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本能寺の変1582 その一因 一、土佐の長宗我部 第50話④ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、土佐の長宗我部 第50話④ 

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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その一因 一、土佐の長宗我部 第50話④

 【参照】その一因 一、土佐の長宗我部
 【参照】8 光秀の苦悩 2光秀と長宗我部元親
     ◎第50話④ ◎小50④ ◎P50④  通し 第50話

三好康長が動き出した。
「仍って、阿刕表の儀に就きて」
その背後には、信長がいる。
 以下は、これ(第50話③)に対する康長の副状である。 

  爾来(じらい=以来)、申し承らず候、
  仍って、阿刕(あしゅう=阿州)表の儀に就きて、
  信長より、朱印を以って、申され候、

信長は、「天下人」。
 
絶対権力者である。
 
刃向かう者は、成敗される。

  
向後は、別して、御入眼(=成就)、快然たるべき趣、
  相心得申すべき旨に候、

信長は、長宗我部元親と三好康長に和睦を命じた。
これすなわち、停戦命令。
 「戦いを止めよ」、と言っている。

  
隨って、同名式部少輔の事、一円若輩に候、
  殊更、近年忩劇(そうげき=合戦)に就きて、無力の仕立候条、
  諸事、御指南、希う所に候、

斯くなれば、阿波は、二分される。
 元親と康長の共同統治。
 そういうことに、なる。

 
 弥(いよいよ)、御肝煎(きもいり)、我等に於ても珍重たるべく候、
  恐々謹言、
            三好山城守
   六月十四日      康慶(花押)
    香宗我部安芸守殿
            御宿所
                     (「香宗我部家伝証文」)

元親にとっては、一大事。
 元親としては、ただ単に、阿波の戦況が順調に推移していることを報告
 するつもりだった。
 使者は、香宗我部親泰。
 大任である。
 だが、それが、一転して、「停戦命令」を受領する羽目になってしまっ
 た。
 相手は、織田信長。
 「否」も「応」もない。
 親泰は、兄の強い思いを、他の誰よりもよく知っていた。
 「阿波の統一」
 元親の顔が目に浮かぶ。

光秀は、香宗我部親泰と話し合った。
 光秀は、元親の取次。
 おそらく、この時、安土にいた・・・・・。
 そこに、突然の、「停戦命令」である。
 これすなわち、緊急事態。
 親泰は、大いに、困惑した。
 「頼みの綱」は、明智光秀。
 唯一無二の存在。 
 これに、石谷頼辰・斎藤利三兄弟を交えて、幾度も、話し合いがなされた
 ものと思う。

信長と元親は、友好関係にある。
 表面上は、「波静か」。
 土佐の長宗我部元親から、鷹十六聯(もと)と砂糖三千斤が献上された。
 取次役は、明智光秀。

  六月廿六日、
  土佐国補佐せしめ侯長宗我部土佐守、
  惟任日向守、執奏にて、御音信と為して、
  御鷹十六聯幷(ならび)に砂糖三千斤、進上。
  則ち、御馬廻衆へ、砂糖下され侯ひキ。
                           (『信長公記』)

元親は、まだ、このことを知らず。
 元親は、海の彼方の土佐に居る。
 「遠い」
 「遠すぎる」
 故に、情報の伝播に問題があった。
 緊迫感が十分に伝わらず
 その意味では、不運だった。



 ⇒ 次へつづく


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