宇宙論(24)
嫌いなものについて。ふと、人に「嫌いなものはなんですか?」と聞かれたらなんと答えるだろうと考えた。すぐに思いつかない。あまりないような気がする。強いて言えば、「たまに自分のことが嫌い」。
苦手なものはある。パクチーとかGとか退屈とか待ち時間とか。でも嫌いかと言われると嫌いではないような気がする。
好きなわけでもない。絶妙なところだ。
苦手なものってなぜあるのだろう? 別に、そんなものなくたって生命が存続する上でなんら問題はないはずだ。不安とか危機感みたいなものは(結果として)生命に必要不可欠だという説を読んだことがあるけれど、それだってよくわからない。なぜ本能は、繁殖を目指すのか。
そんなことは言っても始まらないので、僕は僕の性欲を受け止めているし、特段、宇宙に抗議する気はない(今となっては)。でも不思議である。苦手だったり不安だったりする必要って、なに?
楽しいことばかりではないこの世界。そうやって設計されている以上、それを乗りこなしたいらげ喜び尽くすしかない。悲しみ尽くすしかない。それだけが希望だ。
好き、嫌い。話は戻るけれど、僕は僕のことが好きである。でもたまに嫌い。どういうところが? 傲慢で贅沢で無神経なところが。
より良い方向に向かっていくことはできるだろうか? きっとできるだろう。そう信じる。わたしたちの魂がよりよい方向へ導かれますように。そう祈る。
(2024.5.1)
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