評価を下してやろう」と、観に行くことにしたのである。

で、その結果であるが、観て帰ったその日のうちに、前記佐藤さんの記事のコメント欄に書き込みをして、おおよそのことはそこに書いたので、まずはそれを(許可を得て)佐藤さんの返信コメントも含めて、以下に収録する。

年間読書人 2022年12月15日 22:56

今日観てきました。
一番の注目点は、3Dモデリングを使った作画ですが、これは特に、試合での「引き」のカット(十人近くがコートで、それぞれに生々しく動くカット)などは、人間の実際の動きを取り込んで、それで3Dモデルを動かし、さらに、その3Dモデルをなぞるかたちで、人間の手による作画がなされた、というものなのではないでしょうか。
だから、線は劇画調ですが、動きとしては立体的で、二次元的な作画上の狂いが出ない。しかし、その分、身体の動きにはディフォルメもない。

私は原作も読んでないし、テレビアニメも見ていませんし、さらにバスケにも興味はないのですが、そうした視点から見た場合、やはり、リアルな人間の動きをそのまま取り込んでいる分、本来、二次元であるはずのキャラクターの動きとしては、少々ぎこちなく、かえって不自然な感じがしました。』

年間読書人 2022年12月15日 23:02

もちろん、原作者で監督の井上さんは、その(※ 原作マンガの)作画の指向性からも、また(※ 本作アニメの)ドラマ作りからしても分かるとおり、リアリズム指向なので、リアルなバスケの動きが再現でき、かつそれに、視点の自由さを併せて組み込めるから、これで良かったのかも知れませんが、アニメとしては、やや動きに自由さがなくて、面白みにはかけると思いました。
これは、原作の、三次元での「そっくりさん」なのではないか、という印象を受けたわけです。三次元のリアルな人間が、二次元の原作の絵(の着ぐるみ)をまとって、芝居をしている、という感じの違和感があったのです。

ただ、すべてのカットで、人間の動きをトレースしたわけではない感じでしたので、この技術も使いようだとは思いました。』

佐藤厚志 2022年12月16日 01:54

そうですね。下のリンクのインタビューを読み限りだと、モーションキャプチャーで実在の演者の動きを取りこんだり、プリビズを作成したり、相当のリアル志向がうかがえます。

https://www.slamdunk-movie-courtside.jp/interview/09

感じられている演出の不自然さとか違和感というのは正しいです。というのもスラムダンクに限らず邦画シーン全体にいえると思うんですが、CGを使った特撮のスキルって、(かなり上から目線ですが)まだまだ発展途上です。たとえばアニメの動きと比較すると、なんというかこう、滑らかじゃないというか。面白味に欠けるというのもなんかわかります。それだけ日本のアニメ技術が優れてるということだとも思うんですが…。特にスラムダンクみたいな「2Dと3Dのハイブリット作品」だとどうしても3D(CG側)の動きが負けてるというか、悪目立ちして見えてしまうんですよね。スラムダンクは演出とか編集でかなりその点をカバーしてたと思いますが、どっちにせよその辺をどうするかは今後の課題かと思います。』

年間読書人 2022年12月16日 10:21

ご教示いただいたリンク先、ざっと読ませていただきました。
だいたい推察した線での作りだったようですね。

インタビュイーが「プリキュア」に関わっていると言ってましたが、私の念頭にも「プリキュア」がありました。
と言っても、劇場版は1作しか観てませんが、注目してたのは、テレビシリーズのエンディングです。
「プリキュア」シリーズのエンディングは、かなり前から、モーションキャプチャーによる3Dキャラのダンスと決まっているんですが、シリーズを追うごとに、3Dキャラが2次元キャラに近くなっていく。
昔は、極端に言えば、ポリゴンめいたお人形さんが、リアルにダンスしているという感じだったんですが、キャラの方はどんどん本編の絵に近づいてきている。
しかし、ダンスの動きは、人間そのものなので、違和感はなくならない。
これと同じことが、今回の『スラム・ダンク』でも感じられました。』

年間読書人 2022年12月16日 10:38

あと、2次元のアニメキャラによるダンスと言えば、『ラブ・ライブ!』などのグループアイドルものですが、これも多人数が曲に合わせて複雑な振りをしなければならないし、しかも、全員の動きが完全に一致しては逆に不自然だから、おのずとその動きに差異をつけるためにもモーションキャプチャー中心になるんですが、やはりそればかりだと違和感が拭えないので、アップでは人間の作画に切り替わるんです。
だから、今回の『スラム・ダンク』も同じように組み合わせていたんだろうと思いました。アップでの動きの時は、さほど違和感がありませんでしたから。

しかしまた、『スラム・ダンク』の場合、キャラのバストアップなどの時でも、3Dモデルをなぞっているため、デッサンは狂わないけれど、人間の顔としては硬い印象があり、これだと人間のリアルな表情の芝居には対抗できないとも思いました。』

つまり、最初に気になった、動きに関する「作画」の問題については、思ったほど悪くはなかったが、課題がクリアされているとまでは言えず、アニメファンとしては、この程度で「大喜び」することはできないと感じた。
またこれは、井上監督を含めたスタッフの思いでもあろう。彼らが、この「デッサンは狂わないものの、柔軟性に欠けるキャラクター作画」や「モーションキャプチャによる、変にヌルヌルと動く感じ」に満足はしていないと思う。

佐藤さんが紹介してくれた、スタッフのインタビューにもあるとおりで、二次元で描かれたキャラクターを動かす場合、ただ「実物の人間」どおりに動かせれば、それで良い、というほど安直な話ではないのであり、おのずと二次元表現にマッチした「誇張」が必要なのだ。
だが、それは「3Dモデリング」とも「モーションキャプチャ」とも、決して相性が良いわけではないのである。

だが、だからといって「古馴染み」の手法に固執するのは、愚かなことである。少なくとも、そんな人(ファン)は「表現者マインド」をかけらも持っておらず、理解もしていないと言えよう。

つまり、表現者というのは「より良きもの」を求めて、失敗を繰り返しながらも、挑戦を止めないものなのだ。だからこそ、今のアニメーションであり、映画があると言ってもいい。

私は、本作『THE FIRST SLAM DUNK』を観たその同じ日に、公開40周年記念のリバイバル上映をやっていた、出崎統監督の『スペースアドベンチャー コブラ』を観てきた。
この作品は、公開当時に観ており、その当時から「出﨑さんの作品としては、出来の良い方ではなく、期待外れだった。そもそも、出崎さんは、SFやアクションが得意ではないのだ。杉野さんの作画も、テレビシリーズよりはマシという程度で、劇場版としては、『エースをねらえ!』『あしたのジョー2』などの過去作に比して、かなり見劣りする」とそんな厳しい評価を下していたのだが、40年ぶりに観れば、また評価も違ってくるかと思ってのだが、見事なくらい、評価は変わらなかった。

まず、目についたのは、当時の作画レベルの限界である。劇場用と言っても、特別に予算がかかっているわけでも十分な制作期間があるわけでもないため、作画の荒さが随所に目立った。

また次に、時代を感じさせたのは「オプチカル合成」の荒さだ。
別々に撮った映像を、フィルムの上で合成するのだが、今のようなコンピュータ上でのデータ合成ではないから、合成の継ぎ目に当たる輪郭線の部分が、白く光っているのである。

こうした「合成」技術だって、それを使わずに、従来どおりの手描きで手間さえかければ、もっと美しいものに仕上がっただろう。だが、そうした旧来の技術だけに固執していては、いつまで経っても、技術革新が進まず、作業の効率化も図れず、無駄なところに労力を費やし続けることになっていただろう。
「アニメ表現」と一言で言っても、それは多くの先人たちの努力と工夫の積み重ねの中で、今の「当たり前の表現」があるのだということを、決して忘れてはならない。そして、無駄な遠回りのように見えても、新しいことに挑戦しようとするクリエーターを応援するのが、本物のファンだと私は、そう思うのだ。

そんなわけで、本作の場合も、「作画」面での挑戦は、100パーセント満足できるものではなかったとしろ、試合場面での「リアルな迫力」と「複雑すぎる動きについての、作画の省力化」といった点では、成果はあったと思う。満足できなかったという部分については、今後の課題である。

 ○ ○ ○

さて、では、「作品総体としての出来」の方はどうだったかというと、「意外に、きちんと作られており、十分に及第点の作品」になっていたと思う。言い換えれば、大ヒットしたとしても、「歴史に残るような傑作ではない」ということだ。
あくまでも、ファンとニワカが大騒ぎで「傑作だ!」としばらく騒いで、消費されて終わる作品だろう、ということである。

その点では、今年の大ヒット作である『すずめの戸締まり』や『ONE PIECE FILM RED』、あるいは、米ゴールデン・グローブ賞にノミネートされた犬王』などとも、大差のない「佳作」だ、という評価になる。
一一世間の素人衆が思うほど、日本のアニメの歴史は薄っぺらではない。金さえかければ、毎年何作も傑作が生まれるというほど、その敷居は低くないのである。

とは言え、本来マンガ家である井上雄彦監督は、実によくやっていたと思う。
マンガの方が「リアリズム」だというのは、なんとなく知っていたが、本作も完全に「リアリズム」志向で、映画としては、「アニメ作品」というよりも、むしろ「実写劇映画」の「芝居」演出であったし、それが十分に及第点に達していた。

しかし、例えば、「画面の色彩」が常にフラットな自然色だった点がなど気になったし、キャラクターの顔の演技が十分ではなかった点も、(たぶん「3Dモデル」を下敷きにした作画ゆえの硬さなのではあろうが)やはり気になった。

(こうしたマンガ的誇張による「表情の豊かさ」は、アニメにも必要)

つまり、この作品は、映画として、実に「堅実にできており、完成度の高い作品」になってはいるのだが、「表現の奔放さ」が足りないし、傑作特有の「突き抜けたパワー」が感じられないのだ。

これは、井上監督の年齢的なものもあろうが、「3Dモデル」や「モーションキャプチャ」に、アニメーターたちを縛り付け、ただただ「設定どおりのキャラクターを再現すること」を強いたからではないかと思う。

作家性の強い監督が、役者の演技に事細かに口を挟むのはよくあることだし、それはそれで良い結果を生むことも、しばしばある。
だが、そのせいで役者が萎縮して、堅実だが面白味のない演技しかできなかったとすれば、それは監督の責任だろう。

だから、井上監督には「自身のビジョンの完璧な再現」だけではなく、アニメという「集団芸術」の「力」をうまく味方のできるような監督なってもらえればと、その成長に心から期待したい。


(2022年12月17日)

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