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宇宙論

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宇宙論というエッセイ・短編小説をまとめています。
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#精神疾患

宇宙論(25)

宇宙論(25)

 希死念慮はつらい。「穴があるなら入りたい」ではない。「奈落があるなら落ちたい」。

「真夏の氷塊のように溶けたい」

「消え入りたい」

「自分を殺したい」

「だれかを愛したい」

(2024.5.2)

宇宙論(24)

宇宙論(24)

 嫌いなものについて。ふと、人に「嫌いなものはなんですか?」と聞かれたらなんと答えるだろうと考えた。すぐに思いつかない。あまりないような気がする。強いて言えば、「たまに自分のことが嫌い」。

 苦手なものはある。パクチーとかGとか退屈とか待ち時間とか。でも嫌いかと言われると嫌いではないような気がする。

 好きなわけでもない。絶妙なところだ。

 苦手なものってなぜあるのだろう? 別に、そんなもの

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宇宙論(23)

宇宙論(23)

 読者の方からオーダーをもらったので、作品が生まれる瞬間について。

 僕の場合、全ては偶然と必然のあいのこである。何かを作り始める時、書き始める時、描き始める時、計画は何も立てない。ただ、ただ、行きずりに身を任せる。身体の反応に率直になる。素直になる。

 思考は目まぐるしく回るようで、すっと静かなようで、とりとめもないようで、沈黙でもある。無心でもある。豊かでもある。だからとっちらかったりもす

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宇宙論(22)

宇宙論(22)

 僕は中学生の頃から約10年間、バンドをやっていた。姉と、友人たちと。

 メンバーは入れ替わり立ち替わりだったけれど、最終的には固まったメンバーになった。それでも、そのメンバーでの活動期間は数年で終わってしまった。

 バンドには自由がある。何人[なんぴと]にも揺るがされない自由。僕はそう思っていたし、今も思っているけれど、バンドをやっていた当時の僕は独裁者だったと思う。自分勝手で、自己中心的で

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宇宙論(21)

宇宙論(21)

 昨日、インスタライブで、約20年来の友人から、僕は中学生の頃から差別をしない人間だったと言われた。果たしてそうだろうか? よくわからない。

 差別というのは深く激しい問題である。僕自身、なるべくなら差別なんて悲しいものを自分の本性の中から消し去ってしまいたいと思ってはいるけれど、無意識の差別というものもあるだろう。苦手というものもある。いろいろと複雑だ。

 その友人は、僕のことを、中学生の頃

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宇宙論(20)

宇宙論(20)

 僕の友人で、明け方に頻繁に電話をかけてきてくれる友人がいる。最近、明け方の電話は減ったのだけれど、先日、午前4時頃に電話がかかってきたので、電話のベルで起きた僕は電話に出た。すると友人は、

「ねるちゃん、なんでこんな時間に電話に出るの? 昼間にかけ直すから切るよ。じゃあね」

 と言って電話を切った。謎すぎて僕はしばらく考えた後で思い切り笑った。

(2024.4.26)

宇宙論(19)

宇宙論(19)

 中学二年生から高校一年生の3年間、僕は中学生日記というNHK制作のテレビドラマに出演していた。約20年前のこと。楽しい日々だった。思えば、僕は小学生の頃に抱いていた役者になるという夢を叶えたということになる。それだけで幸運な出来事だ。

 中学生日記での出会いは大きい。いまだに連絡を取る友人やディレクターさんもいる。ファンになってくれた子もいる。このご縁は生涯、大切にしたい。

 中学生日記は(

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宇宙論(18)

宇宙論(18)

 読者の方からオーダーをもらったので、たまに深く潜った時、全人類が滅亡してこの世界が終わってしまった方がいいのではないだろうかとも思うことについて。

 人生は苦しい。その果てに何がある? 答えは個々人が見つけていくしかない。

 すべての人が幸せであればいい。それでもそういうわけにはいかない。誰かの願いが叶うころ、あの子が泣いている。こんな悲しいことがあるかと思う。

 人類は壮大なカルマを背負

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宇宙論(17)

宇宙論(17)

 読者の方からオーダーをもらったので、僕の恋愛観、結婚観について。

 僕は恋多き青年だった。本当に多くの人に恋をした。その多くは実らなかった。僕にとっての恋とは得てしてそういうものであった。

 愛についてはよく考える。僕は付き合った女性や、行きずりの女性や、風俗嬢の女性をその瞬間瞬間、心の底から愛していた(と思う)。それでも、付き合ってしまうとその人をたくさん傷つけてしまって、自分も傷つく。風

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宇宙論(16)

宇宙論(16)

 読者の方からオーダーをもらったので、将来の夢について。保育園の卒園アルバムには『でんきやさんになりたい』と書いてある。小学校中学年の頃はお笑い芸人だった。高学年になって役者になった。一瞬だけ野球選手。中学生になってミュージシャンに。高校生の頃はミュージシャンと並行して、少しの間、小説家。20代半ばで映画監督に。20代後半で絵描きに。そして今、何もない。

 今は今を生きていればそれで満足で、将来

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宇宙論(14)

宇宙論(14)

 僕には2人の父親がいる。そのどちらもが全く違う人生の指針を持っていた。そのために幼少期の僕は多少(いや、かなり?)、分裂症気味の生活を送っていた。どちらの父親にも好まれようと努力していた(自分なりに)。それが実ったかはわからない。とにかく僕は分裂症気味だったし、それは今でも大差ない形で僕という人間を象っている。

(2024.4.25)

宇宙論(13)

宇宙論(13)

 映像について。僕はテレビっ子だったから(今でこそほとんど見ないけれど)、幼少期から映像を浴びるように見て育った。映画も親の影響でたくさん観た。『未知との遭遇』、『E.T』、『ゴジラ』、『ガメラ』、『ウルトラマン』、『トムとジェリー』、エトセトラ、エトセトラ。

 成人してから、とある友人との出会いによって、映画への情熱が焔の如く巻き上がり、毎日、狂ったように映画を観た。黒澤明、小津安二郎、フェリ

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宇宙論(12)

宇宙論(12)

 意識的に洋楽を聴き始めたのがいつからだったかはよく覚えていない。幼少期から親の影響でカーペンターズやビートルズは聴いていたように思う。

 自分でこれだ! と手に取ったバンドがビートルズとオアシスであったことは明記しておきたい。もちろん、ビーチボーイズやレディオヘッドやストロークスやアークティック・モンキーズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズやマイケル・ジャクソンやアース・ウィンド・アンド・ファ

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宇宙論(11)

宇宙論(11)

 高校生の時、ひとときだけ仲がよかった女の子がいる。年下で、小柄で、エルレガーデンが好きな可愛らしい子だった。

 その子は僕と出会ってから数ヶ月後、シンナーを吸った酩酊の中で家の二階から飛び降りて死んでしまった。

(2024.4.24)