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本能寺の変1582 その一因 一、土佐の長宗我部 第132話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、土佐の長宗我部 第132話② 

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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その一因 一、土佐の長宗我部 第132話②

 【参照】15 信長の台頭 4光秀と長宗我部元親
     ◎第132話② ◎小132②   ◎P132② 通し  第132話

この元親を、二人の弟が支えた。
 
長宗我部三兄弟。
 長男、元親。
 次男、吉良親貞。
 三男、香宗我部親泰。

  次に、元親卿、兄弟三人、次男吉良左京進親貞、三男香宗我部親泰、
  親貞は、海より西の軍代、親泰は東表の軍代を給う、

  扨(さて)、元親卿、
  廿二歳より、一分の弓矢取り来たり給ふとぞ
  (一人前の武士になられたということである)、
                           (「元親記」)

当時、土佐は、八つの勢力に分裂していた。
 
最大勢力は、土佐一条氏。
 突出していた。
 他は、大体、どんぐりの背比べ。
 長宗我部氏が最小だった。

  土佐の国七郡、大名七人、御所一人、
  と申すは、
  一條殿一万七千貫、
  津野五千、大比良四千貫、吉良五千貫、
  本山五千貫、安喜(芸)五千貫、香宗我部四千貫、
  長宗我部三千貫、
  以上八人の内、一條殿は各別、
  残りて七人守護、と申す、

  このほか、中身小身の国人・侍、または鎌倉より下り人、
  件の如し、
                           (「長元記」)

元親は、信長と、同じ、戦国武将。
 生地は、土佐。
 生年は、五年遅れ。
同様の道を歩む。
 
すなわち、信長の「小型版」。
 否、「四国版」。
二人は、ともに、領土拡大主義者。
「同じ穴の狢」
同類である。

 となれば、・・・・・。

  【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 第50話① 「同じ穴の狢」

やがて、対立。
光秀の説得交渉が始まった。
しかし、交渉は、遅々として進まず。
暗礁に乗り上げた。

  【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 第50話⑤ 反発 暗礁

石谷頼辰、未だ、帰らず。
「万事休す」

天正十年六月二日未明、「本能寺の変」へ。

【参照】一、土佐の長宗我部
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 小50①~⑥
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 小79~80
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 小82①~②
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 第132話①



 ⇒ 次へつづく


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 「本能寺の変」
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