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パサージュ

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繋がらない歴史 積み重ねられた断片
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記事一覧

マドレーヌを浸して

何も特別でない日、私は乗っていた電車を捨てた。最寄り駅から5駅も前なのに、歩いて帰ることにした。
空はすっかり暗くなっていた。にもかかわらず、街は明るい。この矛盾を包み込むのが都市なのだ。
幹線道路沿いの道を歩く。街の明るさは無限ではない。少しずつ、なにものでもない暗い風景になっていった。

死ぬのかもしれない、と思った。
体験したことのない揺れの中、妙に冷静だった。
揺れがやむと、パソコンをすぐ

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雀の埋葬 2

買い物から帰路につく途中、家の近くの道路まで差し掛かったところで雀が死んでいた。

前回の時のように死んだところに立ち会った訳ではなく、彼はすでに干からびてぺちゃんこになっていて、毛の色と形からかろうじて雀だとわかる姿であった。
 
私はしゃがんで手を合わせた。
どうしようかと少し考えた後、家に戻って準備をしてからその場に戻ってくることにした。

死体を包むための紙ナプキン、ビニール袋、ポリエチレ

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物質のアフォリズム

舗装された道路を曲がる。路地裏の石を拾う。それはかつて川を転がっていた。

時計が落ちて歯車が飛び散る。折れ曲がった秒針、ひび割れたガラス、それは時計となった。

本を開き、燃やす。それは本となった。

大人の私はいまでも「死にたい」

大人の私はいまでも「死にたい」

10代の頃、とにかく「死にたい」と思っていた。理由は、とくになかった。

平凡に生まれ育ち、それなりに嫌な思いも経験したが、語るほどの不幸に見舞われるわけでもなく、かといって才能や容姿に恵まれるわけでもなく、いわゆる「普通」だったと思う。
ならいいじゃないか、と言われるかもしれないが、自分が何者かを決定するものを持つことができないというのは、それだけで(少なくとも当時の私には)不幸だった。
廃棄さ

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コロナ禍で見たもの:支配と言語

前回の記事は、現場にいた者としての個人的な記述だったが、一歩引いてコロナ禍と人間のことも書いておきたい。

哲学者ヘーゲルの有名な言葉に次のものがある。

私は哲学徒として、ヘーゲルのこの言葉を常に指針にしている。つまるところ、思想というのは時代性を超えることはできないのであり、常にその時代を洞察しその中で時代を最も把捉した思想(概念)を生み出すことが哲学の役目であるということだ。
それには歴史文

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雀の埋葬

外出先から帰ると、玄関前でカラスが鳴いていた。

その視線の先には、死にかけの雀がいた。

くちばしをパクパクさせて、地べたにぐったり横たわっていた。まぶたはほとんど閉じられていた。

私が来なければ、カラスのご飯になっていたのだろう。雀の前に立ち、最期を見届けた。すぐに雀は動かなくなった。カラスは人の気配を嫌がり、飛び立っていった。

急いで自宅にビニール袋を取りに戻った。埋葬しなくては、と思っ

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明日なんて来なければいいー眼球とミサイル

明日なんて来なければいいー眼球とミサイル

残業終わりにがらんとした電車に揺られながら、窓越しに街並みを眺める。まばらに明かりのついたマンション、家々。思考がぼやける。駅に近づくと明かりが増えていく。

退屈な風景、見るようなものは何もない。
明かりさえなければ、世界が滅んだものと思えたかもしれない。だめだ。電車が動いている。車内放送が聞こえる。

駅で停車する。また動き出す。何度も繰り返す。各駅停車なんて鬱陶しいだけなのに、僕はいつもそれ

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作品の「わかりやすさ」は価値ではない

作品の「わかりやすさ」は価値ではない

世の中に存在するものには、「わかりやすい」ものと「わかりにくい」ものがある。

私達は日々家に帰るとテレビをつけドラマを見る。週末には映画を観に行く。アニメでもミュージカルでも舞台でもいい。空いた時間に読書だってする。
そうして大抵は、一緒に観た人と感想を言い合う。SNSでシェアする。
そのように物語を感じ取るとき、私達は意識せずともひとつの大きな尺度を持っている。
それは、「わかりやすさ」だ。

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歴史が終わるとき、そこに人間はいない

歴史が終わるとき、そこに人間はいない



1、歴史の終わり私たちにとって「歴史」とは何だろうか。
おそらく多くの人は、「日本史」や「世界史」といった教科科目としての歴史学を思い浮かべると思う。

ここでは少し違った見方で「歴史」というものを考えてみたい。

たしかに歴史「学」という学問においては、世間のイメージとそれほど相違なく、過去に起こった「客観的事実」を積み重ねることが重要視されている。
事実の正解を探求する学問という点でいえ

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死に絶えながら、生き延びる、あるいはその逆

こんにちは。
今日はいつもと趣向を変えて、文学者・詩人・哲学者等々の格言を淡々と引用する記事にしようと思います。
テーマは「ネガティブ」。
しんどい時には暗い曲を聴いてとことん沈むような人にオススメです。
その実、ネガティビスト達の嘆きの中にあるポジティブさも感じて欲しかったりします。

われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走って

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ピングドラムは輪らないーポスト戦後・オウム・令和試論に向けたエセー

なぜに人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んでいくのか
ー『啓蒙の弁証法』アドルノ/ホルクハイマー

2019年、5月
日本は今まで見たことのない空気に包まれていた。
「平成」という時代を終え、「令和」を迎える。
毎日テレビで明るい編集で報道され、見かける店ほとんどが改元に伴う売り出しをしていた。
浮かれていた。年末年始のようだった。

「たかだか時代の名

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古典をよむということ

ある程度生きていると、少なからず自分が心から好きなものに出会うと思う。私にとってそういう出会いは古典小説に多い。

なかでも、『ライ麦畑でつかまえて(The catcher in the rye)』(J.D.サリンジャー著)は特別だ。
はじめて読んだ時は、読み終えるのにとても時間がかかったことを覚えている。

理由は、面白くなかったからだ。

そもそも海外文学や古典作品は現代の私達にはハードルが高

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