社会人芸大生 卒業しました
ついにこの日がやってきました。
2019年春に 京都芸術大学 通信教育部 芸術学科 アートライティング(AW)コースへ編入し、社会人芸大生となって、はや5年。
2024年3月末をもちまして、学部生を卒業いたしました…!
そして卒業をもって、学芸員資格(国家資格✨)も取得いたしました!!!
というnoteをさっそく書いて公開だー、と、文章をしたため始めた春・・・だったのですが。
なんという不思議でしょうか、気づけば11月ですね。光の速さで、半年以上もの月日が流れておりました。
ありがたいことにこの2024年、展覧会の取材や美術作家の方などへのインタビュー、イベントの取材やレポート記事などなど、都内を中心にさまざまなお仕事の機会に恵まれ、卒業の感慨に浸る間もなく、締切に追われ続ける日々でした。
そして、1年のうちで最も繁忙期であろう秋をなんとか越え、ここ数日は落ち着いた時間を過ごし、(約4年分くらいの)大掃除などをしています。
信じられないことばかりが起きている昨今ではありますが、今回は、在籍していた5年、特に卒業までの最後の1年をふりかえります。
そして、卒業式から少し時間が経った今の率直な気持ちを、ここに書き残してみようと思います。
ちなみに大学生1年目から4年目までの振り返りはこちらです。
公開からだいぶ経つ今も、多くの方に読んでいただけて嬉しいですし、今となってはきれいさっぱり忘れていることも多く、書き残しておいて良かったです。
1年目(2019年度)
2年目(2020年度)
3年目(2021年度) ※休学しました
4年目(2022年度) ※再び休学しました
まずは、卒業できて本当によかった
何はともあれ、これに尽きます。
卒業年度が始まる直前の、2023年3月。
未履修だった必修科目を改めて確認し、4月から3か月ごとに区切られる春・夏・秋期の、いつどこで何の科目を履修するか、を改めて確認しました。
最終年度は、秋期までに全ての必修科目の履修を完了していないと、冬期に「卒業制作」を履修できないルールがあります。
しかも、夏期しか開講しない科目が4つもあり、それを1つでもミスって単位を落とせば、その時点で卒業は来年度に持ち越し。後がありません。
また「学芸員資格課程」も履修していたため、さらに必修科目が3つ、プラスオンされています。こちらも卒業前に全て単位を得ておく必要が。
ただ、唯一救いだったのは、他のコースでは秋期までに履修せねばならないところ、わたしのコースは冬期ぎりぎりまで履修OKだったこと。
とはいえ、万が一、最後の最後、冬期に単位を落とせば、卒業はできても学芸員資格は取得できません。
それはそれで、たぶん一生後悔しそうなので、とにかく絶対にミスできない、という真綿で首を絞められていくような、じりじりと静かで苦しいプレッシャーが、最後の最後まで地味にしんどかったです。
残していた、というより残ってしまった科目は、どれも簡単ではないものばかり。
でも、ここまで積み上げてきた学びの時間と、過去一度も単位を落とすことなくレポートやテストをクリアしてきた経験を自信にかえ、コツコツ続けてきた自分を信じて、必ず乗り越えて卒業する。そう覚悟を決めました。
・・・受験生のようですね。
ご参考までに、最終年度に履修したのは13科目26単位+卒業制作2単位。
スケジュールは、下記の通りです。
3か月ごとに期が区切られていますが、ほぼ毎月のように、レポート提出や動画の講義の視聴、単位修得試験と、何かしらの締め切りがやってきます。夏休みや冬休みなどの概念はなく、みっちり3か月ごとです。
特に夏期は、つめこみました。
春と秋が繫忙期だったこともありますが、正直、当時の記憶、あんまりないです。
仕事をしながら実質3年で、学芸員資格課程の必修科目を上乗せして履修・卒業するのは、やっぱり正直なところ、なかなかハードでした。
ハードだったけど、コツコツ蒔いてきた "種"が芽吹きはじめる
ここで、少し時間を戻しつつ、今のわたしの仕事のお話をさせてください。
わたしはこのnoteを、大学に編入して半年後の2019年秋にはじめました。
目的は、大学に在籍しているうちに、フリーランスで、特にアートやデザイン、クラフトなどの分野を得意とする書き手になりたい。
"取材して考えて書いて伝えるお仕事"がやりたい、と考えたからです。
なぜ、アートやデザイン、クラフトの分野を書いて伝えたいのか。
自分自身が好きな文化芸術の世界を、その作り手の人生や仕事の魅力を、一人でも多くの方に知ってもらい、親しむきっかけをつくりたかったからです。
とはいえ、当時のわたしは、単なる「趣味が美術館めぐり」の人、でした。
ライターとしてメディアで記事を書いた実績も、アート業界でのコネクションも皆無だし、文化芸術を専門で学んできた経験もありません。
確かに直近のキャリアでは、大手出版社で雑誌のWebメディアでディレクターをしたり、広告部で媒体資料をつくったりもしてきて、メディアで記事やコンテンツをどのようにつくり、広めていったらいいのか、ビジネスやマネタイズのことなども理解してはいました。
でも、「書けます」と言ったところで、説得力はゼロです。
だからまずは、ライターとして仕事を依頼しても大丈夫そう、と思ってもらえるように、このnoteをポートフォリオとして活用すべく、自分で企画を考え、可能な範囲とペースで、定期的に記事を書いて更新することから始めました。
すると、2020年に大学に在籍して2年目になる頃には、応募したり企画を提案したりしたメディアで、少しずつ記事を書く機会を得ていきます。
とある場でたまたま雑談したことから、お仕事につながったことも、最初のお仕事から1年 全く音沙汰がなくなるも、別の機会に声をかけてもらったこともありました。
また、これまで実績としてあまりご紹介してはいませんでしたが、ライターと並行して、2021年から2024年初めまでの約3年、クローズドの有料オンラインコミュニティで、コミュニティマネージャーのお仕事もしていました。
美術作家の方やアートコレクターの方々が参加し、主宰の方と共に、時には美術館の学芸員の方や館長の方、美術専門誌の編集長などをゲストにブッキングし、グローバルな視点でのアート × ビジネスをテーマに、毎月 隔週で90分、zoomのライブ配信で、さまざまなセミナーを企画・開催していました。
正直、コミュニティ内のご縁から何か別のお仕事に派生した、ということは今のところ全くないのですが、毎回テーマを考え、スライドをつくり、90分生放送みたいな中で場を進行するという経験は、なかなか鍛えられました。
一方で、お仕事が忙しくなったゆえ、大学での学びになんだか息切れしてしまい、休学をはさむことにもなりました。
‟学ぶこと”ではなく、‟卒業すること”が目的になってしまいそうだった自分に気づいてのことでしたが、今思えば、あのタイミングで休学して良かったし、必要な時間でした。
そして、復学した2023年4月。
後がない卒業年度です。重要な1年、まず勉強時間を確保するため、大好きなヤクルトスワローズの試合中継も、今シーズンは観ない、と決め、DAZNを解約しました。
全ての時間を学業に費やし没頭できればよかったのですが、そうもいかないのが社会人大学生。
2年の休学の成果か、この頃はライターとして、展覧会などを取材してご紹介する記事や、美術作家の方を中心にインタビュー取材した記事などを、Webメディアで書かせてもらう機会が格段に増えていました。
ちなみに、かつて会社員時代に関わっていた組織や、働いていた職場やその関係者などから、お仕事の依頼を受けるフリーランスの方、とても多いと思います。
でも、わたしの場合はゼロでした。
そのくらい文化芸術とは縁遠い場で、仕事をし続けていたんですよね。
本当に自分でも驚きますが、noteで書くようになって以降、新たにご縁をいただけた方々ばかり、なのです。ありがたい限りです。
例えば、春期にはこちらを。
ながーいながーいインタビュー取材の記事も担当しました。
あまり知る機会のなかった関西のアートシーンにふれられ、書いていて楽しかったです。
このあたりの記事は、まさに夏期に。
京都へ日帰り出張してインタビューしたり、
デザインとアートが融合したイベント「DESIGNART TOKYO 2023」の記事群は、単位修得試験と取材のスケジュールがほぼ重なっていた気がします。
我ながらよく乗り越えました。。。
このあたりは秋期に。
体力的にもスケジュール的にも相当しんどかった「さいたま国際芸術祭2023」の取材撮影も、今となってはお仕事で伺えてよかったです。
また、ファッション好きは変わらず、なので、ずっと活動を注目していた「TOMO KOIZUMI」さんのアートギャラリーでの初個展はぜひご紹介したくて、メディアへ取材を提案しました。
そして、トーハクで「本阿弥光悦の宇宙」展を取材した日は、実は明け方まで卒業制作の原稿を書いていました。
みっちり観て、ふらふらと帰ってすぐ原稿を書いて、次の日の朝には納品したはず… 我ながら頑張りました 涙
大学に在籍したからこそ、京都との縁ができる
大学に在籍していたこの5年、本当に様々な場所へ出かけ、たくさんの方々と出会い、記憶に刻まれた風景や出来事、体験を数え切れないほど味わうことができました。
中でも大きかったのは、京都とのご縁ができたことでしょう。
あっという間にますます売れっ子になっていらっしゃる、同じ大学の通学部の卒業生の方々へのインタビュー取材はもちろん、
関西を拠点としたインタビューメディア「+5」とのご縁もできましたし、
3月の恒例行事「ARTISTS' FAIR KYOTO」も、2023年は、いつかお仕事で取材記事が書けたらいいなぁと思いながら、noteにレポートを書いていたら、
1年後の2024年は、「現地に行くんでどうですか?」と提案したおかげで、見事にお仕事になりました!!
プレスとして朝から夜まで丸1日いろんなところを巡り、その日の深夜から明け方にかけて記事をまとめ、写真を選んで納品、というタイトスケジュールでしたが、書ききれて良かったです。
ちなみに今だから言いますが、諸事情によりやむを得ず、写真撮影も原稿執筆も全部iPhoneで行いました。iPhone 頼りになるわー。
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わたしが在籍したアートライティングコースは、京都市内の大学のキャンパスに一切行かなくても、オンラインのみの学びで卒業できます。入学式や卒業式も、出席が必須ではありません。
ただ、わたしは追加で学芸員資格を履修していたため、京都に滞在し、大学で必ず「博物館実習」を受ける必要がありました。
在籍するコースにもよりますが、わたしが参加できた実習は年1度だけの開催。編入する前、卒業から逆算してスケジュールを組み、「2年目に京都で実習を受ける」と決めていました。
在籍2年目は、2020年の夏。
そうです、まさかの疫病大流行と重なってしまったのです。
このnoteの記事を書いていた頃は、無事に実習が開催されるのか不安でしたが、
大学が万全の準備と対策をとってくれたおかげて、実習は予定通り開催されます。わたしは京都に10日間滞在し、うち5日間は終日「博物館実習」をみっちり受講しました。
あの時間、今となっては本当に奇跡のような体験でした。
暮らすように過ごした、いつもと違う夏の京都。きっとあのとき編入していなかったら、学芸員資格を取ろうと思っていなかったら、味わえなかったでしょう。
時折、当時の写真を見返しますが、あまりにもひとけのない京都の景色、暮らし。この世のものとは思えない、幻だったのでは、という光景です。
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2024年の今年も、お仕事の取材や、卒業式へ出席するため、京都へ度々伺っています。
そうそう、卒業式が午後からで、その直前まで袴姿のまま、京都在住の編集者の方にお話を伺って記事を書いたことも。本当にありがたい限りでしたし
大阪や奈良、神戸、金沢、念願だった富山へも訪れることができました。
正直、至らないことが多いし、まだまだ勉強が足りないし、課題だらけではあります。自分の力ではどうにもならないことも多いです。
でも、 noteを書き始めた頃に、こうなっていたらいいな、と思っていた場所に、いま、何とかたどり着いています。
いま 5年かけて大学で学び終えて思うこと
コツコツと単位を積み上げた自分自身をしっかり褒めたいところ、ですが、その前にまず、ほんとーーーーに、家族には感謝しかありません。
急に「大学に編入しようと思う」と言い出し、フリーランスのアートライター を目指し始め、今や、平日も土日も問わず、ミュージアムやギャラリーに出掛けては、もくもくとPCに向かってひたすら書く日々のわたしを、文句一ついわず、見守り続けてくれている家族。
どれだけ日々の料理を時短&手間抜きしても、なんでも美味しい美味しいと食べてくれ、日々の掃除が気まぐれクオリティになっても、大目に見てくれていた家族。
自分のことだけに集中してはいられない"いい年の大人"が、5年もの時間をかけ、大学での学びに没頭してこれたのは、愛すべき家族が、みな健康かつ平和でいてくれたからこそ。ありがたい限りでした。
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「大学で体系的に歴史を学び直すって、いいかもしれない」
2018年の秋、ふと思ったのが、そもそものはじまりでした。
そう思えたのは、30歳を過ぎた頃、とにかく年中無休で仕事をしすぎて健康を害し、婦人科系のお医者さまに「働き方を見直して」と怒られたのがきっかけです。
正社員で仕事をし続けることを諦め、休日にゆっくりと出かける気力と体力を徐々に回復させたことで、「そういえば、前は美術館に行くのが好きだったよなぁ」と思い出し、気になっていた展覧会を観に行きました。
久しぶりの美術館、展示室。作品と対峙する至福のひととき。
出かける頻度が増すにつれて、自分が知らない世界史・美術史がありすぎて「もっと知っていたら、作品の背景がよりわかって面白くなるのに」とモヤモヤしはじめたのです。
30代後半になって、初めて身を置いた「大学」という場は、とても貴重で、得難い経験への扉が無数に存在している、とても魅力的で奥深い世界でした。
自分の時間とお金をつかって、わざわざ学ぶことの苦しさと楽しさを存分に味わえて、世界の見え方・自分の捉え方は確実に変わったと思います。
そもそもわたしは高校生の頃、一応これでもまぁまぁの進学校に在籍していたものの、大学への進学は全く考えていませんでした。
なぜなら、自分が大学で学ぶ意味を全く見出せていなかったから。
そして、服を作る技術を専門的に学んで身につけたかったので、大学よりも専門学校に行こうと考えていたからです。
ちなみにこの進路選択には、幼い頃から手芸が好きだったことに加え、当時愛読していた雑誌とマンガからの情報に多大なる影響を受けています。
そう、図書室で読んでたコレクション雑誌や『ハイファッション』『装苑』『流行通信』、矢沢あいさんの『ご近所物語』です。
当時はまだ、ガラケーを初めて持たせてもらえるようになった頃。
自宅でPCを使わせてもらっていたものの、個人で知りたいことは、やっとなんとなく携帯サイト経由で情報を得られるようになった時代です。
地方都市に生まれ育ち、新聞と雑誌と広告が好きで、広い世界が見てみたい、進学するなら絶対に東京に行きたい、と、ずーっと思っていたような高校生でした。
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確かに年齢が若い方が、物事の記憶力などは優れているかもしれません。
でも文化芸術の分野で、書いて伝えることをしようとすると、先行する研究や論文、文献が山のように存在していますし、正直、どれだけ多種多様なひと・もの・ことを見て、自分の頭で考えてきたか、が本当に問われる世界だな、と痛感しました。
加えて、わたしがファッション好きで、服作りを知っていたこと、雑誌をたくさん読んできて雑誌文化を知っていたこと、広告が好きでアートとデザインの世界に境目なく親しんできたこと、アート業界ではない場所で会社員として仕事をしていたこと、何一つムダになっていません。この世のありとあらゆることが、文化芸術やアートの根底に通ずるからだと思います。
また、通信制の大学は特に社会人になってから学ぶ場なので、学友の方々は年齢も職業も本当にさまざま。
どちらかというと人生の諸先輩方が多かったため、書かれているレポートを読むと、その視点や論述に、ぐぬぬ、かなわない…と、いつも思っていたし、非常に学びが多かったです。
もちろん、たくさんの先生方にも大変お世話になりました。
先生 とはいえ、働く大人同士ですので、大学でのお仕事の話、大学以外のご自身の作家活動の話などを交わせる機会は、貴重かつ楽しいものでした。
今年の初め、京都に拠点をおく美術作家の先生が、銀座・奥野ビルの素敵なギャラリーで個展を開かれて。
きんと寒い雪の中を、そろりそろりと伺ったのも、とても良い思い出です。
本当に、いまこの年齢このタイミングで大学に編入し、四苦八苦しながら過ごし、卒業までたどり着けたことは、本当にいい選択であり経験だった、と心の底から思います。
そして、学べば学ぶほど、書けば書くほど、果てしない。
気が遠くなって、途中で辞めたくもなるのですが・・・学ぶこと、書いて伝えることを、これからもコツコツ、細く長く、続けていきたいです。
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この先、大学や大学院などへの進学・編入を考えている大人の方々へ
まずは、大変です。
自分が思っているよりも、たぶん数倍、大変です(笑)。
この記事もそんな話を書いて、多くの方に読んでいただけています。
仕事や家族のスケジュールと重なって、寝不足でしんどくてもう嫌!無理!って思っても、なんで大金払ってまで修行みたいなことをやってるんだ!って自分を怒りたくなっても、
何事も、やらないよりはやってみた方が絶対に良いし、今の自分だからわかること・できることがたくさんありました。
一方で、やろうと決めた、選択した自分を、どうにかして「正解だった」と思いたくて、続けていたところもあります。
実は、Webメディアでディレクターをしていた当時、「記事を書くことをやってみたい」とひそかに考えて、ちょっとだけ、試みたことがありました。
でも、同じチームのメンバーにずばっと言われました。
「あなたの仕事は、書くことじゃない。それはプロがやる。あなたはやらないで。」と。
もう何年も前の、昔のことです。
言った本人はおそらく覚えてもいないでしょう。
でもわたしにはずっとずっと、棘のように刺さったまま、でした。
本当に悔しかった。メディアのなかにいるのに、健康を害するほどめいいっぱい仕事をしていても、書くチャンスすら掴めない。プロにはなれない。悔しかったです。
だからたぶん余計に、これまでの自分の選んだ道を「正解だった」と思いたくて、ここまでたどり着けたのだろうとも思います。
「実際に行動する人、続けている人は少ない」って、いろんな場面で言われていることですが、行動してみること・続けていくことの困難さと価値を、大学の学びでも、フリーランスのアートライターとして活動する中でも、実感しました。
この先もきっと、あらゆる場面で、ひとまずやってみる・何とかして続けるために、いろいろと策を講じ、工夫し、しなやかに軽やかに動いていく気がしています。
そのためにも、心身健やかに、健康第一を心がけます。
そして、2025年はあたらしいことを
2025年。
京都とのご縁から、あたらしい取り組みに参加させてもらうことになりました。
アートライターを育成する実践的な私塾『ローカル・アート・ライターズ・スクール(LAWSロウズ)』で、1年間、メンターとして並走します。ロングインタビュー中心の京都のアートメディア「プラスファイブ」の編集長と、業界の第一線で活躍する美術評論家、アートブックの編集者、インディペンデントキュレーター、アートマネージャーやアーティストらともに運営していきます。
こちらと前後して、好きが高じて 30代半ばから芸大へ編入し、コネクション・実績ゼロから、フリーランスのアートライターとして活動するに至るまでにやってきたことをシェアしつつ、"好き/推し"の言語化・発信のサポートや、個々の活動の応援し合うメンバーシップも開設予定です。
よろしければぜひ。ご一緒できたら嬉しいです。
最後に余談です。
この5年で、自分が変わったなぁと思うこと。
本当にたくさんありますが、物理的な変化の一つは、持っている書籍の量と勉強できる環境づくり。
もともと本に囲まれた暮らしではありましたが、どれだけ自分の部屋に本を増やしたか。夜中に細胞分裂していたんじゃないかと本気で思うくらい、急速に増やしましたし、本棚つきの机と、座り心地のいい椅子に投資しました。
ちなみに、2024年の自分の誕生日プレゼント、実は家族に「巨大な本棚の新設」をリクエストし、実現していただきました(笑)。でももちろん収まっていなくて、積読タワーがまだまだそこかしこに・・・